7月11日(水) 30/20℃
水害・土砂崩れも怖いが、もっと怖いのはどこで、いつ起こるかわからない大地震・・・
予知が進んだとはいえ、あくまで確率のレベル
↓ 「全国地震動予測地図2018年版」のニュースです
《30年以内の震度6以上の確率 千葉市85%、横浜市82%》 (7月8日NEWSポストセブン/女性セブン)
「・・・この予測地図は1年に1回のペースで発表されている。最新の確率を、20008年に公表された数字と比較すると、この10年間で確率が激増している都市がある。とくに顕著なのは首都圏だ。2018年版の「発生確率トップ3」で80%を超えている千葉市、横浜市、水戸市は、それぞれ2008年には27.2%、32.9%、8.3%だったので、危険度が急上昇していることがわかる」
「ただちに命を守る最善の努力をしてください!」
このフレーズ、もう耳に焼き付きました
平成25年8月、「特別警報」の運用開始にあたっての気象庁長官の《記者会見》です
「・・・今回の「特別警報」の運用開始により、自然災害による人的被害が大幅に減少することを願っております。気象庁としては、犠牲者ゼロを目指して的確な情報の発表に努めるとともに、先程申しましたように自治体等の防災関係機関、報道機関等との連携、さらに防災知識の普及・啓発に全国の気象台が一丸となって強化して取り組んでまいりたいと思っております」
で
今年は戌年・・・・
この年には水災が多い(・・・という説もあります)?!
寛保2年(1742)8月に北信濃の千曲川・犀川流域を襲った大水害は、「戌の満水」の呼び名の通り戌年でした
でも
戌年に水災が多かったかどうかは知りません
その昔は天気予知もなく、防災対策も貧弱でしたから水災は数多かったはず
わが家にも「明治29年7月21日水災見舞帳」が遺されています
かなりの水災だったんですね
ちなみにこの年の干支は「申」でした
いただいたお見舞いは酒や銭の他、「玄米」「握飯」「素麺」などもあって当時の世相を感じさせます
国交省千曲川工事事務所の《洪水の歴史》によれば、明治29年(1896)に「戌の満水」以来の水災でした
http://www.hrr.mlit.go.jp/chikuma/shiru/kouzui/gaiyou/
《明治29年7月洪水》
この年は降雨が多く、四国上空より日本列島を縦断する形で、ごく弱い熱帯低気圧が長野県上空を通過し、さらに梅雨前線の低気圧が通過していった。新潟県分水地区でも7月19日ころから激しい雨が降り続きこの事態を招く要因となった。(出典:河川文化ディスカバーフォーラムin千曲川 基調講演「千曲川の洪水~豪雨のメカニズム」・信濃川下流三十年史)寛保2年(1742年)の「戌の満水」以来の水量といわれ、明治時代最大の洪水であった。
千曲川流域では、千曲川をはじめ、支川に被害が出始めた。新潟県内の信濃川中・下流域では、各地で堤防が切れ、そのうち最も影響の大きかった破堤場所の地名(新潟県旧分水町横田)から、一般に「横田切れ」と呼ばれている。上流から下流にいくにしたがって水量や被害が急速に大きくなっていった。被害状況は、千曲川流域では流失・浸水家屋10,000戸以上となっており、信濃川中・下流域では死傷者75人、流失家屋25,000戸となっている。(出典:信濃川下流三十年史・信濃川百年史)
(濁流の千曲川にかかる木橋の落合橋、昭和40年代です)
(建設中のコンクリート橋、木橋、渡し船の三態)
よかった、よかった
水で遮断された洞窟の奥・・・
よく捜し出し、よく救助しました
8年前のチリの、地中深く閉じ込められた33人を69日後に全員救出した鉱山事故を思わせました
ホッとする朗報です
《タイ洞窟、少年ら13人全員救出…遭難18日目》 (7月11日YOMIURI ONLINE)
「・・・少年らは6月23日、メンバーの誕生日を祝うために洞窟に入り、大雨による増水で出られなくなった。国外からの救難隊が多数参加する大規模な捜索の結果、7月2日に13人の生存が確認され、洞窟外への救出作業が進められていた」