愛国社会主義研究会

愛国社会主義(National Socialism)による日本及び世界の再建を模索する研究会です。

戦前日本の国民社会主義

2015年03月01日 10時07分54秒 | 愛国社会主義/ファシズム(結束主義)
戦前の日本では支那事変(日華事変)激化に伴い、総力戦体制が構築されていきました。



その際に、革新官僚・統制派軍人たちが参考としたのがNSDAPの経済政策や国民社会主義体制でした。

wikipediaより
第一次世界大戦の戦訓より、戦争における勝利は国力の全てを軍需へ注ぎ込み、国家が「総力戦体制」をとることが必須であるという認識が広まっていた。日中戦争の激化に伴い、当時の日本経済では中国で活動する大軍の需要を平時の経済状態のままで満たすことが出来なくなっていたため、経済の戦時体制化が急務であった。つまり、平時における計画経済(統制経済)体制を施行した法律のこと。

<中略>

概要は、企業に対し、国家が需要を提供し生産に集中させ、それを法律によって強制することで、生産効率を上昇させ、軍需物資の増産を達成し、また、国家が生産の円滑化に責任を持つことで企業の倒産を防ぐことを目的とした。

成立後の7月には、第6条により労働者の雇用、解雇、賃金、労働時間などが統制され、他の条項も全面的に発動された。物資動員計画では、重要物資は軍需、官需、輸出需要、民需と区別して配当された。しかし、軍需が優先され、民需は最低限まで切り詰められた。例えば、鉄鋼、銅、亜鉛、鉛、ゴム、羊毛などの民需使用は禁止された

しかし、この法案は総動員体制の樹立を助けた一方で、社会主義的であり、ソ連の計画経済の影響を受けていた。のちに、この法案を成立させた第一次近衛内閣の後に首相となった平沼騏一郎を中心とした右翼・反共主義者の重鎮により、企画院において秘密裡にマルクス主義の研究がなされていたとして、企画院事件が引き起こされた。

また、戦後の産業政策に見られるように経済官僚が産業を統制する規制型経済構造を構築した契機となったことから、大政翼賛会の成立した年にちなんで「1940年体制」、国民学校令が発布され、帝国国策要綱が作られた年にちなんで「昭和十六年体制」という言葉も存在する。

同法によって国家統制の対象とされたものは、以下の6点に大別できる。

1.労働問題一般 - 国民の産業への徴用、総動員業務への服務協力、雇用・解雇・賃金等の労働条件、労働争議の予防あるいは解消
2.物資統制 - 物資の生産、配給、使用、消費、所持、移動
3.金融・資本統制 - 会社の合併・分割、資本政策一般(増減資・配当)、社債募集、企業経理、金融機関の余資運用
4.カルテル - 協定の締結、産業団体・同業組合の結成、組合への強制加入
5.価格一般 - 商品価格、運賃、賃貸料、保険料率
6.言論出版 - 新聞・出版物の掲載制限


法律上には上記統制の具体的内容は明示されず、すべては国民徴用令をはじめとする勅令に委ねられていた。このことから、同法をナチス党政権下のドイツによる授権法(1933年)の日本版になぞらえる説もある。
~引用終わり~

また、終身雇用や労使一体、月給制など所謂、日本型経営・日本的雇用慣習といわれるものはこの時期に形付られました。

実は、これもNSDAPの影響を受けています。
NSDAPは何といっても国民社会主義ドイツ「労働者」党ですから、労働者の生活を一番に考えました。

・1日8時間労働を法制化
・有給休暇の導入
・休日の増加
・企業に格安の社員食堂設置を義務付け
・歓喜力行団による旅行ツアー、スポーツ推進、映画会
・大衆車「フォルクス・ワーゲン」の開発


NSDAP政権は独裁全体主義政権であったにも拘らず、労働者に不満は生じませんでした。
これは上記の労働者保護政策に加えて、労働組合対策が上手かったことによります。

NSDAPは全ての労働組合を解散させて全国統一の組織「労働戦線」をつくりました。
この時、労働組合の幹部だった者達を労働戦線の指導層にすることで左翼色の強い組合員を協力的にさせることができました。

ストライキが禁止される一方で、「信任委員会」という経営者の代表と労働者の代表が話し合う組織の設置を労働者が20人以上勤めている企業・工場に義務付けました。

結果的に、失業者は減少し、景気回復によって賃金が上昇しました。

日本で「ドイツ労働戦線」に相当する組織とは1940年に組織された「大日本産業報国会」です。

敗戦によって、産業報国会や統制経済体制は占領軍によって破壊されたかのように見えました。
しかし、日本型経営・日本型社会主義と呼ばれる日本独特の経営・経済思想に基づく1960年代の高度経済成長の根底にあるものは、
大東亜戦争前・戦争中に確立された統制経済・計画経済体制であり、その起源となったのはNSDAPの国民社会主義だったのです。

戦後日本を実質的に治めていたのはナチズムであるというと驚かれる方が多いかもしれません。

しかし、あれだけの高い成長率(年平均10%以上)を10年以上続けながら、格差の小さい「一億総中流」社会が維持できたのは、日本が資本主義と社会主義の両立を目指した国民社会主義体制だったからに他なりません。
次回は国民社会主義の観点から高度経済成長と一億総中流社会について考察してみたいと思います。

今回も最後までご覧頂きありがとうございました。







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