★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

我からの恋

2018-11-29 23:20:03 | 文学


恋ひわびぬ海人の刈る藻に宿るてふ我から身をもくだきつるかな

むかし古典文学の何かの本を読んでいたときに驚いたのが、ワレカラという虫の形状である。わたくしは、昆虫好きだったくせに、山の人間だったせいか、海にいる輩たちを全く知らず、イナゴや蜂は軽く食えるくせに、カニが苦手である。高い食べ物なのに、食べる気がしない。うまいとも思わないのだ。全く不思議である。

それはともかくワレカラは、足と腹が退化したエビという感じであり、いわば上半身だけ昆布にくっついて揺れているようにみえる。恐ろしい情景である。この虫は乾くと割れてしまうらしいのだが、それ以前に半身をもがれているのであり、まことに恋に悩む男の心をあらわしているようだ。失恋はまだ相手のせいにできるからいいのである。片思いは、自分を裂くしかない。

「……あたしの郷里では、人が死ぬとお洗骨ということをするン。あッさりと埋めといて、早く骨になるのを待つの。……埋めるとすぐ銀蠅が来て、それから蝶や蛾が来て、それが行ってしまうとこんどは甲虫がやってくるン」
 二、三日、はげしい野分が吹きつづけ、庭の菊はみな倒れてしまった。落栗が雨戸にあたる音で、夜ふけにたびたび眼をさまされた。
 ある夜、青木は厠に立ち、その帰りに雨戸を開けると、その隙間から大きな甲虫が飛び込んで来て、バサリと畳の上に落ちた。

――久生十蘭「昆虫図」


われわれは昆虫を自分の外部のものとして恋心も失っているのかもしれない。


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