★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

赤面逆上的混乱苦痛とともに、誤謬の訂正的発狂状態が起る(坂口安吾)

役人の主人公性

2019-01-12 22:52:26 | 漫画など
黒澤映画の「生きる」なんかは、小役人を描いた作品であるが、わたくしはまだまだ役人世界というのは、芸術の世界で突っ込んで考えられていないフロンティアではないかと思う。「浮雲」の文三以来、というか、それ以前から小役人というとまずは馬鹿にすべき人種であるという決めつけがあったためであろう。確かに頭の悪い幇間はいるであろう。しかし、それはどの職種にでもいることだし。

わたくしは、ヘッセとかトーマス・マンが好きだったが、なんだか無理をしている気が当時からしていて、安部公房などにも熱中してみたが、どうも何かまだ違う気がして、高校の頃、ゴーゴリの「鼻」を読んでこれだなと思ったのを憶えている。

つらつら考えて見るに、どうもこれには真実らしからぬ点が多々ある。鼻が勝手に逃げ出して、五等官の姿で各所に現われるというような、まるで超自然的な奇怪事はしばらく措くとして――コワリョーフともあろう人間に、どうして新聞に鼻の広告など出せるものではないくらいのことがわからなかったのだろう? こう申したからとて、別に、広告料がお安くなさそうだったからというような意味ではない。そんなものは高が知れているし、第一わたしは、それほどがりがり亡者でもない。が、どうもそれは穏かでない、まずい、いけない! それにまた、焼いたパンの中から鼻が飛び出したなどというのも訝しいし、当のイワン・ヤーコウレヴィッチはいったいどうしたのだろう?……いや、わたしにはどうもわからない、さっぱり訳がわからない! が、何より奇怪で、何より不思議なのは、世の作者たちがこんなあられもない題材をよくも取りあげるということである。正直なところ、これはまったく不可解なことで、いわばちょうど……いや、どうしても、さっぱりわからない。第一こんなことを幾ら書いても、国家の利益には少しもならず、第二に……いや、第二にも矢張り利益にはならない。まったく何が何だか、さっぱりわたしにはわからない……。
 だが、まあ、それはそうとして、それもこれも、いや場合によってはそれ以上のことも、もちろん、許すことができるとして……実際、不合理というものはどこにもあり勝ちなことだから――だがそれにしても、よくよく考えて見ると、この事件全体には、実際、何かしらあるにはある。誰が何と言おうとも、こうした出来事は世の中にあり得るのだ――稀にではあるが、あることはあり得るのである。


――平井肇訳


スープから鼻が出てくるという劈頭部、鼻を捨てようとして警官に捕まる男、自分より身分の高い五等官になって思い人の家に行ったらしい鼻に対する感情、鼻を捜索しようと新聞広告を出そうするやりとり、突然鼻がある朝戻るところ、――すべての場面が完璧な出来だが、最後のナンセンス?な駄弁がすばらしい。最近読み直してみたら、ゴーゴリが小役人を単に馬鹿にしているのではなく、人間としてきちんと描いていることに気がついた。この作品でオペラを書いたショスタコービチが、「鼻をなくした人を馬鹿にするのは理解できない。こんな気の毒な人がいるだろうか」と言っていたのであるが、皮肉ではなかったのである。



一方で気になるのは、この二十年は役人がヒーローである作品も沢山あるということである。「ガンダム」あたりまでは、ヒーローがだいたい非正規の愚連隊だったが、「パトレイバー」は警視庁、「攻殻機動隊」もそうである。確かにアウトローみたいな人物たちが主人公なのだが、やはり公務員試験を受けた人たちなのだ。よくみてみると、ちゃんと決めぜりふで「真面目に生きろ」とか説教するパターンが多い。アトムの説教「きみはまちがってるよ」とは違う。間違っていようと正しかろうと、「真面目に生きろ」が公務員だ。上は最近読んだもので面白かったが、「死役所」という漫画である。この役場は、死んだあと、地獄や天国やらその他やらに行く手続きをとるところで、職員は、死刑になった人である。これは面白い設定である。役人というのは、ある種国家によって殺された人であるので、譬喩としてかなり正確なのであった。しかし、やっぱり役回りとしては閻魔様なのであり、第一巻の最後なんか、受付係は、五人の児童をひき殺し死刑になった青年の自慢話を遮り、「屑が」と一喝する。

要するに、われわれは銭形平次や遠山の金さんみたいなものがいまだに好きなのであって、人を裁きたくてしょうがないのである。自由を求めて自分を律するアウトローはいつも少数である。大概は、自由をもとめて自分以外の自由を縛りたいのが大多数である。公務員は、そんなリヴァイアサンの世界で秩序を維持する砦の役目を果たしていたはずであり、不可視のアウトローだったはずであるが、最近は……。どうなのであろう……。
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