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★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

中国からの逃避

2025-03-02 23:11:38 | 文学


典薬がいらへ「いとわりなき仰せなりや。その胸病みたまひし夜は、いみじう惑ひて、御あたりにも寄せたまはず、あこきも、つと添ひて、『御忌日なり。今宵過ぎして』と、正身も宣ひて、いみじく惑ひたまひしかば、やをらただ寄り臥しにき。のちの夜、責めそさむと思ひて、まうで来てあくるに、内ざしにして、さらにあけぬを、板の上に夜中まで立ち居、ありはべりしほどに、風引きて、腹ごほごほと申ししを、一ニ度は聞過ぐして、なほ執念くあけむとしはべりしほどに、乱れがはしきことの出でまうで来にしかば、物もおぼえで、まづまかり出でて、し包みたりし物を洗ひしほどに、夜は明けにけり。翁の怠りならず」と述べ申して居たるに、腹立ち叱りながら、笑はれぬ。まして、ほの聞く若き人は、死に返り笑ふ。「いでや。よしよし。立ちたまひぬ。いとかひなく、ねたし。異人にこそあづべくかりけれ」と宣ふに、典薬、腹立ちて、「わりなきこと宣ふ。心には、いかでいかでと思へど、老いのつたなかりけることは、あやまちやすくて、ふとひちかけらるるをば、いかがせむ。翁なればこそ、あけむあけむとはせしか」と、腹立ち言ひて、立ちて行けば、いとど人笑ひ死ぬべし。

糞を漏らした老人の話に死ぬほど笑う北の方と女官たちのエピソードは、ここまで行われていたお姫様に対する北の方のいじめをどこかしら緩和する効果すらある。そもそも落窪の姫に対する虐めに対してこの話は真剣に対峙していない。はじめからそれを軽く扱う結構を繰り出している。

こういうありかたが普遍的なやりかたなのかわたくしはわからない。

わたくしの興味があるのは、中国文学や思想を、どれだけ我が国のインテリたちはどれだけ真剣に受け取ったのだろうか、ということだ。ドストエフスキーに出会った文学志望者たちへのトラウマのようなものはなかったのであろうか。

――いずれにせよ、中国に対する恐怖を舐めた態度で朧化するみたいな態度がどこかで身についてしまったきがする。国語の論理的能力みたいな蠅の糞みたいな議論をみてておもうのは、次のようなことである。そもそもおれたちのつこうとるうじゃじゃけた文体は漢文の影響を受けすぎた文体の解体の可能性に賭けられていたところがあるわけで、そんなに論理的になりたいのなら、漢文を勉強したほうがよい。実際、わたくしの知っている漢文学や中国思想の人には独特の論理性があるので、エビデンスがありゃ論理的と感じる程度の人なんか屁と思わないだろう。言文一致的、「思い」中心的な文体を破壊する気のない奴が論理とかいうてもコマルのである。

単純に、女文字というのが、その朧化のあらわれだというような議論があった気がする。マンガの大ヒット作品は手描きという説があるけど、研究室の黒板に手書きで何か書いておくと落ち着く気がわたくしもする。街の落書きも、なんか落ち着くからかもしれない。

世界は、トランプ以前からいつも狂っていたわけであるが、トップにおかしいやつを据えてみると、真実がわかるというのは、ネロの時代からヒトラーの例を挙げるまでもなくそうである。トランプは、本人の認識はともかく、米国の軍事に精神的にも物理的にも依存していた世界の狂気を改めて認識させた。もちろん、トランプがよいというわけではなく、最悪である。トランプが長い人生のおかげでNATOとかCIAの非道を若人たちより覚えてるとか、そういう何かに期待するしかあるまい。トランプもあれである、「アメリカファースト」とか「グレイトアゲイン」じゃなくて、「アメリカが手を引いたら戦争も終わりみたいな世界を終わらせようぜ」とか言っておけば、西洋の超克論者や左派を巻き込んだ味方がもっと増えたのではなかろうか。だいたいアメリカ帝国主義批判――CIAとかNATOだかへの批判とともにあった米国依存への批判て、かつて左派の主張のひとつのポイントだったはずではないか。それがなにか、リベラルみたいなやつらが、民主主義国アメリカにまなべみたいなことを言い出しておかしくなった面がある。ここにもその実中国への恐怖の裏返しがあった気がする。

知り合いのもと全共闘のおじさんがいってたが、――ニクソンが中国に行ってから、中国は日本の左翼を本格的に見捨てた。そこでいろいろ終わったというか、明治以来続いていた左翼的東亜共同体論の夢も本格的に終了したと。しかし、――というか、多くの左翼は中国のこともよく分かってないくせに、もうアラブとかアフリカとかの第三世界にとんでたような気がしないでもない。確かに、マオイズムの帰結(連合赤軍とか)が悲惨なことになって、そことの対立も避けたのだ。アフリカもいまや中国に取られてそうだしどうしようもない。いまこそ日本の特徴であるところの、大国の函数呪術師みたいな類友の国を見つけ、仲良くしておくしかないのではないか。中国はある意味自分の本体であるアジアを見捨てたわけで、もはや華中思想の表れですらないぞ、本体はアメリカだ。

――以上のように、学者と政治家というのは、語り出すと案外同じようなことを妄想していることがあると、私は思い上がって思うのだ。政治家と大学の先生は本人たちが思っているよりも似ているので、学問が政治に攻撃されているみたいなイメージはいつもある程度しかあたっていない。ただ、政治家が文字通りの政治家みたいな奴であった場合、そして学者が学者らしくあった場合である。


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