★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

妹2の浴衣会

2016-07-28 16:56:04 | 文学
http://blog.goo.ne.jp/mimasaka_chiko/e/8147557553c7d1d8d2cd2c8b84bd8f40

 こゝに、「曲線美」といふ言葉がある。之は特に夏、外国人の身なりに就いて思ふ場合、誠にそこにあるものはこの「曲線美」だと思ふ。――或ひは言葉を変へて、形似(写実)的な味感と云つてもいゝ。
 それに反して日本の美しさは、――強ち「夏」乃至「服装のこと」には限らなくても云へるが、――直線的美感といふのがいゝ。より字の意味を大きくすると、象徴的味感といふことになる。
 就いてはその服装の直線的美感といふについて、思つて見ると、それには第一材料の浴衣それ自身を衣紋竹へかけた、その場合から判じてかゝるのが早いと思ふ。それは誠に角ばつた lineal なものである。――然しその服装の内部には元来丸味から出来てゐる身体が包まれる。
 そこで、殊に夏、衣裳の単衣となる場合には、上蔽の直線と内部の曲線との融合は美しさにおいて――といふのは肉感的にといふのとは一応はつきりと違ふ意味で――一層端的に結ぶ。
「浴衣」の美感はそこで材料それ自身、肉と衣裳――の仕組みに因縁が濃いことゝなつて、やがては美しさへの筋道を素直に定跡で行つてもたどれるものとなる。

――木村荘八「浴衣」


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