★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

赤面逆上的混乱苦痛とともに、誤謬の訂正的発狂状態が起る(坂口安吾)

ラモーとか

2018-05-12 23:49:26 | 音楽


今日は、ラモーなどを聴いていた。まだまだ知らない美しい音楽がこの世にあるかもしれない。

対して『日本の知識人』を続けて読んでいると、前半の「喋る論理」の評価とか後半の大学入試改革論なんか、いまの文科省が言いそうなことが要領よく書いてある。これは、小田の意見が潜在的な問題を予言していたということなのであろうか。わたくしにはあまりそうは思えない。むしろ、当時から潜在的な「常識」だったのではなかろうか。もっと言えば「俗情」だったのではなかろうか。だからネット時代になってそれが表面化し「常識」になっただけのような気がしないでもない。こういう人に比べると、いまのネット難民並に、目につくやつ全員に罵詈雑言をはき続けていた八〇年代の吉本隆明とかがいかに一応「反俗情」的だったのか分かるというものだ。ただ、その当時――わたくしは中学生だったが、彼の「ET論」を読んだときに、「おれでも書けそうだぞ、こりゃ」と思われたのが、今に至るまでひっかかっている。いま読めば、たぶんわたくしの誤読だったことが明らかだと思うけど……。「サブカルチャーどっぷり世代」の俗情との相似性がむしろ吉本の場合問題かもしれない。わたくし自身は、思春期にはサブカルチャーから遮断されていたような気がするので、九〇年代の終わりになって勉強の過程で摂取したからどうも同世代の気分はよく分からないのであるが。分かるのは、われわれの世代あたりから、おそらくであるが――「抽象的人間労働」といった古い教条が妙にリアリティを増していったということである。いずれにせよ、過去が現在に連続して見える場合にはいろいろと注意した方がよいのは、さんざ言われていることではあるのだ。

そういえば、どこかで、今のネトウヨの知識の大部分は江藤淳が苦労して掘り起こした認識を通俗化したものだとか、誰かが言っていた。
ジャンル:
文化
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