★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

漱石私論とわたくし

2011-07-23 23:58:21 | 文学
『文学論』や「倫敦塔」に触れたことが文学をやろうと思う契機になったとはいえ、私はどうも夏目漱石というのは不気味で恐くて近づきがたい。これは大学の頃からほとんど確然たる思いであって、漱石の小説もちゃんと再読してこなかったし、彼についての厖大な研究論文もあまり読む気になれなかったが、近年、芥川龍之介のことを考えているうちにどうしてもそうはいっていられなくなってきた。

とはいえやはり不気味である。

心配なのは……漱石を愛読したり、研究論文を書いたりすると怖ろしく何かに自信がついてしまいそうだということだ。漱石自身はどうだったか分からないが、読者をある種の満足に追い込むことにかけては漱石はそれこそ「何か」を持っていた(笑)

というわけで、あいかわらず怖ろしいので、いつも勉強机の前に置いてある(芳賀紀雄先生の本の横に並んでいる……)越智治雄氏の『漱石私論』をめくっていたら一日が過ぎた。私は漱石の小説よりこの研究の方が今は好きです。私の思考がいかに細切れになっているかを反省させられる本である。その細切れとは、単に持続していない、ということではない。「研究」を何かの手段として扱ったり、先の「何か」を否定神学とか何かの主義みたいな形で対象化しようとしたりする精神の習慣と関係がある。もはや私はそれを「荒廃」だと言って達観する状況にはないが……。