白爺の独り言

故郷テニアン島へ帰る旅!
 古い友達と巡る秘湯の旅!
白爺一人で ブツブツブツ・・
お暇な人 寄っていって~。

一日違いで全国南洋大会は大混乱!

2005-10-25 09:31:14 | 
全国南洋会は、年に一度全国を持ち回りして、大会と温泉めぐりをしています。

昨年は、新潟県が大会場に決まり、2004年10月19日~22日の旅程で、
月岡温泉・弥彦神社・良寛の五合庵・岩室温泉・六日町市内・長岡市内を観光してきました。 



弥彦神社は越後一ノ宮で、越の国へ農業・漁業・製塩の技をもたらした天香命が祀られています。

                   

弥彦から寺泊に行く途中に国上寺があります。
創建は709年と伝えられていますが、本尊は阿弥陀如来で真言宗の古刹です。
ここを案内してくれる和尚さんの話は、落語家が話している落語のようで、大変面白可笑しいですから、一度聞いてみてください。 

国上寺の横から山中を下ると、良寛が47歳から59歳ころまで暮した五合庵がありました。
国上寺から一日五合の米をもらって、ここで暮していたそうです。


                 

良寛さんに、貞心尼(出家前は、長岡藩士の娘で奥村マスといった)という恋人がいたこと知っていますか。
貞心尼の方が積極的だったそうですが、 
「わが恋は ふくべで なまずを押すごとし」と良寛は詠んだそうです。

その頃は老境に達していて、「私の恋は、ひょうたん(ふくべ)でなまずを押す(つかまえる)ように押しても押しても、それは無駄なことですよ」と良寛は諦めていたようです。


                  

長岡市内に、山本五十六長官の生家がありました。
今は山本五十六記念館が隣に建っています。
質素な一軒屋で、白爺は上がらせてもらいましたが、今で言うならば仮設住宅といったほうが適切な表現だと思いました。



山本五十六長官が、ニューギニアで撃墜されたときの飛行機の残骸が、全部飾ってありました。

昨日の新聞に、「中越大地震発生から、一年が経過した」とありました。
あの大地震は、2004年10月23日5:56Pmに発生したのです。


南洋大会が、一日遅い計画を立てていたら、白爺たちはどうなっていただろう?
震源地付近を観光していたのだから、今思うと ぞーッ!とします。


交通の拠点も、燕三条駅にしていましたから、駅もダメ 新幹線もダメ
いつ家に帰れたか分かりませんからねー

南洋から引き揚げてきた人たちは、「運が強いんだなー。」と、
白爺は思っています。







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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ひぇ~! (michi)
2005-10-25 16:58:29
ホント運が強いんですね~。中越大地震と1日違いの観光だったとは!白爺さんのようなプラス思考の人には幸運の女神様が付いているんですよ。(マジでよ)

新潟観光は中身が濃いいですね。写真と説明を読んでいると私もご一緒してる気分になります。
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良寛様の恋! (ちづ)
2005-10-26 09:31:57
恋人がいらっしゃったなんて初めて聞きました!うふふ!



michi様の仰るとおり、白爺様の「強運ぶり!」はすごいですね!

テニアンから引き上げたときも、すぐその後に玉砕していましたよね・・。映画の「アン・ブレイカブル(ブルース・ウィリス主演)」みたい!



追伸・・カフェスタでメッセージ送りました。読んで下さい~!
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