しばらくお稽古がありませんのでそのつなぎに私が感銘を受けた禅語を紹介したいと思います。
‘両忘’:最初この言葉に触れた時は、なんのことだかさっぱりわかりませんでした。禅の本によると、私たちはすべて白か黒か、良か悪か、○か×は決着をつけたがる。そんなことにこだわることなかれ。白でも黒でもよいではないか。○でも×でもよいではないか。両方とも忘れちまえ。というのが両忘という意味だそうです。禅の基本は‘こだわる心をなくす’つまり執着をはらうことですから、その本意から考えると両忘の意味はよくわかります。どっちなのか判断することをやめ、両方へのこだわりから抜け出すこと。あれやこれやの価値判断から開放されると気持ちはぐっと楽になりますよね。古い歌の文句ですが‘ケセラセラ。なるようになる’と思って、ただひたすら生きれば清清しい生き方ができるはずです。
‘放下著’:唐代の名僧趙州和尚の言葉です。すべてを捨ててしまいなさい。と言う意味だそうです。人間生きていると様々なしがらみやまた自分が築いてきた資産、名誉等々なかなか捨てられないものです。そんなものを捨て去ってしまうと楽になるのにとわかっていても難しいことです。でも禅はこだわりをなくすこと。執着を去ること。そのためには‘放下著’が必要です。趙州和尚は‘捨てたという意識さえ捨てなさい’と諭しています。執着を捨てることにより、本来の自分に戻り、いっさいがありのままに見えてくると言うのです。
‘両忘’:最初この言葉に触れた時は、なんのことだかさっぱりわかりませんでした。禅の本によると、私たちはすべて白か黒か、良か悪か、○か×は決着をつけたがる。そんなことにこだわることなかれ。白でも黒でもよいではないか。○でも×でもよいではないか。両方とも忘れちまえ。というのが両忘という意味だそうです。禅の基本は‘こだわる心をなくす’つまり執着をはらうことですから、その本意から考えると両忘の意味はよくわかります。どっちなのか判断することをやめ、両方へのこだわりから抜け出すこと。あれやこれやの価値判断から開放されると気持ちはぐっと楽になりますよね。古い歌の文句ですが‘ケセラセラ。なるようになる’と思って、ただひたすら生きれば清清しい生き方ができるはずです。
‘放下著’:唐代の名僧趙州和尚の言葉です。すべてを捨ててしまいなさい。と言う意味だそうです。人間生きていると様々なしがらみやまた自分が築いてきた資産、名誉等々なかなか捨てられないものです。そんなものを捨て去ってしまうと楽になるのにとわかっていても難しいことです。でも禅はこだわりをなくすこと。執着を去ること。そのためには‘放下著’が必要です。趙州和尚は‘捨てたという意識さえ捨てなさい’と諭しています。執着を捨てることにより、本来の自分に戻り、いっさいがありのままに見えてくると言うのです。