茶の湯 稽古日誌

私はこよなく茶の湯を愛しているものです。武者小路千家官休庵流とある宗匠宅でのお稽古の様子をお知らせします

私の好きな禅語

2006-12-11 10:10:21 | Weblog
 しばらくお稽古がありませんのでそのつなぎに私が感銘を受けた禅語を紹介したいと思います。
 ‘両忘’:最初この言葉に触れた時は、なんのことだかさっぱりわかりませんでした。禅の本によると、私たちはすべて白か黒か、良か悪か、○か×は決着をつけたがる。そんなことにこだわることなかれ。白でも黒でもよいではないか。○でも×でもよいではないか。両方とも忘れちまえ。というのが両忘という意味だそうです。禅の基本は‘こだわる心をなくす’つまり執着をはらうことですから、その本意から考えると両忘の意味はよくわかります。どっちなのか判断することをやめ、両方へのこだわりから抜け出すこと。あれやこれやの価値判断から開放されると気持ちはぐっと楽になりますよね。古い歌の文句ですが‘ケセラセラ。なるようになる’と思って、ただひたすら生きれば清清しい生き方ができるはずです。

 ‘放下著’:唐代の名僧趙州和尚の言葉です。すべてを捨ててしまいなさい。と言う意味だそうです。人間生きていると様々なしがらみやまた自分が築いてきた資産、名誉等々なかなか捨てられないものです。そんなものを捨て去ってしまうと楽になるのにとわかっていても難しいことです。でも禅はこだわりをなくすこと。執着を去ること。そのためには‘放下著’が必要です。趙州和尚は‘捨てたという意識さえ捨てなさい’と諭しています。執着を捨てることにより、本来の自分に戻り、いっさいがありのままに見えてくると言うのです。
 

稽古

2006-12-06 09:58:17 | Weblog
 先週の金曜日、宗匠が不在でしたので、私が代稽古をさせていただきました。数人の参加者でしたが和気藹々と楽しくお稽古を致しました。
 床は大徳寺管長の筆で、‘霜葉碧天浄’。そういえばここ数日ようやく冬らしい気候になってきました。棚は先週と同じ、一啜斎好のつぼつぼ棚。ちなみにつぼつぼは千家の家紋ですが、三千家によってそれぞれ異なります。今日もまた、江戸時代の棚を使っての稽古でした。
 釜は角谷一圭さんの、大霰。釜の表面にあるぶつぶつは‘霰’といいます。このように先のとがった野趣がある霰は天明の釜に多く見られますが、とくに写真の霰は一つ一つが大きいので‘大霰’と言っています。力強さを感じ特に寒い時期には相応しい釜ではないでしょうか。

口切の茶事(下)

2006-11-30 17:28:39 | Weblog
 懐石の後出されたお菓子ー今日は口切を祝ってのお善哉でしたがーを頂くと茶事の前半の部が終了です。床の掛物を再度拝見したのち、中立して腰掛待合でしばし休息します。亭主の用意が出来ましたら、鳴物で知らせますので、客は一同蹲って厳粛に拝聴します。そして再び蹲で手と口を清め、後座の席へと進みます。後座は掛物が取り払われ官休庵初代の一翁宗守手作りの竹の花生に楚々と椿が生けられていました。また口を切ったルソンの壺が正面に置かれ、口切りらしい床の飾りです。
四畳半の小間に男性ばかり、その上重量級の殿方も含め10人ですから、きゅうきゅう詰めです。いよいよ本日もメインイヴェント濃茶の点前です。宗匠がややゆっくりめに点前を始められました。そして、先ほど壺から出して茶臼で挽かれたばかりの濃茶を頂きました。御茶入日記には三種類のお茶が書かれてありましたが、私は今まで飲んだことの無い‘豊昔’と言う銘のある濃茶を皆さん同意の下に選択しました。少しざらつきのある御茶でしたが、飲んだ後の後味が素晴らしい。しばしの間に濃茶独特の甘さが口に広がっていきます。挽きたてのお茶はこんなに美味しいものか。感動しました。ついついたくさん頂いてしまいました。(お陰でその晩は目が冴えて、一睡も出来ませんでした。新茶はカフェインが強いようです。お気をつけあれ)夜も更けていましたので、続き薄を所望し、薄茶を頂き、道具の拝見の後お開きとなりました。主な道具は、茶入=古瀬戸、茶碗=伊羅保、茶杓=文叔銘千歳、水指=利休型手桶真泊在判 でした。終了時刻9:40予定より20分早く終わりました。皆さんご協力有難うございます

口切の茶事(中)

2006-11-27 10:14:57 | Weblog
 今日頂くお茶が決まりましたら、炭点前です。炭斗(すみとり)は宗旦の弟子であった杉木普斎の直筆の和歌が書かれてある瓢。存在感のある炭斗でした。釜は人間国宝角谷一圭さんの大霰。ハリネズミの棘のような、ぶつぶつのある釜です。
 めいめい自分の座っている場所の確認の為、扇子を後ろにおいて、炉近くに寄り合い炉中に炭がつがれて行く様子をつぶさに拝見します。
 その後懐石を頂きます。いつも思うことは、一番最初に口にする、たきたての少し芯が残るご飯のおいしさです。ご飯を噛みしめて味わった後、味噌汁を頂きます。初冬ということもあり、白味噌が多いこくのあるお汁でした。次に出たのが、煮物です。何のしんじょうだか聞き忘れましたが、中身がたっぷりと詰った味わい深い煮物で、思わずおいしいとつぶやいてしまいました。今回は口切りということもあり、焼物にでっかい伊勢海老と鯛のやきもの。それに栗と銀杏、薩摩芋のチップが添えられていました。海老と栗が大好きな私としては大変嬉しかったです。
 二、三点の強肴(しいざかな)が出された後、八寸で酒事を済ませ、お湯を頂いたら、後はお菓子です。以前ブログで書きましたが、口切を祝ってぜんざいが品良く、一口でました。これで懐石は終了です。
 なお初座の席の掛物は江戸時代初期の禅僧、沢庵和尚と公家の烏丸光廣公の合作です。沢庵和尚は光廣公の参禅の師ですから、沢庵→光廣の順に書かれています。当代随一の歌人でもあった光廣公に、沢庵が歌を所望するといった内容だったと思います。

口切りの茶事(上)

2006-11-25 11:07:18 | Weblog
 11月24日、口切り茶事に招かれました。男性ばかりの稽古場で、宗匠が稽古の一環として茶事を催して下さったわけです。そんなわけで10名と言う大人数になったことと、皆さん仕事帰りで開始時間が遅かったため、迎え付けは省略。また壺の口切りや懐石は広間でしていただきました。
 茶事はふた時(4時間)を越えてはならないと言い伝えられています。それはお客が5人までの場合ですが、客が不慣れの場合はゆうに5時間を超えることもあります。本日の茶事のリーダーシップを取る正客の腕の見せ所です。そんなわけで正客を仰せつかった私は、時間管理に気を使いました。
 三十年以上お茶の稽古をしていますが、口切り茶事は10年ほど前に一度経験しただけです。ほとんど忘れていますので、裏千家の茶事の本で勉強させていただきました。が全然と言って良いほど、参考になりませんでした。 口切りに使う道具、作法。まったく異なるのですから。驚きました。
まず壺の拝見ですが、裏千家では壺のお茶を出した後で拝見しますが、官休庵ではお茶壺の口を切る前に拝見します。しかも壺を畳の上で転がすように拝見するのです。壺の拝見と同時にお茶入日記と称し、壺に入っているお茶の明細を壺の箱の蓋に貼り付けて客に見せて、この中から今日飲むお茶を選んでもらいます。
 壺を定位置に返し、頂くお茶の銘を亭主に告げると、亭主は壺の蓋を小刀で切り蓋をあけます。壺の中は袋に入った濃茶数袋とその間を埋めるように薄茶に使うお茶の葉が詰っています。お茶を空ける時に、裏千家では葉茶上戸なる塵取り上の受け皿に空けますが、官休庵では‘畳紙(たとうがみ)’を畳上に広げてその上に空けます。お茶が飛び散るわけですから、畳の上にこぼれないためこのような紙を使うのです。随分と合理的ではないですか?

つぼつぼ棚

2006-11-22 10:38:10 | Weblog
 21日の稽古は、写真のつぼつぼ棚を使って行われました。この棚は官休庵流五代目家元(利休から数えると8世)一啜斎宗守の好です。生地の棚で四本の柱は竹で、三方の腰板にツボツボの透かしが入っています。変哲も無い棚ですが、官休庵らしい上品さを感じます。
 同じ名前の棚は、裏千家にもあります。裏千家のつぼつぼ棚は、13代目の円能斎の好で青漆爪紅(青塗りの漆で爪の部分が赤い棚)です。円能斎は一啜斎よりかなり時代が下りますので、官休庵のツボツボ棚をヒントに考案されたのでしょう。我田引水ですが、裏千家に比べ官休庵のつぼつぼ棚は随分と垢抜けしているように思います。(裏千家の方ごめんなさい)
 なお今日のお稽古では、驚く無かれ、江戸中期一啜斎時代の市郎兵衛と言う指物師が作ったもので、天板裏に一啜斎の直書き‘自好 官休庵 花押’としたためられています。この生地の棚が、二百年を経過したものとはとても思えません。それほど美しく保存されています。
なお棚に添えられている水指がまた素晴らしい。明時代の染付(そめつけ。白磁の下にコバルトの釉薬で絵や文様を描いた青色に発色した磁器)で恐らく香炉からの転用品でしょう。わびた素朴な色合いが茶の湯によく合っています。
 こんな道具でお稽古出きる私たちは本当に幸せです。
なお、点前終了後の後飾りは、写真のように柄杓を臥せて向こう側の腰板に合を立てかけます。この棚独特の飾り方ですが、他の棚のように天板に飾ることも出来ます。
 

冬は暖かく

2006-11-20 17:34:03 | Weblog
 今日は南坊録から私の好きな言葉を抜粋してお伝えします。もっとも、有名な言葉ですから、お茶を何年かなさっておられる方はご存知だとは思いますが。
 ある人が茶の湯の心得を利休に尋ねたところ利休は‘夏はいかにも涼しく、冬はいかにも暖かく、炭は湯が沸くように、茶は服かげんの良いように点てる。これが極意です’とお答えになった。聞いた人は不満そうな顔をして‘そんなことは誰でもわかっていることでしょうに’と言ったので利休が‘それではあなたが、そのことがきちんと出きる様なら、即刻私はあなたのお弟子になります’
 それを聞いていた大徳寺の笑嶺和尚(しょうれいおしょう)が笑って‘それはもっともなことです。鳥窠禅師(ちょうかぜんし)が‘諸悪莫作衆善奉行(しょあくまくさしゅぜんぶぎょう)(つまり悪いことをするな、いいことをしなさい)'とおっしゃったことと同じですね’鳥窠禅師の話は唐時代の有名な詩人白楽天が、禅師に仏法の極意を尋ねたところの答えだったと言うことです。
 極めて有名な話ですが、読むたびに感動を覚えます。当たり前のことを当たり前に行う。これは茶の湯に限ったことではありません。日常生活でも、なかなか当たり前のことがきちんと出来ないものです。娘が小さい頃、著名な教育者から子育てについて含蓄のある話を聞きました。それは‘あたりまえのことが出来る子供にしなさい’ということでした。今の教育界の荒廃を見るにつけ、あたりまえのことを出きる子供に育ててこなかったつけが出ているように思います。私たちももう一度心して利休の言葉をかみしめたいと思います。

松伯美術館

2006-11-14 16:15:54 | Weblog
 11月12日(日)奈良学園前にある松伯美術館に行ってきました。行かれた方も多いとは思いますが、上村松園 松こう 淳之 三代に亘る絵を集めた美術館です。閑静な住宅地のなかにひっそりと佇む松伯美術館は、規模、雰囲気とも私のお気に入りの美術館です。特に情熱の女流画家、松園の描く美人画はどの絵にも惹きつけられるものがあります。今回は特別展として、余白の美ー象徴空間の魅力ーをテーマに松園以外にも鏑木清方、小林古径の絵が数点展示されていました。 
 私はいつも絵画を見る時は、余白の美に注目して見るようにしています。松園の余白のとり方は抜群で、たとえば‘鼓の音’と言う作品では、余白を通じて鼓の音がこちらまで聞こえてくるような感じが致します。
 その他、横山大観、竹内栖鳳、福田平八郎らの絵が展示されていました。なかなか見ごたえのある大作ばかりです。上村淳之の‘姉妹’と題する絵が印象に残りました。淳之さんといえば花鳥画しか浮かんできませんが、この絵は珍しく、祈りを捧げる美人姉妹を描いた静謐な人物画です。
 美術館の周りは木々に囲まれた庭園になっていて、近鉄の故佐伯勇さんの旧宅が残されています。お庭で薄茶を一服頂きました。残念ながら紅葉はまだまだでした
 余談ながら、私は友人と松伯美術館へ行きますと、その後必ず行くフレンチのレストランがあります。西登美ガ丘5丁目にあるラ・カシェットと言うレストランですが、コストパフォーマンスが素晴らしい。あの料理、大阪で食べたら倍はするでしょうね。松伯美術館→ラ・カシェットのコースをお勧めします。良い絵を見るとお腹すきますものね。

Shall we 茶の湯?

2006-11-13 11:06:35 | Weblog
 18日土曜日、NHK学園の短期講座‘Shall we 茶の湯’に行ってきました。これは茶の湯と英語のコラボレーションで日本の伝統文化‘茶の湯’を英語で教えるといったものです。講師は、NHKの番組‘英語でしゃべらないと’に出演されたカナダ人のランディ宗栄さん。先月の風炉の時期に一回、今月炉になってから一回と二回の講座ですが、一時 三時 六時と一日三回行われ 十数人づついるようですので合計50人ほどの日本人が、外国の方から裏千家のお茶を教わったわけです。
 私がなぜこのような講座を受講したのか?外国人から日本文化を教わるなんてばかげたことだと決め付ける方もおられますが、私はそうは思いません。読売新聞土曜日に連載されているドナルドキーンさんの随想録を読んでいましても、並みの日本人よりはるかに日本文化に造詣が深い(学者ですからあたりまえですが)。数年前にもニュージーランドのクライストチャーチの大学で茶の湯文化を教えておられる現地の教授のお宅を訪問したことがあります。大学で教えておられる資料を頂くと、すごく詳細に亘って茶の湯を論じているのに驚きました。どうしても我々日本人は、日本文化に対してステレオタイプな考えを持ってしまいますが、彼らは自由に発想して彼らの土壌に立って日本文化を眺める。それは私にとってとても新鮮に写りました。
 茶の湯に関しても、外国の方なりの捉え方に関して大変興味がありました。我々のクラスは12人でしたが、英語についても初心者から上級者まで、また抹茶も飲んだことすらない人もいます。ランディ先生は7割ほどを英語で後の3割は流暢な日本語でお話されました。英語は勿論ナチュラルスピードですから、大半の人は理解できなかったのではないでしょうか。お客の作法を中心に教わりましたが、畳目なん目に座るとか、あまり我々の流儀ではこだわらないことまで細かく注意されたのは閉口しました。技術的な話が多く、精神論までつっこんで話が出来なかったのが残念でした。最後に先生が‘官休庵で点前をして欲しい’とのご指名を受け、薄茶を点てさせていただきました。
 少々期待はずれの感も否めませんが、一期一会、ランディ先生とも交友を深めたら、きっと先生から本音の部分も聞き出せるのではと思います。早速、メールを送って今後ともお付き合いをしてみようかなと考えているところです。

メルボルン

2006-11-09 14:54:18 | Weblog
 先週は豪州のメルボルンへ行ってきました。下の娘がワーキングホリデイビザを取得して一年間向こうで生活しているものですから、父親としては気がかりになって、上の娘と共に生活ぶりを視察?に行ったわけです。娘にとってはおせっかいな親でさぞ迷惑だったとは思います。
 旅としては大変楽しかったです。着いたときの大雨にこの先どうなるのかと気をもみましたが、ほどなく天候が回復し、その後はお天気続きでした。引っ込み思案だった娘が、たくましく成長しているのを目の当たりにして、眼を細めたのも事実です。
 さて忙しい旅の間隙をぬって、現地で裏千家のお茶を教えておられるY先生のお稽古場を拝見する機会に恵まれました。閑静な住宅地の中にその御邸宅はあり、洋間に畳を引きつめ、襖の替わりに引き戸をうまくお造りになっていました。日本と違い、抹茶を始め様々なお道具や消耗品を調達されるのは大変だなと思います。またお茶会も頻繁には行われないですから、なかなか横のつながりも付けにくいのでは想像しますが、きちんと上物の着物を召されたY先生は、流暢な英語でロジカルに解説されていたのには感心しました。お稽古に来られていた社中さんも皆さん着物を着られ、日本の稽古場より日本的な感じが致しました。また外国での稽古ですから、薄茶を繰り返し稽古されている(実際我々の稽古場は、ほとんどが薄茶しか稽古しない場合が多いですから)だろうと思っていましたら、なんとお炭の点前をされ、また重ね茶碗でお濃茶を頂きました。日本でも他流の炭点前は見たことなかったですから、大変勉強させていただきました。メルボルンで見せていただいたことが意義深かったと思います。Y先生本当に有難うございました。
 帰国早々、お稽古がありました。床の掛物は、先々代家元愈好斎の弟子であった日本画家の服部春陽の柿の絵に、愈好斎が賛(さん)絵にまつわる詩とか句)を書いていました。自分で絵を描いて賛(字)を書いたものを自画賛と言います。
 花は紅白の椿に、万作の照葉が添えられ、まさしく秋本番を思わせるお床のしつらえでした。外国もいいけど、やっぱり日本は素晴らしい。