できるだけごまかさないで考えてみる-try to think as accurately as possible

さまざまなことを「流さずに」考えてみよう。"slow-thinking"から"steady-thinking"へ

菅総理はすでに精神錯乱に陥っているのではないか

2011-05-23 23:47:30 | Weblog

ちょっと別な話から。今日たまたま見ていた「NHKニュース7」と、「報道ステーション」で、「福島の父母たち」が文科省を訪れ、許容被曝量の基準を、現行の「20mSv/年」から、「1mSv/年」に引き下げろ!と要求したとのこと。この福島の父母たちの方々の中に、先日ブログにしたETV特集に出ていた「父母たち」と同じ顔がちらほらあった。

 

 

この、立っている二人である。まあ当然といえば当然かも知れないが、きな臭いとも感じる。これについて詳しくは明日以降に。映像を整理するのに時間がかかるもので。

 

その「報道ステーション」では、今日の国会で、大震災の翌日に福島第1原発の原子炉への海水注入が一時中断していたことが争点になっていたことと(特に昨日今日の読売新聞が詳しく扱っている)、

いわゆる「被災地」では、「そんな話をしているヒマがあったら、現地の復興をどうするのか具体的に議論せよ」と語る「一般国民」の声を対比させ、例の

「政府や国会は何をやってるんでしょうかねぇ~(ため息)」

とやるという、水戸黄門と同様の「いつものシーン」を展開していた。

 

海水注入が途中で中断していたことが事実であり、もしその海水注入中断によって被害が広がったとすれば、明確な「人災」の範囲が広がるわけで、そのことで政府や東電が原発の被害者へ支払う補償金の手厚さも変わってくる。そういう意味で、国会が今やっている議論は、これまたこのブログで繰り返しているように、ほんの少しの想像力さえあれば「被災地の事情と大きく関係すること」であると気づけるレベルのもののはずである。にもかかわらず、少なくともテレビ朝日の報道ステーションのスタッフと古舘伊知郎と横にいる女子アナ、コメンテーターの朝日新聞論説委員の五十嵐浩司(こうじ)は、この程度の想像力すらないらしい。TVタックルの最後にこの番宣を見て「あれ?このデモやってる人って、ETV特集で見た人と同じ人々では?」と思ってしまったせいで報道ステーションまで見ることとなったが、相変わらずこの番組は、「政府や国会(議員)が悪い」という結論に持って行けさえすれば何でもアリの、実に下劣な番組だと言わざるを得ない。

 

で、また話が横道にずれてしまったが、今日書きたかったのは、菅総理がすでに精神錯乱状態に陥っているのではないかという、表題についてのことだ。

週刊新潮4/21号で佐々淳之が、震災復興会議の人数が多すぎることを批判していた。曰く、「こんなに人数が多いと、決まることも決まらない。私がやっていたときは(以下略)」と、「かかわる人数の多さ」をキーファクターとして菅総理を批判していた。

これは、3月末の、大震災の後初めての朝生での猪瀬直樹の発言とも合致する。例の、東京都消防局の特殊レスキュー隊が注水するために現場に行こうとしたときに、

「菅内閣には、危機管理部門だけで6つもあって、話が全然通らなかった。だからこれだけ日数がかかったんだ」

と言っていたことを私は覚えている。危機管理部門だけで6つあるってどういうことだよ。何の危機も管理できない内閣だと言っているのと同じだ(笑)。

 

今、実際に動いているはずの「震災復興構想会議」とやらも、増税を否定しないという点だけはリピートしながらも、それ以外の点では当初から予想されていたように「会議は踊る、されど会議は進まず」そのものの様相を呈している。

今日の国会でも、菅総理は「私は言っていない」という主旨の発言をひたすらリピートするだけである。要するに「私に責任はない」と言いたいだけなわけだ。

 

かつて2009年秋に民主党が政権を取ったときに、現官房副長官の福山哲郎が、宮台真司と

『民主主義が一度もなかった国・日本』

という本(幻冬舎新書)を書いている。そこでは、ありったけのドヤ顔口調で、民主党政権がいかに地位にとらわれずに、誰もが誰ともケータイなどを使って自由にコミュニケーションができるかを自慢している。その福山哲郎も、今や、野党側に少しのアラも探されないように、能面のような顔で仕事をしているだけである。官房副長官に、その民主党政権の自由さとやらで、さぞかしたくさんの「要望」や「情報」が行っているのだろうが、彼の口からは全くそのような言葉は出てこない。出てくるのは、例えば

「外交上の出来事ですから機密事項です!(キリッ!!」

くらいなものである(くわしくはこのブログのここを参照)。自民党政権も真っ青の情報統制内閣副官房長官(笑)である。

 

内閣や国会がこんな中でも、昨日の日曜日だけは、中国の首相と韓国大統領を日本に招き、「日中韓サミット」なるものを開き、新聞写真でも、菅総理は一応「満面の笑み」で3人で握手している。その「サミット」とやらの「実(じつ)」は、ほとんどなかったことを菅総理はどう捉えているのか。

今日の読売3面にもあるように、中国が日本からの輸入緩和を発表したと言っても、輸入禁止と指定していた12都県から山梨県と山形県を外しただけで、その影響はきわめて限定的である。韓国に関しては、「科学的証拠に基づき必要な対応を慎重に取る」ことで合意しただけで、何ら規制を緩和したわけではない。

そんな、「実(じつ)」のない会談にうつつを抜かすヒマがあったら、それこそ、「何をどうするか」という意思決定のプロセスをできるだけ簡素化するための知恵を練る日曜日にしなければならないだろうに。中韓の代表を日本に招くだけで、どれだけの警備体制を敷かなければならないかなどのことについても、この総理は全く想像力が至らないらしい。

 

こういう現状を見るにつけ、もう菅総理は壊れていると推測せざるを得ない。

・復興構想会議に代表されるように、とにかく、「関わる人数が多ければ民主的」であって、その人数の適切さや、人数が多いことのデメリットにも考えが及ばない。

・「関わる人数を多くすること」で、いざとなっても「私は悪くない」という布石にもなると踏んでいる。今日の国会での総理答弁がそれを雄弁に物語っている。

・何をしていいかわからないからこそ、「日中韓サミットで笑顔を見せれば国民への良いアピールになるはずだ」という、一番幼稚な演出しか頭に浮かばない。そこで得られるcostとbenefitの比較衡量すらできない。

 

 

菅内閣と言うより、菅総理自身が、すでに壊れている。頭がオーバーヒートしている。一度焼き切れたエンジンはもう元には戻らないのだ。

 



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