思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

リフシッツの再録音、「ゴルトベルク変奏曲」は、豊かでみなに開かれた普遍性をもつ最高のバッハだ。

2018-04-21 | 芸術



豊かで、多面多色、幸福感に満ちたバッハ。

伸びやかで自由、自己に閉じるのではなく、皆に開かれた音楽。

人間味豊かで自然。リフシッツはグールドのような沈み込みがなく悦ばしい。

しみじみと優しく、一音、一フレーズに情愛がこもっている。

リズムがよく、パワフルで推進力が強く、実に気持ちが良い。

 

これは、みなが納得する大きな普遍性をもった最高のゴルトベルク変奏曲で、

リフシッツが、18歳(17歳の最後)のときに録音してから20年が経った2012年、36歳時の再録音です。



 

 

 

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かつての名演が色を失う、恐るべきノット・東響のブルックナー9番(2018.4.15)

2018-04-15 | 芸術

正直言うと、今日の演奏会は、あまりに凄過ぎて、感想の書きようがない。

マーラーの最後の作品となった10番のアダージョから始まった。透明で凝縮された美しさだが、硬質さは全くなく、情愛に満ちた名演。

次にブルックナーの最後の交響曲9番。これはかつて聞いたことのない超ド級の名演で、二楽章のスケルツオの剛毅かつ柔軟な迫力には開いた口がふさがらない。心臓が高鳴り、感動から涙が出そうになった。スケルツオで泣けるとはどういうことなのか。

3楽章アダージョの強靭さにも舌を巻く。なぜこんなにも豊かで、触れるような実在感があるのか。9番は4楽章を完成する前にブルックナーは死去して未完成だが、これでよいと強く感じた。シューベルトの未完成と同じで、このアダージョの後には何も付け足してほしくない。

 司祭の息子なのに(だからか?笑)ノットは、神を志向したブルックナーから神を消して、人間への愛の音楽に変えてしまった。宇宙でもなく、神でもなく、人間。心身全体で生きる人間への賛歌だが、それは眩い輝きを放つイデアとしての人間、あるいはニーチェがいう超人のようでもある。善美に憧れ、強く豊かな肉体をもった人間への賛歌で、その美しさのエネルギーに呆然となった。

 これほど深く大きな感動をもった9番の演奏はかつて聞いたことがない。間違いなく歴史に刻まれるであろう超名演の中にいる自分の幸せをひしひしと感じた。

(昨日のサントリーホールでの演奏は、NHKが収録したとのことですし、今日の川崎ミューザの演奏は、オクタビアレコードが収録していましたので、SACDで発売されるはずです。)

武田康弘

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ウソでも恥じることなく堂々と。どのようにして安倍晋三という人間はつくられたのか?

2018-04-13 | 社会批評


安倍少年と祖父の岸信介


 東条英機と共に国家神道に基づく政治家の代表者であった岸信介の孫が安倍晋三ですが、彼は、幼いころから両親の愛情に飢え、お爺さんの岸信介を敬愛して育ち、小学校からエスカレーターで成蹊大学へ進みましたが、小学生のころから勉強嫌いで宿題はお手伝いさんに任せていました。

 宿題はお手伝いさんがやってくれる、という幼いころの経験は、ズルしても平気、黙っていれば分からないという心をつくります。進学もエスカレーターですから気楽です。大学に赤いアルファ・ロメオで乗りつける、とは学友たちの話ですが、複数の成蹊大学教授は、彼の勉強嫌いを困ったものと話しています。ただし、鼻っ柱だけは強く、お爺さんの岸の話を信じて他者をやり込める攻撃性は幼いころから。

 加藤節成蹊大学名誉教授が公言しているように、一度も授業に出ず「不可」となりましたが、それでも留年することなく裏口卒業で、大学を出ました。家系に権力があれば、なんでもOKという体験を繰り返せば、ウソもウソとは思わず、堂々としていられる人間が誕生するのは当然です。

 周りの人が自分に気をつかって、なんでもやってくれる、そういうものだ、という心。忖度されるのは慣れっこですから、何か不都合なことが起きれば、それは忖度した人間が悪いのであり、自分は関係ない、となるのです。非を認めず【情】がないと、お父さんの晋太郎さんはいつも嘆いていたとのこと。

 彼は、多くの人は、中身・内容を検討するのではなく、顔つきや態度で物事を判断すること(内容ではなく形式が大事)を育ちの中で学びましたので、しゃべり方で乗り切る、相手を恫喝しつつも好感の得られる態度はどういうものかを学び、論敵には形式上の言い方や態度を問題にすることで優位に立とうとします。悪しき日本人文化の見本です。日本人は精神的自立のない人が多数ですから、エリート家系の人間や上位者に恫喝されると手もなく従うのです。哀しき性。

 民主政とは本質的に相いれない「戦前思想」(=国家神道)への傾倒から、戦前思想を流布するお友達、八木秀次麗澤大学教授を各種諮問委員に任命して活躍させているのは安倍首相の本質をよくあらわしています。八木は「日本国憲法」を否定し、「明治憲法」を称揚します(『明治憲法の思想』PHP新書)。また、戦後日本をダメにしたのは、欧米がつくった人権思想であり、われわれ日本人は「人権」という言葉に怯えず「国民の伝統と常識」に戻るべきとして『反人権宣言』(ちくま新書)を書いています。

 また、今年1月に自殺したウヨクの論客・西部邁に傾倒し、大きな影響を受けましたが、当の西部は遺言で対米追随主義の安倍首相を痛烈に批判しています(余談ですが、29年前=1989年に彼が我孫子に来たとき、200人の聴衆の前でわたしが西部さんを論難し立往生させたのは、よい思い出ですーこの直後に日本オラクル初代社長となった友人の佐野力さんは一部始終を見ていた証人)。

 中曽根康弘首相時代に官房長官を務め、カミソリとあだ名された後藤田は、「安倍君だけは総理にしてはいけない」と言いましたが、それが至言であったことは、いま、誰の目にも明らかになっています。民主政治にとって最悪の首相がいまもなおその座にいます。彼がウヨク思想に学び身に付けた「日本の伝統」というアナクロニズムの思想を自分の宗教として政治を行うのは、個々人の対等性と自由の相互承認に基づく「近代民主政社会の原理」に反する悪行であり、これを許すなら、日本は民主国家をやめて神道国家へ逆戻りするほかありません。文科省がその意向を受けて進めている愛国思想に基づく道徳教育により、幼いころからの馴致(洗脳)教育が進んでしまいます。日本人の個人としての精神の自立はますます得られなくなります。


武田康弘

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「安倍君は、不可なのに、裏口卒業」ーー成蹊大学名誉教授・加藤節

2018-04-11 | 社会批評
以下は、fbよりシェア。
 
奥田 ころこ

裏口入学は聞いた事あるけど、
裏口卒業は初めて聞きました😅

多胡賢二さんよりシェアしました😌

今日もいいお天気で👌です。
ところで❗️森友学園への国有地売却に関する決裁文書の「捏造」という言葉に関わって一つ思い出しました。
安倍首相は成蹊大学法学部政治学科を成績表を捏造してもらって卒業してたんですね。

在学中から安倍を知ってる加藤節成蹊大学名誉教授は、次のように公言されてます。「安倍くんは必修科目の政治学の授業に一度も出席していなかったので、卒業できないと思っていた。ところが、安倍くんは留年もしないで卒業したんですよ。裏口入学あるのは知ってましたが、裏口卒業というのがあるのを知って、驚きました」そして、さらに「安倍くんには早く総理を辞めてほしい」とも言っておられます。

加藤教授が安倍の政治学の成績を「不可」で出されているのに、大学に安倍晋太郎またはその秘書から圧力がかかってので、大学の事務職員が「可」またはそれ以上の成績に捏造したようです。

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リフシッツ、1994年、中等学校卒業の17歳時に録音されたバッハのゴールドベルクにブラボー!

2018-04-10 | 芸術

 

コンスタンチン・リフシッツ、1994年、モスクワの音楽大学付属中等学校卒業時に録音されたバッハのゴールドベルクのCDを聴きました。


有名なグールドのゴールドベルグとは世界観がまったく異なり、明るく開放的で、はちきれんばかりの若さに溢れ、聞いているとどんどん元気になります。心身にパワーが漲り嬉しくなるバッハです。瑞々しくたまらないほどエネルギッシュで、ブラボー!と叫びたくなります。なんて素敵なピアノなのでしょう。あっという間に80分が過ぎてしまいます。

このジャケットの写真は17歳時ですが、
3月25日に所沢ミューズで聴いた「パルティータ全曲演奏会」の時の顔と同じです。
楽譜は置かず、視線を上にして遠くを視る、そして、正面や横を向くときは、目を閉じて弾きます。

リフシッツ、名前すら知らずに聴き、衝撃を受け、唖然・呆然。自然態で、自由で、多面多色で、呆れるほどの上手さで、パワーに溢れ、快感!
でしたので、帰ってから慌ててネットで調べ、このCDを購入しました。17歳にしかできない見事な演奏です。ゴールドベルグは最近の再録音もありますが、それは未聴です。



武田康弘

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モモを取り巻く世界は、時間泥棒の「灰色の男たち」というきみょうな病菌におかされています。学校時間も労働時間も世界一の日本。

2018-04-09 | 社会批評

「モモを取り巻く世界は、「灰色の男たち」というきみょうな病菌におかされています。
びとは「よい暮らし」のためと信じて必死で時間を倹約し、おいたてられるようにせかせかと生きています。
子どもたちまで遊びをうばわれ、「将来のためになる」勉強を強制されます。
この病気の原因に気づいて警告しようとする人は、ベッポのように狂人として精神病院に隔離されるでしょう。
夢に生きているジジは、この世界では巨大な情報産業におどらされる操り人形のような作家になります。
こうして人々は時間を奪われることによって、ほんとうの意味での「生きること」をうばわれ、心の中はまずしくなり、荒廃してゆきます。それとともに、見せかけの効率のよさと繁栄とはうらはらに、都会の光景は砂漠と化してゆきます。」(『モモ』訳者あとがきー大島かおり)

 ミヒャエル・エンデが1972年に出した『モモ】は、本国ドイツのみならず、世界中で大ベストセラーとなりましたが、この童話がきっかけとなって、ドイツでは労働時間短縮の国民運動がおこり、いまのドイツがあります。

 わが日本は、労働時間もこどもたちの学校拘束時間もダントツ世界最長です。おどろくほど非人間的な環境で人々は生きていますが、羊のようにおとなしい(そのように教育で馴らされた)日本人は、声もあげず行動も起こしません。そうなので問題は改善されるどころか、裁量労働という名の残業代ゼロ法案を通すことに、安倍内閣はいま燃えています。

 自然児の少女モモは、いまどこにいるのでしょう。日本人にも心があると信じたいですね。


武田康弘

 

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愛国心の育成とは、道徳を破壊してしまう教育なのです。

2018-04-06 | 教育

道徳を可能とする条件は、自分以外のものへの想いを馳せる心があるか否かです。

他者を愛する心のない自分への愛は、エゴイズムに陥るだけのことですが、

他国を愛する心のない自国への愛は、おぞましい思想と生き方をつくるだけです。

愛国心を育てるという教育は、道徳としては不成立なのです。

自分の国を愛することが道徳となる条件は、他国を愛する心があることです。

それは、自分を愛することが道徳となるには、他者への愛が不可欠なことと同じです。

こういう基本を押さえないと、戦前の愛国主義と同じ思想教育にしかなりません。

政府と文部科学省の人々は、人間とは何かというフィロソフィー(存在論)を知らなければなりません。

そういう努力のない道徳教育ほど危険なものはないのです。

 
武田康弘

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明治維新がつくった精神は、エゴイズムです.今年で150年.

 

2018-02-11 | 恋知(哲学)

 


対米戦争を決定した二人
=岸信介(安倍晋三の祖父)と東条英機
「戦前思想」(天皇現人神という国家エゴ
イズム)の政治家の代表者。


 何がよいのか、ほんとうなのか、と問うことなしに、
自己の利害損得、家族の利害損得、所属する組織や団体(学校・会社・役所・組合・サークルなど)の利害損得、自国の利害損得、に固執して、「閉じた」世界に生きれば、それはエゴイズムです。

 個人エゴイズム、家族エゴイズム、組織エゴイズム、国家エゴイズム。

 明治政府の富国強兵政策は、一人ひとりの私の欲望を愛国主義のもとに国家への欲望として統一し、滅私奉公を合言葉にしましたが、これは、広く世界に開かれた関心・興味・欲望ではなく、日本に閉じた関心・興味・欲望でした。
 日本国家という概念は、あくまで言葉=概念ですから、それを目に見えるものとする必要が、天皇とその家族=皇室でした。日本を象徴する特別な人間・家族を置くことで、国体という概念を子どもにも分からせようとする政策で、小学1年生から天皇像を毎日拝ませ、日本国への忠義の心=愛国心を養ったわけです。

 「閉じている」というのがエゴですが、個人のエゴを開かせるのではなく、閉じたまま国家レベルに拡大するのが「国家エゴイズム」です。明治以降、よく「日本に哲学なし」といわれるのは、私を開いて、普遍性のある「よい」を探求する営みがなく、私を国へと拡大して利害損得を求める日本のありようが必然的に生みだす精神です。

 だから、公(おおやけ)と呼ばれる国家(天皇や皇族はそれを象徴する役割を担わされている)と、閉じた私(エゴ)はセットですし、
開かれた私(普遍性を目がけるわたし)と公共性(市民みなのという意識がつくる社会性)はセットです。

 私を活かさないと(開かれた私でないと)公共性はつくれませんし、逆に、公共性を生むためには、開かれた私である必要があります。

 後者を現実のもとのするには、幼いころより自分で考え・意見をもてるようにする子育てが必要です。自分が何かをした、どこかに行ったという「事実」ではなく、自分はどう思い、いかに考えるか、それをどのように語るか、という「意味」充実の世界がつくれないと、「はじめの一歩」が歩みだせないのです。

 戦前の国家エゴイズムは、戦後は個人エゴイズムになりましたが、このエゴイズムの不毛性からの脱却は、これからの最重要な課題と思います。
明治維新の深く大きな負の遺産を清算しないと、日本の未来が開けませんし、一人ひとりの幸福はつくれないでしょう。



 

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西側から東側へ? バッハ演奏にみる文明の転換点 グールドからリフシッツへ

2018-04-02 | 芸術

 

グールドのバッハは、その玉を転がすような美音による沈潜で、麻薬的な効果をもち人を虜にします。神経を病んでいる現代人の癒し。

ペライアのバッハは、美しい絵画を見るようで、豊かな和声による美音で惹きつけます。洗練されたエンターティナーが奏でる贅沢な一時。

でも、昨日の文化会館と先週の所沢ミューズで聴いたリフシッツのバッハは、素朴で自然、かつ圧倒的なまでに多面的で多色、音楽の豊かさは驚くほど

 

うがった見方をすると、西側の最高峰が東側の大きさ・パワーと精神的な深みに負けているのではないか。
いま、人類文明が転換点に入ってるのかもしれない。東側のコパチンスカヤにしろクルレンツィスにしろ、自由さとスケールと精神の自立において桁違いの人間と音楽だ。


   


武田康弘

 

 

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東大?官僚?金メダル!?超がつく単純人間の集合=ニッポンは、儀式・形式主義の忖度文化に沈みます。

2018-03-31 | 教育


忖度文化ではない超自立パワーの二人(笑)
芸を仕込まれたアシカではありません(笑)

昼間テレビを見ると、おそろしいまでに単線的な価値意識の披歴に吐き気をもよおします。

なんでも答える博識が偉い? 
天才!?というので見ていると暗記マシーンのこどもが登場! 
あげくに、東大生を天才と言う始末(笑)

いまの芸能人が支配する日本のテレビが示す基準で言えば、クイズはできず、博識でもなく、高校は落第し、大学入試も失敗した(数学の才能ありで特別に拾われた)アインシュタインのような人は、「大したことないおじさん」にしかなりませんね(笑)

知的好奇心に富み創造力に優れた頭(自立した精神)は、受験知頭(パターン知と暗記の忖度精神)とは二律背反であることさえ弁えぬようでは話になりませんが、単なる「事実学」の累積が学問と信じるニッポンは、本質学・意味論とは無縁の知で溢れます。おそらく本質学(論)と言っても何を言われているのか分からぬ人が大多数でしょう。

どうしてここまで堕ちたのか。

こういう「優秀」人間!ばかリでは、仰々しい儀式をありがたがり、上位者に従う「忖度文化」を自ら生きるよりほかの生き方は不可能です。一人ひとりの個人がもつ価値以上の価値はないという民主的公共社会の思想の原理を知らず、ただ組織や団体(最大のものが国とされる)が暗黙のうちに示す価値に合わせるのでは、人間にはよろこびが得られず、輝かず、艶は消え、精神は死んでしまいます。

わたしの存在、わたしがここに存在することが価値であるという不動の出発点を失って、外なる絶対=一番を求めるのは、底なしの愚か者の行為です。いまは、国全体が狂気に陥っていくように思えますが、凝りもせず、再び戦前の天皇陛下万歳の忖度文化へ、では酷すぎる話です。いつまで明治政府のつくった「天皇教」=「外なる一番文化」=「忖度文化」を続けるのでしょうか。

生き方=考え方の革命が必須です。「民主的倫理に基づく実存としての生」を追求することがよき生の基盤であり、はじめの一歩ですが、まだ「はじめの一歩」が歩みだせません。



武田康弘

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待望のペライアのベートーヴェンピアノソナタ29番14番ー「美しさによる覇気」という新たな世界。

2018-03-30 | 芸術

 

 ベートーヴェンのヘレン版校正作業を続けているマレイ・ペライアは、録音に恐ろしく慎重で、ようやく29番(規模も内容も最大のソナタ)と14番(月光)が出ました。待望の新録音です。

 わたしが敬愛するペライアですが、ベートーヴェンの録音は少なく、あまり得意とはいえません。彼の美音・濃やかさと、ベートーヴェンが要求する反世俗的な理念・精神の強靭さ・不退転の意思が合わないからです。

 で、結果は、ウン、素晴らしい!
 史上最美の演奏と思います。ていねいで、優しく、美しい。美しさのもつ強さで新しいベートーヴェンをつくりました。ペライアは自身の特質に徹しています。柔らかみのある粒の揃った美音が得難い魅力を放ち、何度でも繰り返し聴きたくなります。もう8回聴きました。

 最大のソナタ29番は、豪胆な覇気ではなく、「美の力がもつ覇気」とでも言うべき新しい演奏で感嘆するほかはありません。豊かな和声は、交響曲のような広がりをもちます。
 月光ソナタは、もともとペライアの美質にあった曲ですが、濃やかで緻密な美に唖然とします。出だしから辺りを照らす月の光が目に見えるようです。 
 二曲ともに迫力も十分ですが、キツくならず、柔らかみと余裕感のある打音です。音の粒が見事に揃い、実にきめ細かく技術的にも最高の演奏で、さすがというほかありません。
 月光の第三楽章の強打は、キレと思い切りがよく爽快で、かつてのペライアにはなかった強さに打たれます。70歳にしてこういう前進ができるとは、驚きです。それに二曲とも躍動感に溢れ、若いころよりもダイナミックで気持ちのよい演奏です。growing young!

 動的にして完璧なる美としてのベートーヴェン、それが彼の出した解答です。あまりにも美しい音と演奏で、ベートーヴェンの曲のイデーとは異なる点もあると思えますが、強弱や緩急を含めて、抗しがたい魅力の塊であること確かです。だれよりも和声を重視し、交響的な広がりと大きさを特徴とするペライアは、もとよりベートーヴェンのもつ大きさをあらわすには最適ですので、豪胆さや強靭さには不足しても、「美による覇気」は、新たな世界を拓いたと言えるでしょう。

 

 

武田康弘

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衝撃のバッハ体験ーコンスタンチン・リフシッツのパルティータ全曲演奏会(所沢ミューズ大ホールで)

2018-03-26 | 芸術

ロシアとその周辺の「東側」出身の演奏者のスケールの大きさと根源性には、目を見張るものがあり、その底知れぬパワーに圧倒されてしまいますが、

昨日はじめて聴いたウクライナのコンスタンチン・リフシッツのバッハには、わたしのバッハ観がひっくり返る衝撃を受けました。今までの演奏は、バッハがつくったたくさんの部屋に「私」という個性をもつ人間が住んでいなかったのだ!

それがどうだろう、抽象的なあるいは一般的な人間ではなく、豊かな感情をもったわたし、万華鏡のように変わる心模様をもつわたしという人間が生き生きと動き回る。ロマン豊かな人間、形式や儀式ではなく、内容で生きる人間が実在していた。

ニッポン的「事実学」とは全く無縁の、普遍的な意味論の世界が繰り広げられ、音は輝き飛びまわり、多彩な色で溢れ、ホールは虹色に包まれた。ああ、そうか、1番2番3番4番5番6番、全曲を聴くことではじめてバッハの世界は分かるのだな、覚醒した。つまみ食いでは広大なバッハの宇宙は分からない。

かの有名なグレン・グールドのバッハは、神経質で、一面に強く光をあてた演奏でしかなく、コンスタンチン・リフシッツの多面性、豊かさと大きさはもっていないと感じ、作曲家の清瀬保二さんが弟子の松橋桂子さんに「君、これはバッハではないよ(一度目のゴールドベルクを聞いて)」と言った意味が分かったように思えた。

バッハがこんなに面白く内容豊かで色模様に富み多面的な世界だったとは、う~~ん、たまらない。で、このとんでもないレベルのピアニスト=コンスタンチン・リフシッツの超がつく長時間演奏会のS席が2500円!これはどういうこと。この後、上野の文化会館でバッハの協奏曲の全曲演奏会(弾き振り)があり、残席がありそうなので、みなさまもぜひどうぞ。わたしも今から電話で購入します。こちらはS席7700円です。

 

なお、昨日の全曲演奏会は、その後、アンコール(バルトークの「ミクロコスモス」の第6巻の1と6で、これまた強烈な演奏)とサイン会まであり、ただ驚き。15時に始まった演奏会は、18時45分まで。その後19時よりのサイン会でした。

   

 


 武田康弘

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税金で秘書がつく人が、私人であるはずがありませんー安倍昭恵氏の異様な処遇の問題

2018-03-24 | 社会批評

公費=税金で秘書がつく人が、私人であるはずがありません。

昨年、森友問題で渦中の人であった昭恵氏には、経産省と外務省から五人の秘書が派遣されてついていました。
大臣の秘書(正式名称は秘書官)は、各国務大臣に一人です。最高裁と高裁も同じく一人です。
安倍首相夫人の昭恵さんには、五人(常設は二人)ついていました。

安倍内閣は、閣議で、昭恵氏は私人であるとしましたが、そうならば、使ったお金(諸費用)は公金横領になります。


武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室・客員調査員)

 

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わたしの考える六方拝 

2018-03-23 | 私の信条

わたしの考える六方拝 
(感謝の祈りを捧げることは、よく生きるための普遍的な営みと思います

すべては縁により起こるので、感謝するのは、気持ちがよいことです。心のありようですから、作法などはありません。

 
父母や祖父母にー過去   
子と孫とその母に ー未来  

教えを受けた人や先生に  
友人や教え子とその父母に 

雲と青空と太陽に     
海と大地に        


写真はいま、屋上から。

武田康弘

 

 

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わたしは、ロリコン?ババコン?異性愛?同性愛? うん、ううん、人間愛。

2018-03-19 | 恋知(哲学)

わたしは、幼子が好きです。子どもが好きです。若者が好きです。お年寄りが好きです。女性が好きです。男性が好きです。

国家とか、会社とか、役所とか、学校とか、特定の団体とかは、好きではありません。そういうものは愛しません。

一人ひとりの人間を愛します。

 

愛がいっぱい。

それは、一番健康・健全な心身のありようです。

愛とは、スキンシップの愛があり、心で想う愛があり、お世話する愛があり、性愛があり、慈しむ愛があり・・・・

愛とは、プラトンによるソクラテスの対話編「饗宴」にあるように、大元はエロースの愛です。エロースの愛を邪(よこしま)なものとみる宗教思想には、普遍性がないのです。元から嘘です。

 

愛する、愛される、とは、互いの人間存在を肯定し認め合うことですが、十分に愛されずに、型通りに育てられた人には、それが分かりません。

受験主義で点数競争をするように誘導された人、損得勘定ばかりを身に付けられた人、特定の宗教思想を仕込まれた人、身体的な愛を邪なものという考えを仕込まれた人は、柔らかで豊かな人間性をもてません。なんでも型どおり、規則づくめで、束縛された人生を歩む不幸な人になります。

それは、愛がない人生、愛がない生活で、生きるに値しない人生ですので、代わりに勝ち負けを競う生き方になります。金品欲と権力欲と他者に優越したい欲で生きるのです。

そういう不幸な人は、自己の不全感から、人間性の豊かな愛の人生を送っている人を逆に悪者とし、排除しようとします。自分と同じ不幸な人生でないのは怪しからん!というわけです(笑)

みな型どおりになれ、みな束縛された人生をおくれ、みな既成秩序の奴隷となれ、自由と愛はケシカラン。

組織を愛し、国家を愛し、神を愛するというのは、逆立ちした精神です。どこにも実在しないもの=概念を愛するのは、怖ろしいことと思います。愛するのは人間であり、さまざな生命です。いま目の前に存在する命です。豊かな愛を育て、愛を広げ深めることが人間の生きる意味です。おかしな観念の奴隷になって一生を送るのは根源的不幸です。

 

5年前の「愛情と理性、エロース」もぜひみてください。


武田康弘

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これが核心=真実、とわたしも確信。森友問題ーリテラの記事。

2018-03-18 | 社会批評

http://lite-ra.com/dev/print/?url=http://lite-ra.com/2018/03/post-3873.html

安倍首相がまたも大嘘答弁! さらに土地取引に首相も関与との情報も…安倍首相が頻繁に会っていた「もう一人のキーマン」とは

2018.03.15
abe_01_20180314.png
自由民主党HPより

 この期に及んで、安倍首相の虚偽答弁がまたも発覚した。問題となっている決裁文書改ざんの事実をいつ知ったのかと昨日の参院予算委員会で問われた安倍首相は「11日に報告を受けた」と答弁したが、これがとんだ大嘘だったのだ。

 朝日新聞が決裁文書の改ざんを報じたのは今月2日のことだったが、その3日後の5日に、じつは国土交通省が書き換え前文書を確認して「書き換えられた可能性が高い」旨を首相官邸の杉田和博官房副長官に報告していたというのだ。

 5日には改ざんの報告を受けていたのに、「捜査に影響するので答えられない」などと12日の改ざん前文書の公表までシラを切ってきたことも国民をバカにしているが、問題は最初に紹介した安倍首相の昨日の答弁だ。

 きょうの会見で菅義偉官房長官は、国交省の報告を杉田官房副長官から6日に報告を受けていた事実を認め、安倍首相も「そうした動きがあることは承知している」と発言。ようするに、少なくとも6日には安倍首相は改ざんの事実を知っていたというのに、「11日まで知らなかった」などと嘘をついていたのである。

 安倍首相が息を吐くように嘘をつく人間であることは過去のさまざまな発言からもはっきりしていたことだが、まさか、ここまで国民から不信の目で見られているいま、すぐにバレる嘘を堂々と国会で答弁していたとは……。呆れてものも言えない。

 いや、そもそも安倍首相が改ざんの事実を6日に知ったという話自体、誰も信じてなどいないだろう。だいたい、これまでの安倍首相の行動パターンからいえば、朝日がスクープした時点でいつものように「朝日新聞のフェイクニュースだ!」とがなり立てていたはずだ。それをしなかったということこそ、改ざんの事実を知っていたということを如実に表しているだろう。

 実際、このことをきょう放送の『ひるおび!』(TBS)で作家の室井佑月氏が指摘したのだが、すると、“御用ジャーナリスト”の田崎史郎・時事通信社特別解説委員は、こんなことを言い出した。

「2日の報道を受けて、安倍さんは内輪の席なんですけども、結構、朝日新聞批判をされていたときもあるんですよ」
「予算委員会でやってたとしたら、言ってたと思いますよ」

 事前に知っていたかどうかの証拠が「裏では朝日バッシングをしていた!」って……。必死に安倍首相を擁護しようとしたものの、むしろ安倍首相の相変わらずな幼稚さを暴露してしまうとは。これこそまさに「惨めな言い訳」というやつだろう。

 

安倍首相が土地取引の段階で頻繁に会っていた「もうひとりの理財局長」

 本サイトでは何度も言及してきたが、今回の改ざんは、麻生太郎財務相が主張している「佐川宣寿前理財局長が国会答弁に合わせるかたちで書き換えた」というような話ではけっしてなく、安倍首相の「私や妻が関係していたということになれば総理も国会議員も辞める」という答弁に合わせて改ざんしたとしか考えられない。しかも、約300箇所にもおよぶ改ざんは役人の判断でやれるようなものではない。政治の力が働いていたことは明白だ。

 しかも、公表された改ざん前文書によって、土地取引に昭恵夫人が深く関与していたことがはっきりしたが、問題はそれだけではない。じつは、安倍首相自身が、土地取引の段階から何らかのかたちでかかわっていた可能性もあるのだ。

 というのも、森友学園と国の間で土地のゴミ撤去費用交渉が行われていた最中、安倍首相は国有地払い下げの“責任者”と何度も会っていたという事実があるからだ。

 たとえば、借地契約締結後の2015年9月4日、小学校建設工事を請け負った設計会社所長ら森友学園関係者が近畿財務局を訪ね、近畿財務局の統括管理官と大阪航空局調査係と話し合いをおこなっているが、この森友学園と国が面談した日の前日、安倍首相も官邸である人物と会っていた。その人物とは、当時、財務省理財局長だった迫田英典氏だ。

 首相動静によれば、15年9月3日午後2時17分、迫田氏は理財局長として、財務省の岡本薫明官房長とともに官邸入り。10分間、安倍首相となんらかの話し合いをもっている。しかも、その翌日の午後、安倍首相は国会をサボって大阪入りし、読売テレビの『情報ライブ ミヤネ屋』に生出演したあと、冬柴鉄三元公明党幹事長の次男の料理店「かき鐵」で食事。一方、昭恵夫人はそのまた翌日の9月5日に、森友学園の経営する塚本幼稚園で講演をおこない、その場で小学校の名誉校長に就任している。

 安倍首相と迫田氏が面談したのはこれだけではない。迫田氏は2015年7月に国有地を管轄する理財局長になってから、首相動静に記録されているものだけでも、7月31日、8月7日、9月3日、10月14日、12月15日と、半年の間に5回も会っているのだ。総理大臣が、主計局長や主税局長と違って傍流の理財局長とこんなに頻繁に会うというのは異例のこと。実際、前任の理財局長・中原広氏が総理と面談したのは在任中2回だけだった。

 

同郷の迫田元理財局長を目にかけていた安倍首相…迫田氏は安倍首相の名代だった!?

 じつは、迫田氏と安倍首相とはもともと密接な関係をもっているという見方がある。

迫田氏は東大卒で1982年に大蔵省入り、主計局次長などを歴任しましたが、事務次官レースの本命からは外れていた印象でした。ですが、迫田氏が内閣官房内閣審議官だったとき第二次安倍政権が発足、そのころに安倍首相から目をかけられていたと聞いています。迫田氏の出身は安倍首相の地元である山口県下関市。その縁じゃないかとも言われていましたね。そのためか2014年ごろには、首相を後ろ盾にして事務次官の目があるという噂も出ていました」(大手紙財務省担当記者)

 実際、迫田氏は理財局長になる以前、2014年7月からの総括審議官時代にも安倍首相と3回面談している。こうした親密さを見ていると、迫田氏は安倍首相の名代として、その意向を反映、もしくは忖度するかたちで森友学園に便宜を図っていたのではないかという疑念が頭をもたげてくるのだ。

 文書改ざん問題の本質は、なぜ〈特例〉の取引がおこなわれたのか、という点にあることは間違いなく、改ざん前文書を見ても、総理大臣夫人付き職員だった谷査恵子氏が財務省に送った「口利きFAX」の存在をとっても、昭恵夫人の存在が土地取引に「神風を吹かせた」ことはあきらかだ。だが、はたして安倍首相は、そんな妻の言動を黙って見ていただけなのか──。

 いまだに自民党は昭恵夫人の証人喚問を拒否しつづけているが、昭恵夫人のみならず、谷査恵子氏、そして迫田元理財局長の国会招致も実施されなければ話にならないだろう。

 

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