思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

実存  実存思想  とは何か?

2018-11-13 | 恋知(哲学)

実存ということばを西欧近代思想の文脈で定義するのはやっかいです。
キルケゴール、ヤスパース、ハイデガー、サルトル・・・・は、「実存」を各自が異なる意味で使っていて、厳しく対立もしていますので、統一した定義は困難ですが、

わたしのいう実存とは、日常語の延長としての平明な意味ですので、誰でもが了解できると思います。

人間は、物の存在とは異なり、意識存在です。そして、一人ひとりの人間は異なる意識をもつので、単に人間存在とは言わず「実存」と呼ぶわけです。各自が違う存在であることを前提にして人間を見るのでこの言葉を使います。

人間は、自分をとりまく世界を見て、なにかしらを感じ、想いをめぐらしますが、それは人それぞれです。とりまく世界だけでなく、自分自身も対象として見たり、分析したりします。
ある物事・事象を皆がどう見るか  ではなく、わたしにどう見え・
どう感じられか  につくことが、思考の「はじめの一歩」となります。

正直なわたしの心につくことで、「何がよいのか・ほんとうなのか」を考えることが始まります。みなが言うからという「一般的」な答えは、思考の出発点にはなりません。ほんとうに私が思うことから始めないと、ウソを前提にすることになり、思考は泥縄となってしまいます。

そういうわけで、一人ひとりが、ありのままのわたしを自覚する営みによって「実存思想」はスタートします。自分を自分でだます自己欺瞞の人だと、実存思想はいつまでも始まりません。なにかしらの主義や宗教ではなく、わたしの思い(感じ、想い、考える)からはじめ、そこから逃げないことが必要です。

一般的な学問あるいは権威や常識を前提にしないで、私=実存につくことではじまるので、実存思想と呼ぶわけです。「勉強」という既存の枠を優先する外的な秩序と世界ではなく、私の興味や関心によりはじまる「学習」(わたしが学び、習う)という内的な秩序と世界をつくるのが実存思想です。



武田康弘

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西欧近代哲学の終焉(17世紀~20世紀)と恋知。 実存思想の復興 14日(水)は恋知の会

2018-11-12 | 学芸

 「近代哲学」と呼ばれる17世紀のデカルトにはじまる西ヨーロッパの思想は、「スコラ哲学」(キリスト教神学)の改革として出てきたものです。
 これは、本質的にキリスト教の世俗化としての理論体系ですので、スコラ哲学がめがけたもの=人間存在と世界の全体をトータルに解明し叙述しようとする意思を受け継いでいます。そのために、理論は複雑で難解となる宿命をもち、言葉の構築物としての論理の体系となり、カントからへーゲルに至るドイツ観念論でピークに達しました。

 人間存在と世界の全体をトータルに解明し叙述するというのは、宗教の宣託のようなものでない限り出来えない不可能事ですが、その出来えないことの努力を続けたのが西欧の「近代哲学」だと言えます。その歴史は、20世紀最大の哲学者といわれたハイデガーが、1966年に行ったシュピーゲル対話で幕を閉じたと言えます。

 シュピーゲル対話では、ハイデガーは、哲学にはもはや何も期待できないと言い、従来の哲学の地位はサイバネティクスが占め、諸科学が哲学の替わりをする、と主張しました。哲学は無力だと繰り返し述べ、われわれ人類にできることは、何百年後かに現れる「神」のようなものを待つだけだ、と言いましたが、これは、ハイデガーの存在論(人間と世界のトータルな解明)の挫折であり、「哲学の敗北宣言」と言えます。

 17世紀に始まり20世紀に終わったのが西欧近代哲学と言えますが、この西欧哲学(キリスト教という一神教がバックボーンにある)は、ルネサンスの運動で明らかなように、古代エーゲ海文明への憧れに端を発していて、ギリシャのフィロソフィー(恋知)を換骨奪胎してキリスト教神学をつくり、その上に乗ったものでしたから、相当な無理の上に建てられた思想(形而上学)の建造物であったわけです。

 現代に求められるは、すでに命を終えている西欧近代哲学の思想の枠組みに囚われずに、日常の言葉で、自からの体験を踏まえて、自分の頭で考える営みです。外部に絶対を置かず、何かに頼るのではなく。
それがわたしの提唱する「恋知」で、特別な知識とは無縁ですから、誰でもが出来ます。宙に浮いたような話ではなく、足は大地に根を張り、心身の全体で会得する知を基盤にして、そこから考えを自由に羽ばたかせるのです。遠く(雲や空や星)を見る習慣をもつことで視線を無限遠にし、のびのびと想念を広げます。書物に囚われずに、固着や厳禁の精神、固真面目を避けて、柔らかくしなやかに考える営みです。

 それは、紀元前5世紀に現れたエーゲ海・アテネのソクラテス、 ネパール・インドのブッダ、 中国の老子などの実存思想とつながる温故知新の営みです。


武田康弘

  明後日の14日(水)は、恋知の会です。いつも通り、1時開場、1時30分開始、4時30分まで。白樺教育館で。

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ファジル・サイのベートーヴェン(2018年11月10日 所沢ミューズでのピアノ独奏会)感想

2018-11-11 | 芸術

今日、2018年 11月 10日 所沢ミューズ・大ホール

ファジル・サイのベートーヴェン

ピアノソナタ 8番「悲愴」作品13
                    
14番「月光」作品27-2

ーーーーーー(休憩)ーーーーーーーー

      23番「熱情」作品57
      26番「告別」作品81a

  後半の中期の傑作がいかに中身の濃い音楽イデー・内容をもっているかがよく分かる演奏会でした。前半との対比でとても納得。

 休憩後の「熱情」は驚き。
 横溢するエネルギーがめくるめく色彩をホールに放ち、空間は色で埋め尽くされました。こんな「熱情」は聴いたことがありません。オリジナリティの塊で、民族音楽のような激しいリズムとジャスのような即興のリズムが交差し、楽しさと悦びがいっぱい。
 ベートーヴェンの精神の深みをあらわす演奏とは違いますが、まったく新しい解釈で、東西の融合したトルコの音楽、ファジル・サイ作曲の熱情ソナタと言いたくなります。

 続けて演奏された「告別」」は、さらに上回り、曲が違って聞こえます。楽章ごとの多様な変化には唖然です。似た演奏さえ皆無です。あまりの色の多さと打鍵の強さに心身がゆすられます。曲にほんらい内包されていた豊かな楽想が、サイによって解き放たれ、ホールに虹がかかりました。。
 すべて暗譜で、表情豊かに弾きますので、サイが即興で弾き語っているようです。ピアノ独創なのに、ダンスをし、オペラを演ずるかのようでもあり、とても楽しい演奏会で、大満足。

 アンコールのショパンのノクターンとサティもウキウキするような楽しい演奏でオシャレ。
      (ショパン  ノクターン第2番      サティ   グノシエンヌ第1番)






武田康弘

 

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「老荘思想の魅力」 鼎談 湯川秀樹の結語は、まさしく恋知です。

2018-11-09 | 学芸

「わたしは、老荘思想(老子・荘子)が好きですが、
どこが好きかといったら、西洋流と違う自由思想ですね。
しかも老荘思想に頭を下げる必要がない。自由に反対できる。
孔子の悪口は、あまりいったらいかぬ。キリストの悪口もいかぬ。お釈迦さんの悪口もいかぬ。近代ではニュートン、ダーウィン、マルクスなどが、そうだった。
けれども、老子や荘子については、何をいっても構わない。そこがなんともいえぬ魅力ですね。それが魅力ある思想というものだと思う。」(湯川 秀樹)

(鼎談 湯川 秀樹(京都大学教授・理論物理学)  小川 環樹(京都大学文学部教授)  森 三樹三郎(大阪大学文学部教授) 1968年5月25日 京都「土井」にてーーー 中央公論社『世界の名著』第4巻 老子・荘子の付録より)

 

 上記は、湯川秀樹さんの老荘思想についての鼎談の結語ですが、まさに主観性の知としての哲学=「恋知」そのものです。客観学ではなく、主観性の知であることが、なにより素晴らしいのですね。魅力という審級は最も高い価値です。答えが一つという考え方は、本質的に価値の低いもの。なぜなら嘘ですから。

 

武田康弘

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韓国非難の番組のウソ 徴用工問題で、背景はなし。(百田尚樹と柳宗悦のあまりのレベルの違い)

2018-11-08 | 社会批評

戦前の徴用工の問題で、韓国の最高裁判所が、日本企業に賠償を命じた問題で、日本政府は、1965年に解決済みの話としています。
法的な問題はその通りでしょうが、
では、なぜ、1965年以降も、韓国では政治的な右左を問わず、多くの国民が徴用工の問題(慰安婦問題も)で憤りを持ち続けるのか、を考えなければいけないと思います。

伊藤博文による天皇直轄地としての韓国併合から日本の敗戦まで続いた植民地化(韓国を日本に同化させる政策=日本語や天皇崇拝の強制・・・・)の実態は、日本人には教えられてきませんでした。そういう歴史を知らないで(教えないで)、韓国非難の番組を流し続けるTVは、罪が重いと思います。




 だから、ウヨク作家として有名な百田 尚樹は、その実態を知って驚いて、『今こそ、韓国に謝ろう』という本を出しましたが、日本がした「おせっかい」が韓国の急速な近代化を成し遂げたのを謝ろう、と逆説的に書いています。韓国の悪しき伝統や保守性を日本に併合することで、改善してあげたのを謝ろう、という書き方で、さすがに日本万歳!の作家ならではですが、ここには、彼の本音、強姦して、わたしが、あなたに性の快楽を教えてあげたのを謝ろうという思想がよく見てとれます。こういう思想をウヨクのみなさんは、よろこぶようで、バカ売れでベストセラーです。

 このような想念が背後にあれば、相手を感情的に怒らせるのは当然です。悪いことは悪い、と率直に謝れない日本人では哀しです。
ただし、わが日本人の名誉のために言えば、1919年3月1日の独立運動に対する日本の警察と皇軍による朝鮮民衆への弾圧に抗議し、我孫子から数回朝鮮を訪ね、朝鮮人を励まし連帯した白樺派の柳 宗悦と兼子(日本最高のリート歌手)の存在です。岩波文庫『民芸四十年』の冒頭論文「朝鮮の友に贈る書」(柳宗悦著)に詳しく書かれています。それが今は百田尚樹、日本人の知的水準は、100年間でずいぶんと堕ちたものです。民芸四十年」(柳


武田康弘


 

 

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マイケル・ムーア監督 アメリカも日本もこれまでになく危険だ。21世紀型ファシズムの怖さ。テレビ朝日

2018-11-04 | 社会批評

一昨日、テレビ朝日のニュースステーションの金曜特集で、アメリカの著名な映画監督・マイケル・ムーアへのインタビューを放映しました。
現代を「21世紀型ファシズムへの危機」というムーア監督の言葉ー主張は、正鵠を射るものと思います。後半、少しですが、画面を撮りました。

 

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わたしのfbにご招待。

2018-11-04 | 学芸

フェイスブックへご招待。こちらも見てくださいね~~

https://www.facebook.com/yasuhiro.takeda.359?__tn__=%2Cd*F*F-R&eid=ARDWhkwJ1cr68IgpUo19EO0knAJz9QD6SO5r3jEq-y9Q20EoJNPf4Dl7hQS8Dd8N_0Ux2uEWmWA3TYJy&tn-str=*F



 

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軍事にかける安倍政権が鮮明=「東京新聞」の紙面で明瞭に。トランプの言いなりで大損。

2018-11-03 | 社会批評

福祉は縮小、税負担は、庶民にますます重く、トランプ・米軍の言いなりで、天井知らずの軍備費。

辺野古には200年も使える巨大なアメリカ軍基地を新設。これは、沖縄どころか日本には不要な基地で、防衛には関係のない海兵隊の訓練施設。

自衛隊OBの証言するように、不要なオスプレイは、20年間の維持費だけで4400億円! アメリカからの軍備購入のローンは、5兆円超(溜息)。

安倍政権の軍事国家への道は、自殺行為です。もう目を覚まさないと、アベイズムで日本国民は、みな奈落の底に。

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下着まで検査ー言葉を失う日本の学校教育。最低というほかなし。

2018-11-03 | 教育

以下は、楽天ニュースですが、

もう最低というか、言葉もないニッポンの教育、いやらしい人間の集まり。下着を検査する!! 戦前の日本やドイツを想い起こす。

安倍晋三の親友で政府の教育や皇室関連の審議委員の八木秀次麗澤大学教授の主張する「反人権宣言」(ちくま新書)通り、「日本には欧米のつくった人権はなじまない」(八木秀次)

 

校則違反で校外学習外す、鹿児島 肌着の色、公立中女子生徒

共同通信 / 2018年11月2日 19時29分」

 鹿児島県の公立中学校で、制服の下に着ていた肌着の色が校則違反だとして、女子生徒1人が校外学習に参加できなかったことが2日、分かった。県教育委員会は、結果的に欠席させた対応を疑問視し「措置が妥当だったかどうか状況を確認する」としている。

 県教委によると、同校は10月下旬、生徒約300人が校外学習に出発する前に服装検査を実施。黒いタンクトップを着ていた女子生徒と、シャツの下に何も身につけていない男子生徒の計2人が「このままでは参加できない」などと担任らから指導を受けた。

 男子生徒は自宅へ着替えに戻り、予定通り参加。女子生徒は母親が迎えに来て、自宅に戻った。

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 このことに限らず、日本の学校教育は、こどもたちの存在が先にあるのではなく、学校の型にはめるのをよしとする思想があり、その上からの強制に従うのが当然とされています。これは、教育ではまったくなく、人間管理でしかありません。管理というのは、システムや品質について言われることで、人間を管理するという発想は、全体主義国家の思想です。人間に対する態度は、共に育つと言う意味での教育=共育でなければいけません。個人=実存の否定となる「管理」は、認められないのです。  

武田康弘




 

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残念ですが、尖閣は、日本の領土ではありません。

2018-10-31 | 社会批評

「ポツダム宣言」を受諾して敗戦したわが国の領土は、北海道、本州、四国、九州と、その周辺の小島に限られることになり、戦前に日本が支配した海外の地は、すべて放棄することになりました。

尖閣列島は、沖縄ではなく、台湾の所属していたことが明白な以上は、尖閣を日本領土とすることはできません。

敗戦時に日本海軍No2で、台湾州のトップであった福田良三さんが実の娘の光子さんに語っていた事実ー「尖閣は自分=台湾の管轄であった」は、決定的です。

以前に出したblogをご覧ください。なぜ、日本政府や外務省は嘘をつくのでしょうか?


残念ながら、「尖閣」は、日本の領土ではないようです。今日の清水光子さんのお話  

2014-09-11 | 学芸

        清水光子さん(9月10日 白樺教育館)

 

今日の「恋知の会」で、
戦時中は台湾州のトップであり、最後(敗戦時)は、支那方面艦隊司令長官であった福田良三(海軍中将・勲一等)の実娘さんの清水光子さん(84歳)は、以下のように話されました。

お父さまから、尖閣は、台湾州の防衛ライン内であることや、台湾の漁民が漁場にしていると聞かされていた。」
また、「海洋学上(海底地形)も沖縄には所属せず、台湾州である」とも話していたとのこです。

清水さんは、「当時の海軍関係者は、尖閣は台湾州に属するものと認識していて、沖縄に所属すると思っていた人はいないはず。」と話されました。


これは、極めて重要な証言で、
台湾州は、ポツダム宣言を受諾して敗戦をしたわが国の領土ではありませんから、尖閣は沖縄に所属していたので日本領だとする政府や外務書の主張は、明らかな嘘であることになります。
日本人だからといって、嘘で領土を拡大することはできません。  中国敵視ではなく、日中友好が必要です。

 

以下は、福田良三さんの写真と、B級戦犯として上海から家族へ宛てた手紙です(クリックで拡大します)。

            

 

なお、興味深いお話がいくつもありましたが、それはまた後日に。

 

追記

 尖閣の領土問題を煽ったのが石原慎太郎であり、乗じたのが愚かな野田総理でした。石原は「シナと戦争したい」と語っていますので、尖閣で中国を挑発することがその目的であることは明らかです。
 領土問題の大宣伝を行う政府と政治家は、日本的「愛国主義」のイデオロギーを浸透させること→社会契約に基づく現憲法の全面廃棄(国体思想の復活)を目的としていますので、

国民は、その戦略の上で踊らされているわけです。
 市民=ネットしか、冷静な真実を伝えられませんので、ぜひ、拡散して、領土問題を冷静に考えましょう。それがホントウの国益=国民益になるはずです。

 

追記2

 伊藤博文は魚釣島=尖閣諸島を日清戦争時に尖閣を日本領として編入したのですが、その経緯は以下の通りです。

 1885年(明治18年)の時点で、明治政府(山県有朋)は、閣議で魚釣島(尖閣諸島)を日本の領有とすることを否定しています。
 この年の9月に沖縄県令(今の県知事)の西村捨三は、内務卿の山県有朋宛ての報告書で、

魚釣島は大東島とは地勢が違う し、中国の記録が多くあり、冊封船(さくほうせん/中国が承認した国の船)が通っていて島に詳しく、それぞれに中国名もついている。日本領という標識を立てるのは待った方がよい(要旨)」
と 記しています。
 これを受けて山県有朋は井上馨外務卿 に相談しますが、井上は
調べるのはよいが、右 島嶼(とうしょ)(魚釣島)に、国標を立てるのはよくない、清国の疑惑を招 く。また島を調査していることを官報並びに新聞に掲載してはいけない(要旨)」
と応えました。
 それを聞いて山県は、1885年の閣議で魚釣島の日本領有を否定 しました。


  ところがその10年後、日清戦争の末期に皇軍の勝利が確実になった時点で (1895年・明治28年1月14日)突然、伊藤博文は「標杭建設の義」を決定し領有に踏み切りました。
久米島魚釣島と称する無人島へ向け近来漁業等を試むる者有。之為取締を要するに、付ては同島の議は沖縄県所轄と認めるのを以て、・・・・明治二十八年一月十四日 内閣総理大臣伯爵伊藤博文」。

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ポツダム宣言の全文ー元外務省情報局トップの孫崎享さんの著作より転写





 

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米軍基地新設で自国民を愚弄する政府。憲法に縛られるはずの首相が憲法改定の音頭を取る=狂気のさたの安倍政権。

2018-10-31 | 社会批評

近代民主政のイロハも弁えないデタラメな政府が安倍政権で、この政権の独裁的思想と行為は、到底許されるものではありません。

憲法に一番縛られる立場の総理大臣が、憲法改定の音頭を取り、国会で堂々と主張する。常識も知らないあまりの傍若無人さ、夜郎自大のさまに、怒りは頂点に達する。日本はキチガイか病気の国家なのか。

正当性のない戯けた権力を振り回す安倍晋三には、開いた口がふさがらない。ほんとうに頭が悪く、かつ、民主政社会では許されない思想と行為だが、このしてはならぬことをする首相に対するマスコミの追求の弱さは、ニューヨークタイムスの元東京支局長の言う通り、民主制(政)国家では他にないテイタラクです。

野党の批判と追求も弱すぎです。ガンガン非妥協的に攻めなくてはいけません。安倍首相の言動により民主政の屋台骨が抜かれようとしているのに、妥協の余地などまったくありません。

 

また、米軍が、沖縄に巨大な新基地をつくるのに反対する人たちの民意を土足で踏みつけ、強引に自然破壊そのものの埋め立てを始める政府とは、一体、なんなのか。

自国の民を守るのではなく、米軍のために、自国の民を愚弄しイジメる政府は、存在価値ー存在理由がないのです。米軍と共に行う人権蹂躙の悪業としか言えません。

アメリカ海兵隊の訓練をする沖縄の米軍基地は、日本の国防には無関係なのです。海兵隊は、対北朝鮮とも対中国とも関係ない部隊です。米軍の兵士たちの利便性がよいので沖縄に拘るだけのこと。グアムでもテニアンでも全く問題はありません。

日本政府が、アメリカ政府に「普天間の撤退だけをお願いしたい」と申し出れば、アメリカ政府は応じるほかないのです。実に簡単なこと。

それによりアメリカは日本に不利なことは何もできません。アメリカは、日本が同盟国であることを絶対に必要としているのです。米軍の世界戦略にとって、日本列島は地理的に外せないのす。



武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室・客員調査員・国会職員に「日本国憲法の哲学的土台」などを講義)

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人類思想を俯瞰して三分類したblogに一部説明を加えました。

2018-10-29 | 学芸

 人類思想を俯瞰して三分類したblogに、以下のように一部説明を加えました。青字の部分です。他は変わりません。

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 最後は、唯一神への帰依を説くキリスト(神の子)であり、その弟分として生まれたムハンマド(神の教えを伝える者)です。この二つの世界的な兄弟宗教は、ユダヤ民族の国家宗教である「ユダヤ教」から生まれたものです。ユダヤ教の宗教改革として生まれたのがキリスト教であり、その弟分がイスラム教です。この二者の近親憎悪の激しさは、戦い(殺戮・略奪)の歴史=十字軍の長く凄まじい宗教戦争として有名です。

 言うまでもなく、絶対神(創造神)に従い信仰するという思想と、上記の実存思想とは、根本的に異なる考え方です。

 キリスト教会は、ギリシャ哲学を換骨奪胎することで膨大な神学体系をつくりました。スコラ哲学と呼ばれますが、その改革として出てきたのが17世紀のデカルトに始まる近代西ヨーロッパ哲学です。西欧の学問を明治に直輸入した日本では、哲学といえば、この思想を指しますが、それでは一面的な思想の見方になります。神学の改革としての哲学と言えども、デカルトは代表作の『方法序説』の二部で、神の実在証明を書いているのです。



哲学者・天文学者のヒュパティアは、紀元415年に
「神を信じない者」として、キリスト教徒たちにより
惨殺されました。
(映画「アレクサンドリア」より)

 

人類思想の三分類 「儒教・儒学」 「ソクラテス・ブッダ・老子の実存思想」 「キリスト教・イスラム教などの一神教」 と、「恋知」



 


 

 

 

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磐梯町のとんでもない挑戦を知り、たまげた!「仏都会津」 復活の企て(徳一ゆかりの慧日寺復元)

2018-10-27 | 学芸

 

 白樺同人の古林治さんは、少し前から奈良時代の法相宗(ほっそうしゅう)の僧侶・徳一(とくいつ・とくいち)にはまっています(最澄や空海との論争)。
わたしは、少し調べていたら、面白そうな本がありましたので、一昨日Amazonに発注しました。今日届いたので、3分の1ほど読みました。


 この本の第1章には、磐梯町(ばんだいまち)の五十嵐町長(現在、四期目)の奮闘が描かれています。彼は、一期目から「度肝を抜くような」提案をし、まさにドン・キホーテさながらの構想と行動で、会津を仏の都として再興させるための活動をしているとのこと。

 具体的には1200年前に創建された慧日寺(えにちじ)を仏像を含めて再現するのですが、広さは15万平方メートルです。すでに12万平方メートルが公有化されていて、民家七軒、磐梯神社なども移転が完了。

 唯識思想(仏教の認識論)と民衆を救うための直接行動で多くの民から篤い信頼を得ていた法相宗(ほっそうしゅう)の徳一が、磐梯山噴火(806年)の直後に創建した「慧日寺」を復元するのは、あらゆる面で困難を極める大事業ですが、着々と進められているようです。ただ驚くほかありません。「仏都会津」を復活させるという巨大な企ては、長州による明治150年云々という小さな話とはケタ違いです。

詳しくは、本書で。


武田康弘

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私たちのお金で暮らす人・皇族・役人・政治家に主権者が頭を下げる日本文化は、奴隷精神丸出し。自分に誇りをもとう!

2018-10-23 | 社会思想

 わたしやあなたの出しているお金で生活している皇族や役人や政治家(みな公務員です)の方が偉い!?という国は、おとぎ話の国でしありませんね。

 憲法1条にある通り、主権者である国民の総意で「象徴」という役割(明仁さんの言葉では「仕事」)をしているのが、天皇です。その一族を皇族と呼んでいますが、明仁さんの言う通り「象徴としての務め」を果たすことで、その対価として、年6億円の収入を得ていますし、宮内庁という役所には年180億円という予算(税金)がついています。

 主権者の意思の代行をする(今の安倍首相は自分の意思を権力を用いて貫きますので、根本的に民主政治とは異なり、憲法違反です)国会議員の歳費は約4,200万円で世界最高です。

 官僚の年収も45歳以上だと年1000万円を超えますし、退職後の天下りでは、楽してお金がもらえます。数年ごとに民間企業を退職・再就職を繰り返し、その都度多額の退職金も得られます。わたしの友人の警察官僚も懐は温かく、仕事は飲むこと、と笑って話しています。日銀などは、役員は年3000万円(総裁は更に上)です。

 そういう主権者の税金で暮らしている人に敬語を用いたり、頭を下げているのは、お人良しを通り越して、純粋な奴隷精神と言えますね。

 いまの天皇の明仁さんや皇后の美智子さんは、その思想も行動もすばらしいもので、わたしは、高く評価していますが、そのことと、構造的な問題とは話が異なります(別次元)。

 国の主権者は国民(わたしでありあなた)です。主権者が、主権者の出すお金(税金)で雇っている公務員たちに頭を下げるのは、昔の全体主義国家、天皇現人神の国家宗教の国の話です。

 きちんと正しく考え、行為するのが健康・健全な精神です。いまの日本は、主権在民の民主政治なのですから、より豊かにより深く民主主義を発展させることが必要です。



武田康弘

 

 

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「勉強しなければ、だいじょうぶ」 という面白い題の本に触発されて。

2018-10-20 | 教育


 そう、勉強しなければ、心も頭も身体も狂いません。
勉強する人は不幸を再生産しています。イヤな人を増やし、悦びも楽しみも奪っていきます。自分をダメにするだけではなく、みなを不愉快にするのです。

 勉強しないことが大切です。いやなことに耐える、言われた通りにやり、意味のない丸暗記に精を出す、プログラムされて自分はなくなり、パターンあてはめの人となる。これでは意味充実の世界とはアベコベです。

 何から何まで「正しい」やり方に従わされ、自分の自分性は消えていきます。どんどん規格品のようになり、私は窒息してしまいます。勉強すると、権威ある者の世界に縛られて、自分で生きるオリジナルな人=健康な人を馬鹿と思うようになります。

 わたしの心身から生まれる関心、興味、わかりたいという欲望に促されて学習すれば、自分の生きることに結びついたよろこびの知がえられます。世界が広がり、気分は最高。学ぶこと、習うことは、人間味のある知の悦びです。

 規格・公式通りの勉強には、今の成果(テスト高得点)だけがあり、無味乾燥のツマラナイ世界、何の役にも立たない知に埋もれて、人間は人間でなくなります。点数取りマシーンになります。競争を最大の価値とする魅力のない存在に堕ちていきます。それを天才!?というのでは、お笑番組です。

 納得する、腑に落ちる、という得する学習は、自分の頭を使うことで得られます。あてはめやパターンを仕込まれた機械頭は、このほんとうの知の学びを嫌い、あてはめで答えることに快感を覚えるまでに逆立ちしてしまいます。意味に満ちた人間的な知は、「勉強」ではなく、自分の頭を悩ませて考える「学習」によって育ちます。

 わたしは、筋力トレーニングやストレッチを生活に組み込み、自分のやり方で、自分が気持ちよいようにしてきました。誰かにやらされたことはなく、自分にフィットする方法と程度で続けてきましたが、知も同じです。競争はしないで、納得を目がけるから、どこまでも進みます。権威者に従わないから、目が曇らず、意識はいつまでも透明です。

 勉強をやめ、のびやかに自由に自分から始まる学習を始めましょう。おとなも子どもも。


武田康弘

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