思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

わたしの存在以上のものはないーこれが真に了解されれば「世界」は変わるのですが、、、「民知の会」設立へ

2006-01-03 | 恋知(哲学)

体系的な理論・網目のような理屈、あるいは精緻な部分知=専門知に依拠するのではなく、
自分の頭で考え、行為すること。
自分で試し、確かめてみること。
近代の学問を学校で身につけた私たちは、「客観学」に縛られてしまうために、この一番重要な一番価値のある営みをないがしろにしているようです。
自分の五感=心身の全体で確かめる手法を身につけることができず、専門家や権威のドレイになっているようです。
自分で体感し・考え・実践するという基本が失われて、テキストというペーパーに頼り、情報に縛られ振り回されていては、「私」の生は消えてしまいます。

「序列」という神の下でビクビク生きる哀れな存在では悲しいですし、逆に上位者として威張って生きるのは醜くいやらしいことです。何より価値があるのは、私とあなた=ひとりの人間としての存在です。『靖国思想・天皇教、東大病・官僚主義』という序列宗教=精神病から解放されないと、「私」から出発するエロースの生は、けっして始まりません。

これより上はないという「至高」の価値は、私の心の内にしか存在しません。
他者への思いも、純粋に私の願いとしての「思い」でなければ、ほんとうの愛にはなりません。この逆説を深く自覚しなければ、私たちには「白々しいウソの世界」=形式愛=偽善しか与えられないのです。

「私」の主観性を深く大きく豊かにするための「民知」を実践するための「民知の会」を今年2006年から始めますが、花粉症の季節が終わった5月14日(日)には、全国的な規模での設立パーティーを我孫子で開こうと考えています。どなたでも参加は自由ですので、よろしければ今から予定に組み込んで下さい。詳しくはまた後でお知らせします。

武田康弘



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

[主観]にすぎない!?[客観的真理]?が支配する管理社会は人間を生かしません。

2006-01-01 | 恋知(哲学)

以下は、公共哲学ML内のメールです

武田さま、そして皆さま

2005年と2006年の境にこれを書いています。

「深く人の心を捉える豊かな主観をどう形成できるか?」
武田さんのこの問いに、共感しました。
このところ、主観性の問題にぼくなりに、悩んでいました。
それで、以下のような「主観的」という言葉についての《主観
的?》な思いを綴ってみました。
今年も宜しく。 H

(この後は長文なので割愛し、私の返信のみを以下に載せます)


「戦争は、人の内面を0にする」(H)

権力主義の政治、も同じですが、実存が先立つという原理を担保するための構造=社会は、いかに可能か?それこそが、真に「社会に関する学問」=「公共哲学」に課せられた使命だと思います。だからこそ前提として主観の構造の原理的解明=認識論が必須のものとして要請されるわけです(武田の「民知―恋知と公共哲学」(クリック)は、キム・テチャンさんから「公共哲学」の不足点・問題点を書いてほしいと要請されて書いたものです)。

Hさんのおっしゃるとおり、内面世界の豊饒化はすべての前提です。


「生は、主観としか捉えられない。ぼくたちの裁判で、『どんなに主観的に深刻であろうとも、苦痛は受忍すべき』などと書くのは、裁判官自らが、自分のうちに「クオリア」として立ち現れてくるこの「生命世界」を否定しているようなもの」(H)

まったくその通りだと思います。

総体として「近・現代社会の思想」は、強い一神教の「超越的な真理」という発想が「客観的真理」と名を変え、科学の名の下に各人の「主観」を価値の低いものとみなして抑圧し、そのことから派生するおぞましい「悪」を再び客観学の方法=思想で是正しようとする矛盾の拡大循環に陥っている、と武田は見ています。息の詰まるような管理社会を生み出しているのは、「客観的真理」という名の悪霊=妄想なのです。

「近代科学」も深まれば、己の領分を明晰に知る(わきまえる)ことになるはずです。部分の知と全体判断とは、次元の異なる話ですから。武田は、全体知=心身全体での会得=深い納得の知をそれとして追求するために「民知」という思想=実践運動をしています(今年春には民知協会(仮称)を正式に立ち上げます)。


「甲府地裁の判決文が、如何に心というものに無知であるか、またそれが、ぼくをそして裁判官自身をも病気にするものであるかも分かるのである」(H)

同感です。ほんとうにそうですね。

Hさんの紹介された本「心を生み出す脳のシステム」(NHKブックス:1070円)と「脳内現象」(NHKブックス:970円)は、読んでいませんが、15年ほど前に私の研究会で取り上げた滝浦静雄著の「自分」と「他人」をどう見るか(NHKブックス)と通底する内容だと思いました。こんど見てみます。

では、今年もよろしく。

武田康弘





コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2006年 新春のご挨拶 今年もご愛読をお願いします。

2006-01-01 | その他

以下は、年賀状のコピーです。これから出すところです。


2006年 迎春

私は、昨年もまた「飛躍」?の年になってしまいました。
いつまで続くこの悦行=苦行(笑)ですが、どうやら宿命
のようですので、今年も張り切って、より若々しく歳を重
ねる決意です。

-growing-young-

構造欠陥の日本社会は、ステレオタイプの受験知に依拠
した「エリート」という名の構造欠陥人間が生み出したもの。
心身全体での会得―腑に落ちる知を生み出そうという私の
長年の主張と実践は、「民知」という造語に象徴されますが、
哲学という言葉の「恋知」への訳語替えとともに段々と広がり、
昨年は、金泰昌(キムテチャン)氏のご尽力で中国など海外にも
紹介されました。皆様のご協力に感謝です。

昨・11月末に開設したブログー「思索の日記」(名称検索で
出ます)は、おかげさまで、一年でアクセス数が4万件に達
しました。ご愛読ありがとうございます。

では、今年もお互いに「私」から出発するerosの生を日々
創造していきましょう!共に。

武田康弘


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする