世界的に最も高く評価されてきた日本の現代作曲家は、武満徹(たけみつとおる)でしたが、彼は、音楽教育を受けていません。
高卒ですが、高校は、文京区白山にある京華高校で、音楽教育はありませんでした。
武満徹の唯一の先生は、清瀬保二(きよせやすじ)ですが、清瀬も音楽学校に学んだことはなく、独学(県立高校中退)です。名実共に日本を代表する作曲家で、独創的で優れた和声を生み出した人です。
ボストン交響楽団やウィーン国立歌劇場の音楽監督を務め、世界最高の指揮者の一人と言われる小澤征爾は、斎藤秀雄がはじめた桐朋短大の音楽部卒で、当時は誰も知らない学校、というより私塾の出です。
日本を代表する最も優れた音楽家は、みな学歴がありません。この事実くらいは知らないと、芸大卒ならとかNHK交響楽団ならとかという歪んだ評価=間違った評価になるでしょう。
小澤征爾は、20代前半で音楽武者修行と称して、貨物船にのせてもらい、富士重工から借りたスクーターでフランスのマルセーユ港に上陸しましたが、ブザンソンで指揮者のコンクールというものがあることを教えられました。しかし、申し込むにも郵送では締め切りに間に合わず、なんとかしてもらおうと、日本大使館に飛びこみました。しかし、どこの大学かを聞かれます。芸大でないのが分かると、とり合ってくれません。
小沢は困り、はたと思います。「アメリカは自由の国だ、アメリカ大使館に行こう」と。パリのアメリカ大使館に行くと、音楽部があり、そこの責任者の女性に頼みましたが、彼はこう聞かれます「あなたはよい音楽家か?悪い音楽か?」彼は大声で応えました「わたしはよい音楽家になるだろう!」と。すぐには相手方(ブザンソン指揮者コンクール)の了解がとれませんでしたが、結局OKとなり、小沢は急遽、当時世界で唯一の指揮者コンクールを受けることができました。結果は、飛び入り参加で全く無名の小澤征爾が優勝したのでした。
日本大使館は日本の若者に助力せず、関係のないアメリカ大使館から助力を受け、
各国の政府や音楽大学から派遣されている若手指揮者ではなく、飛び入りで参加した東洋の日本人にフランスの審査員は、優勝の栄誉を与えたのでした。
「桐朋短大?聞いたことないね、芸大ではないのか? 残念だが無理だね。」と言ったのがパリの日本大使館でしたし、
武満徹も、来日したストラヴィンスキーが楽譜を見て、彼を高く評価しなければ、世に出ることはできなかった(日本人は師の清瀬保二の他ごく少数者しか彼の音楽の独創性が分からない)わけです。
われわれ日本人は、自身の価値観ー考え方ー生き方を反省し変えていかないと、いつまでも人生の充実、愉悦、幸福はやってきません。形・形式・肩書ではなく、中身・内容を見、知ることのできる人間になる努力をはじめないと、人間(自由と責任をもつ「個人」)になれませんね。
武田康弘
外来の有名アーティストに高い料金を払って群がるだけです。
わたしは〈未来からくる演奏家を聴く会〉を足掛け20年主催してますが、毎年音楽大学から大勢の優秀な若者が卒業して来るのに、彼らが音楽で生きてゆく道の険しさに絶望しています。
海外はさて置き日本で彼らを温かく育てる環境を作れなければ、彼らが世界へ飛び出すことは不可能です。
映画や演劇,そしてバレー、は芸大にはない科目です。
だから、黒澤明、小津安二郎、蜷川幸雄らが出たのだと私は思うのです。
内発的で自由は前提、
内発的で自由を原理とする
芸術やフィロソフィー(恋知)は、主観性の次元にあり、
それは、通常の勉強(客観知)を手段とする人間活動の目的にあたる高次の世界ですから、
国家管理という低レベルの発想では無理なのでしょう。
意識的に官僚的・管理的発想と闘わないと、その枠内に閉じ込められ、命を失うのでしょう。
東大病(教)と同じく芸大病(教)ですね。
我が家の歴史を辿った番組でした。
そこで、小澤征爾さんの親御さんが
征爾さんの才能をいち早く発見し
ささえてられたのを見て、日本も才能を大切に育て、
文化を継承していかなければならないと
ひしひしと感じました。