思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

倒れたわが友・松橋桂子さんと、柳兼子と「白樺文学館」のことなど。

2017-02-15 | 白樺文学館

 Facebook  2017年 2月 11日 武田康弘

 今日は、大学クラスの前に、作曲家の松橋桂子さんのお見舞いに行ってきました。松橋さんとは16年間の親しい友人です。
    先月、電話で「ガンが見つかり」と話されていましたが、2週間ほど前に突然倒れたのでした。ガン治療はもう無理なので療養所に転院しました。

 動けない松橋さんは、わたしの声を聞くなり、「ああ、武田さん!わが最強の友よ!」と言われました。


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 わたしは、1999年2月から「白樺文学館」の創設に心血を注ぎ、我孫子に集結した【白樺派の四人】(柳宗悦、志賀直哉、武者小路実篤、バーナード・リーチ)と名付けた理念をつくっていましたが、同年の10月に松橋さんが書かれた大著『柳兼子伝』(兼子の初の評伝)を読み、仰天!これは、大変な女性で、白樺運動の中心者の一人であると判断し、兼子さんを加え【白樺派の五人】としたのでした。
  そのために、白樺文学館の地下に音楽室(兼子さんのCDを最高の音で聴ける部屋とオーディオ装置)をつくりました。

 2001年1月11日の「白樺文学館開会式」に来られた松橋さんは、兼子のための音楽室を見、音を聴き、とても喜ばれ、「武田さんに感謝!こんなに嬉しいことはない。」と話され、意気投合したのでした。

 それから16年間の中身の濃いお付き合いですが、松橋さんは、文学館から教育館への移行時=わたしの苦しかった時代にも、いつも全力で尽力してくれました。一点の曇りなく、真っ直ぐにです。
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 今日の松橋さんは、頸椎も悪く、まったく動けないのに、気丈で頭は少しも衰えず、1時間5分、話し続けました。

 わたしとの驚きの出会いのこと、柳兼子のこと、白樺派ー柳夫妻や志賀直哉のこと、我孫子ー白樺文学館と教育館のこと、釧路での空襲=戦争持のこと、いまの酷い政治のこと・・・・・

 松橋さんは、話の途中で、「生きているんだから、楽しくなければしょうがないでしょ!」と妹さんに言い、妹さんは、「いつも姉に叱られるの。」と笑いました。
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 わたしは、松橋さんが倒れられてから今日まで、心がとても重くて言葉にならぬ気持ちでしたが、今日、病室で話して、ホッとしました。彼女の気丈さ、変わらぬ精神力はさすがです。少しもブレることのない見事な生き方、素晴らしい人生に、乾杯!です。

 昨年2月、白樺教育館での【ソクラテス教室40周年を祝う会】に駆けつけてくれた松橋さんの写真をA4に編集(コラボ)してもって行きましたが、見るなり、「楽しかったわよね、それ置いて行って」と、笑いを誘っていました。もちろん差し上げるための写真です(笑)。

 5か月前の9月14日、師の清瀬保二さんの「ヴァイオリンとピアノのための二楽章」を東京文化会館の小ホールで聴き、食事し、一杯飲みながら歓談をした日の日記もプリントアウトしてもっていきましたが、わたしが文章を朗読すると、「松橋桂子、偉いわね~~(笑)」と言いながら、とても喜ばれました。

以下の記事です。

2016年 9月14日のFacebook

松橋桂子さんと。
画像に含まれている可能性があるもの:2人、座ってる(複数の人)、食べ物、室内

 松橋さんは、日本の風土に根ざし深い世界的普遍性をもつわが国最高の作曲家であった清瀬保二さんを最期まで世話したお弟子さんで、柳兼子の初の伝記「楷書の絶唱」の著者でもあるーーー極めて詳細で明快な大著で圧倒されます。

 わたしが、我孫子市に「白樺文学館」をつくったとき、柳兼子を加えて「白樺派.の5人」としたのは、この書が発売になったからです。

 いまでは、すっかり定着した「兼子を白樺派の中心人物とする」見方は、わたしの決断によるものですが、それは、松橋さんの著作に依っています。

 我孫子市民も、柳家(駒場の日本民芸館)も、深く感謝すべきことでしょう。


 

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