「わたしは、老荘思想(老子・荘子)が好きですが、
どこが好きかといったら、西洋流と違う自由思想ですね。
しかも老荘思想に頭を下げる必要がない。自由に反対できる。
孔子の悪口は、あまりいったらいかぬ。キリストの悪口もいかぬ。お釈迦さんの悪口もいかぬ。近代ではニュートン、ダーウィン、マルクスなどが、そうだった。
けれども、老子や荘子については、何をいっても構わない。そこがなんともいえぬ魅力ですね。それが魅力ある思想というものだと思う。」(湯川 秀樹)
(鼎談 湯川 秀樹(京都大学教授・理論物理学) 小川 環樹(京都大学文学部教授) 森 三樹三郎(大阪大学文学部教授) 1968年5月25日 京都「土井」にてーーー 中央公論社『世界の名著』第4巻 老子・荘子の付録より)
上記は、湯川秀樹さんの老荘思想についての鼎談の結語ですが、まさに主観性の知としての哲学=「恋知」そのものです。客観学ではなく、主観性の知であることが、なにより素晴らしいのですね。魅力という審級は最も高い価値です。答えが一つという考え方は、本質的に価値の低いもの。なぜなら嘘ですから。
武田康弘