思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

ギリシャ神話のエロースが、なぜフィロソフィ(恋知・哲学)の神なのか?

2014-09-21 | 恋知(哲学)
 
 (エロースとプシュケー)
 
  プラトンによるソクラテスの対話編で、世界文学の古典として名高い『饗宴』は、エロース=恋愛の話ですが、そこでは、エロースについていろいろ語られます。
 

 ギリシャ神話で、エロースは最も古い神です。世界の始源、混沌・カオスからはじめに生まれたのがエロース(恋愛)とガイア(大地)とタルタロス(地底)です。

 エロースはまた別の話では、美の神アフロディティ(別名ヴィ-ナス)の子どもとも言われます。
男神エロースと人間の女性ブシュケーの愛の物語は、甘美でこども向けのギリシャ神話にも紹介されていて楽しく魅力的です(これはローマ時代に付け加えられたお話のようですが、ブシュケーの話はまるで親鸞の「他力思想」の神話版のよう)。



 大地(物質)があってもそれだけでは「無」と等しく、何も起きず始まりません。恋愛=惹きつける作用が生じることで、あらゆる出来事が生まれ、あらゆる事象に意味と価値が生じます。

 ゆえに、始源なのです。

 ソクラテスによる造語であるフィロソフィとは、「恋愛」と「知」(知恵と知識の双方を含む)を足した言葉であり、プラトンがつくった史上最も名高い学園『アカデメイア』(私塾のような自由な学園)の主祭神が恋愛を象徴するエロースなのは、その惹きつける=恋い焦がれるという作用こそが、あらゆる活動の始まりだからです。

 だから、意味と価値を考えるという人間の活動の考察は、もともと「唯物論」としては不可能で、「観念論」なのです。物質が存在するのは当然ですが、物質は物質に過ぎず、それだけでは何も起きず、何も意味をなしません。

 動かす作用こそ始発であり、それは、何かに惹きつけられる=恋するという「心」の作用です。その作用を起こさせる神が、エロースなので、エロースは特別な神とされました。

 ギリシャ神話の神々のトップはゼウスですが、ゼウスもエロースのいうことはすべて聞かねばならず、エロ-スには誰もかないません。エロースはその矢で熱烈な恋心を起こさせるので、支配者ではないのですが、誰も逆らうことができません。

 「恋知者(哲学者)とは、この世の支配者をはるか下に見下ろす者である」と『国家』の中でソクラテス・プラトンがいうのは、そういう含意です。

  善美に憧れ、真実を求める人間の人間的な心=精神は、エロースがもたらすもの、惹きつけられ、憧れ思う作用=恋愛こそが一切の始源である、この卓見が古代ギリシャのソクラテスを特別な存在にしています。

 

(注)『饗宴』では、ソクラテスは、師のディオティマ(女性)から教わったことを話します。それは、エロース神は、精霊(神と人間を橋渡しする存在)とされ、そこから美と善のイデアを求める生き方が説かれ、ソクラテスは納得し従うと言います。

 
 武田康弘

 
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