シニア世代の恋愛作法(白浜 渚のブログ)

シニア恋愛小説作家によるエッセイ集です
 ブログの記事すべての内容に関する権利は白浜渚に所属します。
 

波(4)

2016年02月27日 22時28分26秒 | シニアの恋
波(4)

綾乃は一年ほど前から週三日、隣町のスーパーへレジ打ちのパートに行くようになった。夫が退職して家にいることが多くなり、四六時中顔を合わせているのもなんとなく気が滅入る。今まで経験したことのない勤めに出る経験もして見たいと思った。

今まで専業主婦を続けてきたが、初めての勤めは決して楽ではない。研修を受けて一日四時間、一週間に午前の勤務が一回と午後の勤務が二回というシフトだが、慣れない客扱いに緊張の連続で、はじめの三ヶ月ぐらいは仕事を終えて家に帰るとどっと疲れが全身を襲った。夫がゴルフで夕方帰ってきても、まだ二階の寝室で寝ている日も何度かあった。

「そんなに疲れるんだったら仕事なんてやめろよ。別に生活が苦しいわけじゃないだろう。」
その日も夫は機嫌が悪かった。綾乃はしぶしぶ降りてきてレトルトカレーを作って夕食にした。
「仕事に慣れればもっと楽になれると思うわ。もうしばらくは我慢してね。あなたも料理覚えて、自分で作って食べればいいのに。」
言われればその通りかもしれないが、良樹にしてみれば今まで家事は全て妻任せで来た俺にできるわけがないと思うと腹が立った。良樹はそれには答えず居間のソファに横になりテレビのスイッチを入れた。

七時のニュース番組が流れているが見る気はしない。退職以来妻との関係がなんとなくぎくしゃくして来ている。現役当時には想像もできなかった事態が起こっていた。この二年ぐらい夫婦の会話は大幅に減っていた。ソファに横になったまま良樹はいつの間にかうとうとしていたらしい。

気が付くと静かな音楽が流れ、テレビの画面に、波だった海を背景に若い女優の横顔がアップで笑っていた。11時を少し回っている。妻はもう二階に上がってしまっていた。スイッチを切って起き上がり重い足取りで二階へ上がる。寝室に入ると妻は自分のベッドで眠っていた。良樹も着替えてツインのもう一つに横になる。見るともなく妻を見ると気持ちよさそうにこちらを向いている寝顔が妙に可愛く見え別人のようだ。先刻見たテレビの幸せそうな女優の表情が重なる。以前なら仕事に疲れたこんな時は妻のベッドに潜り込んで体を合わせれば疲れも癒されて、幸せな気分になれたものだが、今はそれも思うにまかせなかった。

交わりのさなかにいつの間にかすやすやと妻の寝息が聞こえて来たリ
「ごめんなさい、今はそんな気になれないの。」
などと言われると気分も萎えた。神経だけが高ぶって眠れない。最近こんな日が多くなっていた。もう何か月も妻を抱いていない。自分でも「いい歳をして」という抑制が内心から性への衝動を引き留める。何気なく股間に手をやると柔らかなものが生理的に勃起してきた。成行きのようにオナニーをするが後の処理が面倒くさく、空しい気持ちが膨らんでくる。


次回のテーマは   「波(5)」 です。



波(3)

2016年02月25日 06時54分27秒 | シニアの恋
波(3)

上岡良樹が定年退職して三年が過ぎた。贅沢をしなければ年金だけでもなんとか生活できるのであえて再就職する気も起きず、週一・二回はゴルフの打ちっぱなしに出かけ、近くの比較的安いコースを見つけて年に何回かは実際のコースを回って新しい仲間もできた。退職後しばらくは職場の仲間のコンペにも誘われたが、回数が減り話題も合わなくなって次第に遠ざかった。家ではパソコンを開きSNSなどを見て過ごす日が多くなった。

在職中はまとまった時間もとれずあまり覗かなかったネットの世界に踏み込んでみると、そこは今まで過ごしてきた世界からは想像を絶する、まさに情報の海原だった。政治・経済・スポーツ・芸能は言うに及ばず、夫婦関係・恋愛・不倫・趣味・セックス・ファッション・芸術・買い物・専門技術・医療・料理・健康・犯罪・地理・天気・交通・法律・・・。人の世に関わるおよそありとあらゆる情報がほとんど無秩序に溢れ、思うがままに閲覧出来る異様な環境が展開していた。

良樹が最初興味を惹かれたのは経済面だった。つい先ごろまで企業の真っ只中で苦闘してきた自分が、業界全体を今はまったくおおらかな気持ちで俯瞰できる。売上でも、技術力でも世界のトップに肉薄する「我が社」の系列が頼もしく、誇らしくもみえる。ちょっとでも疑問があれば誰に聞かなくてもネット上で解決できた。今までほとんど関心もなかった「我が社」の株の値動きも何となく気になる。

生来真面目で、若い頃から異性に対して「奥手」だった良樹は、今やネットを通じて気楽に飛び込んでくる恋愛や性に関する赤裸々な情報には目を見張った。初めのうちは「いい年をして今更」という気恥ずかしさも手伝って躊躇したが、見ているうちに考えが変わった。見れば見るほどそれらは人間にとって「当たり前のこと」なのだ。いわゆるアダルトサイトでは、その「当たり前のこと」をことさらにおどろおどろしい言葉を並べて関心を煽り有料のデータを売り込もうとしている。しかし、その「赤裸々」なセックスの画像や映像は見ること自体が「快感」につながり「見たい」気持ちが募ってくるのも事実なのだ。

妻を抱きたいと思った。しかしそれも今はなかなか思うに任せない。

次回のテーマは   「波(4)」 です。



波(2)

2016年02月23日 11時17分15秒 | シニアの恋
波(2)

「退職金を使って車を新しくしようと思うんだがね。」
上岡良樹は、退職後一週間ぐらいは家の近所を散歩したりして過ごしていたが、車を買い替えて妻と新車でドライブに行きたいと思った。退職金の一部を使えば十分買える。
「今の車はもうだめなの?」
「いや、そういうわけじゃないけど、今なら無理なく買えるし、たまにはお前とドライブを楽しみたくてね。」
「ドライブなら今の車でもいいんじゃない。私は満足よ。これからは年金だけで収入は減るんだし、お金は大切に使う方がいいわよ。」
「・・・」

予想通り渋い妻の反応だ。まだ結論は出していないが、考えてみれば確かに妻の言う通りだとも思った。しかし、まだ諦めきれない気持ちが強い。今のカローラも休日のゴルフか、たまに妻とのドライブ以外には使っていないので走行距離も八万キロを少し超えたところでまだまだ快調だ。新車は確かに高価な買い物だが今なら現金で買える。最新のハイブリットを乗り回してもみたい。今買わなければ二度とチャンスはない。そう思うと矢も楯もたまらない気持ちになってくる。

翌日午前中に近くのディーラーに一人で出かけて試乗をしてみた。店員の説明を聞いてハンドルを握ると久しぶりに胸がときめく。新車の匂いを楽しみながら恐る恐るアクセルを踏むと車は音もなく動き出した。アクセルを踏んでも従来のようなエンジン音が無いのがちょっと物足りないような気もするが滑るように加速する感覚が新鮮だ。サーっというタイヤの音と路面の凹凸を拾うにぶい感触だけが伝わってくる。速度を上げていくといつの間にか軽いエンジン音に切り替わっていて違和感はなかった。もともとドライブ好きな良樹はもう内心買うことに決めていた。帰ると昼を少し過ぎている。
「どこへ行っていたの、いつの間にか居なくなっていたからどうしたのかと思ったわ。」
「車の試乗をしてきたよ。ハイブリットはやっぱり良いなぁ。やっぱり買うことに決めたよ。いいだろう。」
「別にいいわよ。あなたが決めたことだから、反対してもどうせ買うんでしょう。それよりお昼にしましょうよ。用意はできてるのよ。」

二週間後にレッド・ボディのカローラアクシオ1500ハイブリッドが来た。ボディカラーは妻の意見も入れて決めた。配送されてきた新車を二人は眩しそうに眺めた。良樹は内心誇らしかった。綾乃もさすがに笑顔を見せ、塵一つない新車のボディに手を当てて見入った。
「早速、試運転を兼ねて買い物に行こうか。」
今まで買い物に自から進んで行こうなど言ったことの無かった夫が言い出したので綾乃は内心やや白けた気分になったが言葉には出さなかった。

次回のテーマは   「波(3)」 です。



波(1)

2016年02月17日 06時03分15秒 | シニアの恋
    波(1)

平成二十三年五月十八日水曜日、上岡良樹は六十五歳の誕生日を迎え、三十八年にわたるサラリーマン生活に終わりを告げた。「定年」、多くの人々が迎える人生の区切り。川崎市内にある大手自動車メーカーの系列会社で経理部長を務めた良樹は、その日職場の同僚たちの送別会に招かれて夜十一時過ぎに帰宅した。同じ駅から通っている今日まで部下だった吉村太郎が自宅までタクシーで送ってきてくれた。

家では妻の綾乃が、食卓に料理を並べて夫の帰りを待っていた。テーブルには夫の好物の生ビールも並んでいたが料理はすっかり冷めている。
「おかえりなさい。あなた、長い間お疲れさまでした。今日は無事勤め上げたお祝いにと思って料理を作って待っていたのよ。」
「そうか・・・せっかくだったなぁ。今日は会社の送別会ですっかり飲んできちゃったよ。今日あること言ってなかったな、ごめん・・・」
「それならそうと電話でもくれればよかったのに。いつもあなたはそうなんだから。」
綾乃は思わず不平が口をついた。完全に酩酊状態の良樹は話すのも大儀な様子で、ふらつく足でそのまま二階へ上がってしまった。綾乃は心配になり後から急いで寝室に上がり、夫のベッドを整えると夫は背広のままベッドに倒れ込むように寝てしまった。

綾乃はベッドにうつ伏せて正体なく横たわる夫の姿をしばし呆然と眺めた。足元に夫の使い古した茶の革鞄が無造作に落ちている。腹の底にやりきれない怒りがこみあげてくる。
「今日が最後の出勤ね。ビールを買っておくわね。」
と言って送り出しただけに、気持ちが収まらなかった。

職場恋愛で結婚したが結婚当初から
「家計のことや子供のことはお前に任せるから自由にやってくれ。僕は稼ぐことに専念するから。」
というのが彼の口癖だった。良樹は煙草は喫わない。酒も好きなビールをほんのたしなむ程度で、会社の行き帰りも寄り道などほとんどしない生活だったが、この五年ほど月に一度は休日に会社の付き合いと趣味を兼ねたゴルフに車で出かけるようになっていた。部下でありゴルフ仲間でもあった吉村太郎たちとはゴルフ仲間の連絡をスマホのラインでとりあっていた。

給料は良樹名義の口座に振り込まれ、通帳は妻の綾乃が管理し、良樹の費用は必要に応じて現金を渡していた。神奈川県S市郊外の戸建住宅団地に立てた家のローンも一昨年の九月に完済していたのでゴルフ以外にそれほど多くの出費もなく、生活に困るようなこともなかった。退職金として振り込まれたお金はそのまま綾乃が定期に入れていた。綾乃は軽ワゴン車の中古を買って買い物などに使っていた。

次回のテーマは   「波(2)」 です。


短編小説 熟年夫婦

2016年02月04日 23時07分54秒 | シニアの恋
熟年夫婦

あなたは妻に惚れていますか?
あなたは夫と恋をしていますか?

夫婦生活を長年しているといろいろあります。子供のこと、仕事のこと、家計のこと、住まいのこと、ローンのこと、衣服のこと、食べ物のこと、家事のこと、お互いの趣味のこと、夫婦喧嘩のこと・・・

夫婦になった男女を世間はごく当たり前に「一体の存在」としてみます。しかし結婚という手続きをしない男女が一緒にいると「好奇の対象」として見られることが多々あります。まして高齢と言える未婚のカップルには厳しい目を向ける人もあるようです。しかしそのような人たちこそ本当は充実した幸せな日々を送っている「恋人」たちであることが多いのです。

熟年夫婦というとき真っ先に脳裏に浮かぶのは一時盛んに取りざたされた「熟年離婚」という言葉です。そこまで行かなくても、世の男性は三人寄れば自分の妻がいかに自分の意に添わないかを喧伝し、女性は夫の無理解のほどを一人でも多くの人に納得させようと意を用いでいるのが目につきます。また、いわゆる「恐妻家」と言われる人たちは、ご自分にとって奥様がいかに怖くて、逆らえない存在かを強調されます。

しかし、よく聞いているとそのニュアンスは一人ひとりみんな違っています。いかにも憎々し気に夫や妻の悪口を言う方もいれば、言葉とは裏腹に、本当は褒めて話したいのに、わざと悪口っぽく聞こえるように話すなど、本心が見えないような話し方をする方も多いようです。

熟年と言えども「夫婦」であるからには「仲良く」したいのは誰しも異論のない所でしょう。しかし現実には「亭主元気で留守が良い。」とか「ぬれ落ち葉」などと言って、夫婦は外見的にはいかにも「仲良し」ではないことを強調する風習が我が社会の風土にはあるようにも見受けられます。そして、そのためとは言えないまでも、定年後のご家庭では実際お二人が一緒にいるのがなんとなく気づまりであったり、相手がいない時の方が、のびのびできるように感じる方々も居られるようです。

私はシニアのご夫婦にはもう一度「恋人」に戻ることをお勧めします。それは、とりもなおさずお互いが「一体」ではなく「他人同士」になることを意味します。ここではそのような例として、上岡良樹さん、綾乃さんご夫妻のケースをご紹介したいと思います。

上岡さんご夫妻は夫の良樹さんが七十四歳、綾乃さんが二つ歳上の七十六歳で、良樹さんが二十六歳のとき社内恋愛で結婚されました。ご夫妻は男ふたり女ひとりのお子さんを育てられ、それぞれ独立され、今はおふたりで幸せに暮らしておられます。一見なんの変哲もない老夫婦、ですがお二人の四十八年の歩みは壮絶なドラマそのものでした。ここにその全てをご紹介することはできませんが、次回から数回の連載でおふたりが乗り切ってこられた熟年夫婦の危機を「波」と題してお話したいと思います。

次回のテーマは  波(1) です。