シニア世代の恋愛作法(白浜 渚のブログ)

シニア恋愛小説作家によるエッセイ集です
 ブログの記事すべての内容に関する権利は白浜渚に所属します。
 

可愛い女・優しい男

2015年07月25日 16時11分12秒 | 随筆
 可愛い女・優しい男
「可愛い」という言葉から先ずペットが頭に浮かびます。可愛い女とはペットのような女ということでしょうか。ある調査によると、男性から見た「可愛い女」としては次のようなケースがあげられるそうです。
1.話を素直に聞いてくれる!
2.甘えるのが上手
3.ルックスが良い
4.健気な子
5.言葉遣いがキレイ
6.どこかゆるくて抜けている
7.すぐに謝ってくれる子
8.笑顔が多い
9.純粋な子

個々の男性にとってどれが一番ぴったりくるかは異なると思いますが、私の考える「恋人としての女性」を考える場合、本当に可愛い女性は、少なくとも「ペットのような女性」ではりません。「赤ちゃんや、無心に遊ぶ幼児の可愛さ」でもありません。上記の項目のうち、2.3.6.7.などはどちらかというとこのような可愛さの範ちゅうに属するように思われます。

私にとって「可愛い女性」とは、

前向きに生き、物事に一途に取り組む女性
そして笑顔が絶えない女性

ということができます。そこには、「他人」である彼女への信頼と尊敬の気持ちが含まれ、一緒にいると、相手から大切な何かを得ることができ、幸せを感じることができるのです。

一方女性からみて、好感度の高い男性のタイプとして「優しい男」ということが良く言われます。ただ、優しい男性は「誰に対しても優しいから信用できない」と言う女性の言葉も耳にします。本当の優しさとはどういうことなのか、誰もが本気で考えなければならない課題だと思います。優しい男については、いろいろなサイトでの扱われていますが、「女子を幸せにする本当に優しい男の特徴」と題したサイトには共感します。

恋人どうしの間で「優しさ」とは

相手を思いやる知恵

に他ならないと思います。自分の行動や態度に対して彼女がどう感じるかを想像でき、相手の嫌がることはしない。二人の間を傷つけるようなことは避け、愛を育てることができる知恵です。

ここでは表面だけの優しさは必要ありません。親切や優しさの押し付けはかえって相手に不快感を植え付けます。よく、男性に比べ女性を低く見て、常に「上から目線」で行動する男性を目にします。そういう男性は、女は弱いものと決めつけて自分が守ってあげようと行動します。職場での上下関係ならいざ知らず、対等に愛し合う恋人どうしに上下関係はありません。

こう考えると、男性と女性のそれぞれの特徴をよく理解した上で対等な立場で愛し合える恋人同士にとって、「可愛さ」も「優しさ」も男女がお互いに必要なことではないでしょうか。まして、シニアの恋愛においては、大切なことに思えます。「可愛い男」も「優しい女」も、素敵な恋を成り立たせる大切な要素なのです。


次回のテーマは   「しがらみを作らない関係」  です。


老人の恋

2015年07月22日 21時23分04秒 | 随筆
老人の恋

鏡を見るとひとりの老人が映っています。でも、よく見るとその奥に、目には見えない若者が微笑んでいました。その心は、恋をする若者のそれとほとんど変わらない、溌剌とした笑顔です。きっと彼は、若々しくて美しい、彼女の微笑みを胸に抱いているのでしょう。でも、その彼女も、ちょっと見は普通の「おばあちゃん」なのです。孫もいます。

二人はいつも一緒に行動し、ボランティア活動にも参加します。逢うと必ずしっかりと抱き合い、キスを交わしてからその日の行動を開始します。買い物も、役所の手続きも、銀行も、ボランティア活動も、二人に共通な趣味活動も・・・

一緒にいるとき、二人はほとんど、自分たちの年齢を意識しません。むしろお互いに少年と少女に戻ったような気分で、話し合い、ふざけあい、時にはちょっとした言い争いもします。
二人には、それぞれ独自に趣味と、所属しているグループがあり、そんなときは、別々に行動します。彼女は昔から強いリーダーシップを持ち、仲間の中心になって活動してきたのでそこから抜け出すことはなかなかできません。彼にも独自の活動があり、お互いに毎日忙しい、しかし充実した日々を送っています。どちらも、内心では、全部ふたりで一緒にできたらと望んでいますが、それはまだ難しいようです。それでも活動を終えて夕方どちらかの家で少しの焼酎を酌み交わしながら一日のこと、これからのことを話し合うのは至福のひと時です。

お互いの家は徒歩2分ぐらいと近いのですが、夜の10時には別れてお互いの自宅に戻ります。明日はまた一緒に行動することは分かっていても、やはり別れは別れ、そのときのちょっぴりつらい切なさは、明日の活動への楽しみを倍加させます。

年に何度かは、二人の旅行を楽しみます。ふたりが最も「恋人」らしい時間を共有できるのもこのときです。日頃の忙しい活動や、生活の現実から離れ、文字通り水入らずのひと時に浸ります。旅の宿は、ふたりにとって歳を忘れ、現実の青春を体現する舞台でもあるのです。そして、明日への夢を育み、生きる希望と原動力になる「若さ」を育てます。

アメリカの詩人サミュエルウルマン(Samuel Ullman, 1840年~1924年)は「青春の詩(Youth)」の中で「青春とは人生の一時期のことではなく心のあり方のことだ。」と言っています。



次回のテーマは   「可愛い女・優しい男」  です。

別れの美学

2015年07月22日 15時10分16秒 | 随筆
別れの美学
恋は別れによって成立します。この、一見矛盾した命題は実は私の実感なのです。好きな異性と共に暮らしたいというのはごく自然な情感です。しかし、実際は「一緒に暮らし始めた」時から、心的な求引力は減退し始めます。当事者の意思であれ、周囲の状況の結果であれ、離別しなければならない状況に当面したとき、もっとも強い求引力が生まれます。ここに「別れの美学」があります。昔から、恋の歌の世界では別れを扱ったものが圧倒的に多く、良いものも多いことは論を待たないでしょう。

いわゆる「不倫」という状況は、このことを最も端的に示しています。結ばれ難いゆえに強く惹かれる関係は、これに限ったことではありません。1000年の昔、世界最古の恋愛小説といわれる「源氏物語」の主人公光源氏は、困難に直面したときに初めて恋の炎を燃やすことが出来ました。また、悲恋という、結ばれる事のなかった恋の物語は、古今東西を問わず小説や映画でも人々に深い感動を与えてきました。究極の別れは「死」です。昔から報われなかった愛を「死」によって解決するタイプの物語は多数書かれてきました。しかし、それは美しい幻想です。人は、幻想としての物語は受け入れても、現実にそれを受け入れることは出来ません

高齢者がより充実した人生を生きるために、恋愛は最高のアイテムと言えます。ことに、伴侶を亡くした高齢者には、孤独から立ち直れる最強の力になります。恋をする人は愛を充実させるために、自身の健康に心をくばります。百人一首でよく知られた

君がため 惜しからざりし 命さへ
    ながくもがなと 思ひけるかな        藤原義孝

という歌は、この永遠の真理を言い当てていて妙です。

一方、恋人だから「結婚」しよう、ということは、これから家庭を築き、子供たちを含めて幸せを求めていこうという若い世代には適切かもしれませんが、シニアにとってもそうでしょうか。夫の籍に女性が入籍して、世帯を構えるという我が国の結婚制度は、お互いの気持ちとは別に、法律的な義務と拘束がかかります。お互いに愛情が冷えてしまったカップルにとって、結婚という縛りは苦痛以外の何物でもなくなってしまうでしょう。

あくまでも独立した個人の対等な関係としての付き合いが「恋人」です。事情により同じ家に住むことになったとしても、このことは大切にしたい原則です。楽しい逢瀬のあとのしばしの別れは、ひとりになって改めて恋人への思いを深くし、二人の関係を更に密接にします。

長年一緒に暮らしている夫婦の間では、お互いに、相手を「空気のような存在」という人がよくいます。ここではもはや配偶者は「異性」ではないのです。セックスレス夫婦が増えているという統計も出ています。
長年連れ添った夫婦であっても、少し意識を変えて、もう一度一人ひとりの「個人」に立ち返る時間を作ることで「恋人」の新鮮な関係に戻ることもできるのではないでしょうか。



次回のテーマは   「老人の恋」  です。

恋人は他人

2015年07月19日 21時58分09秒 | 随筆
恋人は他人
このブログは、どうしたら恋人にめぐり合えるかを教える「恋愛指南」ではありません。恋人どうしが、いつまでも幸せな恋人でいられるにはどうするかを考えます。

恋を持続可能にするには、相手が「他人」であることへの認識を持続させることに尽きます。完全に独立した個体どうしが、相手の性向に惹かれて初めて恋愛は成立します。いかに愛情が豊かでも、恋人は他人なのです。そして、この当たり前な原理は、意外に忘れられやすいのです。「こんなに愛しているのだから相手も同様に感じているだろう」これは相手が他者であることを忘れたためにおこる「すれ違い」です。相手を信頼し、受け入れ、お互いのために奉仕し、尽くし、喜びの享受を共有する、これらは他者ゆえにできることで、お互いの深い幸せにつながります。

異性を異性として認識できることは、自分とは異なる性(さが)を有する他者の存在への認識があるかどうかで決まります。相手を自分自身と同化し、或いは所有物に感じ始めたときから次第に恋は失われていきます。夫婦が次第に相手に対して異性としての感覚を失っていくことはごく自然のことかもしれません。これから家庭を持ち、家族生活を構築しなければならのない世代ならばその帰結は「結婚」ということに落ち着くでしょう。若者であれば、50年後のことを思って、二人でお金を貯め、教育のための準備をし・・・

しかし、シニア世代にとって法律的な結婚はほとんど意味をなさないと言っていいかもしれません。むしろ、相続などの問題にかかわらないままで、独立した男女の「純粋」な結びつきだけを追求すればよいのです。だから高齢者には「純粋恋愛」が可能なのです。

シニアの恋愛において、愛する人に何かをしてあげたい。そこには打算や義務は発生しません。シニアには、こうしたことは必要がないので、ただ二人の現在を考えることができるのです。

 恋愛が恋愛であるためには、経済的にも、生活パターンでも、お互いに独立した個人どうしであることが必要です。たとえば、どちらかが相手の経済力に頼った関係にあった場合、純粋恋愛は崩壊します。あくまでも、相手は妻や夫ではなく「恋人」なのです。もちろん、いわゆる「愛人」でもありません。「他人」である恋人と、愛で結ばれ、お互いに惹かれあうとき、そこには深い幸せの感覚が生まれます。恋人という微妙な距離感を大切に守りきることは、ことにシニアのカップルにとってとても大切な要件ではないでしょうか。

次回のテーマは   「別れの美学」  です。


シニアだから「恋」をする

2015年07月18日 23時46分28秒 | 随筆
プロローグ 《シニアだから「恋」をする》
 高齢者の恋愛が最近増えているといいます。旅行に出ると、観光地では仲睦まじい熟年のカップルを多数見かけます。老人施設などでも、入所者どうしの恋愛が取りざたされる昨今、高齢化が進むほど、一人住まいの高齢者が増え、老人の恋愛事情も「老いらくの恋」などとは言っていられない社会現象となっているとも言えそうです。

しかし、一言で「恋愛」と言っても、若い世代の恋愛と高齢者のそれとでは、全く事情が異なります。一般に若者の場合は〈交友→恋愛→結婚→家庭〉というプロセスが考えらますが、高齢者の場合はあてはまらないでしょう。

「老人」という言葉からはどうしても加齢・頑固・ボケ・体力のおとろえ・病気・などといったマイナスイメージが付きまとい、暗い側面だけが先行しがちですが、この高齢化時代は、まさに健康で元気な高齢者が多数生み出された結果であるという側面を知るべきです。。

私が小学校の頃習った歌に「村の渡しの船頭さんは今年六十のおじいさん」という歌がありました。今、六十歳を「おじいさん」なんて言ったら袋叩きにあいかねませんね。しかし人は必ず死を迎えるのも避けられない事も事実です。だから、そこに向かってどう生きるかが問題なのですが、高齢か否かは問わず、通常自分が死に直面することを人は想定していません。と言うより「想定できない」という方が正しいのです。だから、実際には死を恐れて思い煩う必要はないのです。生きている今を完全燃焼させることに全力をそそげばいいのです。

「恋」は生きるための大切な要素です。「もう歳だから」はやめましょう。シニアだから恋をするのです。今だから「恋人」のいる人生を生きる知恵を出し合いたいと思い、このブログをはじめます。

このブログでは、次回から現代の高齢者の恋愛を「死を想定しない恋愛」としていくつかのポイント(テーマ)から考えてみたいと思います。

次回のテーマは   「恋人は他人」  です。