シニア世代の恋愛作法(白浜 渚のブログ)

シニア恋愛小説作家によるエッセイ集です
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波(1)

2016年02月17日 06時03分15秒 | シニアの恋
    波(1)

平成二十三年五月十八日水曜日、上岡良樹は六十五歳の誕生日を迎え、三十八年にわたるサラリーマン生活に終わりを告げた。「定年」、多くの人々が迎える人生の区切り。川崎市内にある大手自動車メーカーの系列会社で経理部長を務めた良樹は、その日職場の同僚たちの送別会に招かれて夜十一時過ぎに帰宅した。同じ駅から通っている今日まで部下だった吉村太郎が自宅までタクシーで送ってきてくれた。

家では妻の綾乃が、食卓に料理を並べて夫の帰りを待っていた。テーブルには夫の好物の生ビールも並んでいたが料理はすっかり冷めている。
「おかえりなさい。あなた、長い間お疲れさまでした。今日は無事勤め上げたお祝いにと思って料理を作って待っていたのよ。」
「そうか・・・せっかくだったなぁ。今日は会社の送別会ですっかり飲んできちゃったよ。今日あること言ってなかったな、ごめん・・・」
「それならそうと電話でもくれればよかったのに。いつもあなたはそうなんだから。」
綾乃は思わず不平が口をついた。完全に酩酊状態の良樹は話すのも大儀な様子で、ふらつく足でそのまま二階へ上がってしまった。綾乃は心配になり後から急いで寝室に上がり、夫のベッドを整えると夫は背広のままベッドに倒れ込むように寝てしまった。

綾乃はベッドにうつ伏せて正体なく横たわる夫の姿をしばし呆然と眺めた。足元に夫の使い古した茶の革鞄が無造作に落ちている。腹の底にやりきれない怒りがこみあげてくる。
「今日が最後の出勤ね。ビールを買っておくわね。」
と言って送り出しただけに、気持ちが収まらなかった。

職場恋愛で結婚したが結婚当初から
「家計のことや子供のことはお前に任せるから自由にやってくれ。僕は稼ぐことに専念するから。」
というのが彼の口癖だった。良樹は煙草は喫わない。酒も好きなビールをほんのたしなむ程度で、会社の行き帰りも寄り道などほとんどしない生活だったが、この五年ほど月に一度は休日に会社の付き合いと趣味を兼ねたゴルフに車で出かけるようになっていた。部下でありゴルフ仲間でもあった吉村太郎たちとはゴルフ仲間の連絡をスマホのラインでとりあっていた。

給料は良樹名義の口座に振り込まれ、通帳は妻の綾乃が管理し、良樹の費用は必要に応じて現金を渡していた。神奈川県S市郊外の戸建住宅団地に立てた家のローンも一昨年の九月に完済していたのでゴルフ以外にそれほど多くの出費もなく、生活に困るようなこともなかった。退職金として振り込まれたお金はそのまま綾乃が定期に入れていた。綾乃は軽ワゴン車の中古を買って買い物などに使っていた。

次回のテーマは   「波(2)」 です。


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