亀歩の出逢

参加した行事や花などの突然遭遇した事柄を主に更新していますが、時々地球の温暖化による自然の摂理に翻弄されています。

「第114回川崎市定期能」

2018-08-11 | 散歩
「案内のパンフ」


 前回は第111回の川崎市定期能を鑑賞したが、久し振りに連れ合いと「第114回川崎市定期能と狂言」を鑑賞して来た。
何かの拍子に日本の伝統芸能を見たくなる時が有り、チケットは川崎能楽堂で発売されるが、平日の9時からだと勤めていると購入出来ない。残券があると後刻に電話で受け付け、料金を振り込むと後日チケットを郵送してくるのでその時だけ購入ができ観賞することができ楽しみになります。
今回は狂言「痩松(やせまつ)」と仕舞が「天鼓」、能が「半蔀(はしとみ)」で月遅れのお盆休みに入ったからか、それとも出し物が良かったからか148の座席が満杯の盛況で暑さを忘れて心満ちた大満足で先程帰宅しました。
出し物の概略は次の通りです。
 ● 狂言「痩松」 : 山賊が山の中で待ち伏せしていると一人の女が通りかかります。山賊は薙刀を振り回して女を脅し持ち物を奪い取りますが、山賊が奪った持ち物を点検して喜んでいるすきに、女に薙刀を奪われてーーー。
 ● 能「半蔀」 : 京都北山の雲林院の僧が、ひと夏の修行を終えたので、その期間に毎日仏に供えた花々のために供養を行っていました。すると夕暮れ時に一人の里女が現れ一本の白い花を供えました。僧がひときわ美しく咲いている「その花の名は何か。」と尋ねると女は「夕顔の花だ。」と答えます。僧が女の名を尋ねると、その女は「名乗らなくともそのうちにわかるだろう、私はこの花の陰からきた者であり五条あたりに住んでいる。」と言い残して花の陰に消えていきます。在所の者がやってきて、光源氏と夕顔の物語を話して聞かせ、その女は夕顔の亡霊であろうと述べ、五条あたりへ弔いに行くことを勧めます。僧が五条あたりを訪れると、昔のままの佇まいで半蔀に夕顔が咲く家があります。僧が菩堤を弔おうとすると、半蔀を上げて夕顔の霊が現れ、光源氏との思い出を語り、舞を舞い、夜が明けないうちにと半蔀の中へ戻って行きます。そのすべては僧の夢の中の出来事だった。という内容で、狂言が約15分、仕舞は5分位で能の「半蔀」は約80分の長丁場に心打たれて観賞させて頂きました。
 私の少ない知識では「半蔀」の意味が解らず能の題目とだけ覚えていたが、因みに広辞苑には、「半蔀(はしとみ)」とは上半分を外へ揚げるようにし、下ははめ込みになった「格子組の裏に板を張り、日光をさえぎり風雨を防ぐ戸で、上下二枚に分かれ、下を立て上一枚は金物で釣り上げて採光用とし、室外にあって垣の用をなし、室内にあっては衝立をなすもの」とあり少し知識が増えました。

追記 : 前回は第111回と思っていたら、矢張り多少(?)痴呆症が出ているのか今年の3月に第113回の川崎市定期能を花見と一緒に観賞していました。近頃の政治家や役人を「『覚えが無い』なんてウソツキがーー。」と批判していたら、半年近くの間があいたとしても忘れてしまい、自分にも火の粉が飛んできて唖然としてしまいました。

連れ合いと2人で行ったというエビデンス

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