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徒然草の鑑賞    寺田寅彦

2009-10-27 07:45:57 | 図書館
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徒然草の鑑賞



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『文学』の編輯者から『徒然草《つれづれぐさ》』についての「鑑賞と批評」に関して何か述べよという試問を受けた。自分の国文学の素養はようやく中学卒業程度である。何か述べるとすれば中学校でこの本を教わった時の想い出話か、それを今日読み返してみた上での気紛れの偶感か、それ以上のことは出来るはずがない。しかし、それでもいいからと云われるので、ではともかくもなるべくよく読み返してみてからと思っているうちに肝心な職務上の仕事が忙しくて思うように復習も出来ず、結局|瑣末《さまつ》な空談をもって余白を汚《けが》すことになったのは申訳のない次第である。読者の寛容を祈る外はない。
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 中学校の五年で『徒然草』を教わった後に高等学校でもう一度同じものを繰返して教わったので比較的によく頭に沁《し》み込んでいると見える。その後ほとんどこの本を読み返したような記憶がなく、昔読んだ本もとうの昔に郷里の家のどこかに仕舞い込まれたきり見たことがない。それだのに今度新たに岩波文庫で読み返してみると、実に新鮮な記憶が残っていた。昔の先生の講義の口振り顔付きまでも思い出されるので驚いてしまった。「しろうるり」などという声が耳の中で響き、すまないことだが先生の顔がそのしろうるりに似て来るような気がしたりするのである。
 もう一つ気の付いて少し驚いた事は、『徒然草』の中に現れていると思う人生観や道徳観といったようなものの影響が自分の現在のそういうものの中にひどく浸潤しているらしいことである。尤も、この本の中に現われているそれらの思想は畢竟《ひっきょう》あらゆる日本的思想の伝統を要約したようなものであるから、おそらくこの本を読まされなくてもやはり他の本や他の色々の途《みち》から自然に注入されたかもそれは分からないと思われる。しかしその時代に教わった『論語』や『孟子』や、マコーレーの伝記物や、勝手に読んだ色々な外国文学などを想い出して点検してみても、なるほどそれらから受けた影響もかなり多く発見されはするが、どうもこれ程ぴったりはまるものは少ないような気がする。つまり、中学時代の染《そ》みやすい頭にこの『徒然草』が濃厚に浸み込んでしまったには相違ないであろうが、しかし、それにはやはりそれが浸み込みやすいような風に自分の若い時の頭の下地が出来ていたのかもしれないと思われる。そういう下地はしかしおそらく同時代の日本の少年の、皆まででなくとも大多数の中に、多少でも通有なものではなかったかと疑う。もしもそうであったとしたら、この『徒然草』が中学校の教科書として広く行われていたという事が、一時代の国民思想といったようなものに存外かなりの影響を及ぼしたのかもしれないと思われる。
『徒然草』から受けた影響の一つと思わるるものに自分の俳諧に対する興味と理解の起原があるように思う。この本のところどころに現われる自然界と人間の交渉、例えば第十九段に四季の景物を列記したのでも、それが『枕草子』とどれだけ似ているとか、ちがうとかいう事はさておいて、その中には多分の俳諧がある。型式的概念的に堕した歌人の和歌などとは自ずからちがった自由な自然観が流露している。「青葉になりゆくまで、よろづにたゞ心をのみぞなやます」というような文句でも、国語の先生の講義ではとても述べられない俳諧がある。同じことを云った人が以前に何人あろうがそんなことは問題にならない。この文句が『徒然草』の中のこの場所にあって始めて生きて、そうして俳諧となるのである。ここで自分のいわゆる俳諧は心の自由、眼の自由によってのみ得られるものなのである。
 兼好《けんこう》はこの書の中で色々の場所で心の自由を説いている。例えば第三十九段で法然上人《ほうねんしょうにん》が人から念仏の時に睡気《ねむけ》が出たときどうすればいいかと聞かれたとき「目のさめたらんほど念仏し給へ」と答えたとある。またいもがしらばかり食った盛親僧都《じょうしんそうず》の話でも自由風流の境に達した達人の逸話である。自由に達して始めて物の本末を認識し、第一義と第二義を判別し、末節を放棄して大義に就くを得るということを説いたのには第百十二段、第二百十一段などのようなものがある。反対にまた、心の自由を得ない人間の憐むべく笑うべくまた悲しむべき現象を記録したものが非常に沢山に収集されていて、それがまたこの随筆集中の最も面白い部分をなしているのである。似非風流《えせふうりゅう》や半可通《はんかつう》やスノビズムの滑稽、あまりに興多からんことを求めて却って興をさます悲喜劇、そういったような題材のものの多くでは、これをそのままに現代に移しても全くそのままに適合するような実例を発見するであろう。十四世紀の日本人に比べて二十世紀の日本人はほとんど一歩も進んでいないという感を深くさせるのはこれらの諸篇である。新しがることの好きな人は「一九三三年である。今頃『徒然草』でもあるまい」と云うが、そういう諸君の現在していることの予報がその『徒然草』にちゃんと明記してあるのである。
 鼎《かなえ》をかぶって失敗した仁和寺《にんなじ》の法師の物語は傑作であるが、現今でも頭に合わぬイズムの鼎をかぶって踊って、見物人をあっと云わせたのはいいが、あとで困ったことになり、耳の鼻も※[#「てへん+宛」、第3水準1-84-80]《も》ぎ取られて「からき命まうけて久しく病みゐる」人はいくらでもある。
 心の自由を得てはじめて自己を認識することが出来る。そこから足ることを知る節制謙譲が生まれるであろう、と教える東洋風の教えがこの集のところどころに繰返して強調されている。例えば第百三十四段から第百三十七段までを見ただけでも大体のものの考え方がわかる。第百三十七段の前半を見れば、心の自由から風流俳諧の生まれる所以《ゆえん》を悟ることが出来よう。
 このような思想はまた一面において必然的に仏教の無常観と結合している。これは著者が晩年に僧侶になったためばかりでなく大体には古くからその時代に伝わったものをそのままに継承したに過ぎないであろう。とにかく全巻を通じて無常を説き遁世《とんせい》をすすめ生死《しょうじ》の一大事を覚悟すべしと説いたものが甚だ多い。このような消極的な思想は現代の青年などにはおよそ縁の無いもののようにも思われるが、しかしよく読んでみると必ずしもそうでないようである。昭和の今日でも道を求め真を索《たず》ねるものの修業の道は本質的には昔の仏道修業者の道とそれほどちがったものではないようである。例えば第九十二段に弓の修業の心得から修道者の覚悟を説くのでも、直ちに移して以《もっ》て吾等科学研究者の坐右の銘とすることが出来る。また第百十二段に大事の前に小事を棄つべきを説く条でも同様である。国のために、道のために、主義のために、真理の探究のために心を潜めるものは、今日でも「諸縁を放下《ほうげ》すべき」であり、瑣々《ささ》たる義理や人情は問題にしないのである。それが善い悪いは別として、そうしなければ大願望が成就《じょうじゅ》しないことだけはたしかである。そういう「事実の方則」がこの書の到る処に強調されているのを見逃すことは出来ないのである。
 かように、一方では遁世を勧めると同時に、また一方では俗人の処世の道を講釈しているのが面白い。これは矛盾でもなんでもない。ただ同じ事のちがった半面を云っているのであろう。
 世間に立交《たちまじ》わって人とつき合うときの心得を説いたものが案外に多い。これも現代にそのまま適用するものが多い。いわゆる「成功の秘訣」にでもありそうなことや、「英国風紳士道教程」の一つのチャプターといったようなもののあるのは面白い。第十二、三十六、三十七、五十六、七十三、百七等の諸段はその例である。いずれも平凡と云えば平凡のことであるが、この平凡事を忘れているために大きな損をしている人は現在の世間にでも存外多いらしい。
 第百九十三段「くらき人の、人をはかりて、その智を知れりと思はん、更にあたるべからず、云々」の条など現代の諸専門学者の坐右銘になる。ある一つの狭い専門の領域内でほんの少しばかり得るところが出来ると、もうすっかり思い上がって、冷静な第三者から見ればその人とは到底比較にならぬほど優れた他の学者のほんの少しの知識の不足を偶然に発見でもすると、それだけでもう自分がその相手に比して全般的に優ると思ったりするのは滔々《とうとう》として天下の風をなしている。人の書いた立派な著書の中から白玉《はくぎょく》の微瑕《びか》のような一、二の間違いを見付けてそれをさもしたり顔に蔭で云いふらすのなどもその類であるかもしれない。これは悪口でなく本当にある現象である、
 その次の第百九十四段及び第七十三段に「嘘のサイコロジー」を論じたものなども科学者の参考になる。これは「嘘」とは事変るが、アインシュタインの相対性原理がまだ十分に承認されなかった頃、この所論に対する色々な学者の十人十色の態度を分類してみると、この『徒然草』第百九十四段の中の「嘘に対する人々の態度の種々相」とかなりまでぴったり当て嵌《は》まるのは実に面白いと思う。科学の事でさえそうである。いわんや嘘か本当か結局証明の不可能な当世流行何々イズムなどに対する人々の態度には猶更よくあてはまるであろう。読者は試みに例えば、マルキシズムに対する現代各人各様の態度を「あまりに深く信をおこして」以下の数行にあてはめて見るとなかなかの興味があるであろう。ありとあらゆる可能な態度のヴァリアチオンが列挙してあるので、それらの各種の代表者を現代の吾々の周囲から物色するとすぐにそれぞれの標本が見付かる、そうして最後に自分自身がやはりそのうちのどれかのタイプに属することを発見して苦笑する人が多いであろう。
 このような人間の心理に関する分析的な考察も、すべてがこの著者のオリジナルなものではないであろう。清少納言から西鶴を通じて現代へ流れて来ている一つの流れの途中の一つの淀みのようなものに過ぎないかもしれないが、しかし、兼好法師という人の頭がかなりこういう分析にかけて明晰であったこともたしかであろうと思われる。
 迷信に関する第九十一段なども頭の明らかなことを証する一例である。「吉日を選びてなしたるわざの、すゑとほらぬを数へてみんもひとしかるべし」というのは、現代の科学者が統計学の理論を持出してしかめつらしく論じることを、すらすらと大和言葉で云っているのである。この道理を口を酸《す》くして説いても、どうしても耳に入らぬ人が現代のいわゆる知識階級や立派な学者の中にでもいくらでも見出されるのは面白い現象である。
 尤も、第二百三十段を見ると、狐《きつね》が化け得ることを認めているようであるが、これは当時の科学知識の水準から考えて当然の事である。今日の科学知識でも明日はどうなるか分からぬものはいくらでもあるし、また現代の科学者でも狐に化かされる人はいくらでもあるのである。狐の事は第二百十八段にもある。ここでは狐が喰い付く動物になっている。
 第六十八段、大根が兵士に化ける話は少し怪しいが、次の六十九段と合せて読んで見ると寓意《ぐうい》を主として書いたものとも思われる。
 迷信とは少し事変るがいわゆるゴシップの人を迷わす例がある。猫又《ねこまた》のゴシップの力で犬が猫又になる話や、ゴシップから鬼が生れて京洛《けいらく》をかけ廻る話などがそれである。現代の新聞のジャーナリズムは幾多の猫又を製造しまた帝都の真中に鬼を躍らせる。新聞の醸成したセンセーショナルな事件は珍しくもない。例えば三原山の火口に人を呼ぶ死神などもみんな新聞の反古《ほご》の中から生れたものであることは周知のことである。
 第三十八段、名利《みょうり》の欲望を脱却すべきを説く条など、平凡な有りふれの消極的名利観のようでもあるが、しかしよく読んでみると、この著者の本旨は必ずしも絶対に名利を捨てよというのではなく、「真の名利」を求めるための手段として各人の持つべき心掛けを説いているようにも思われる。それはとにかく、現代に活動している人でもこの一段の内容を適当に玩味することが出来れば名利の誘惑に逢って身を亡ぼすような災難を免れるだけの護符を授かるであろうと思われる。第百三十段もこれに聯関している。
 名利観に限らず、この著者は色々な点で人間の人間らしい人間性というかあるいは弱点というか、そういうものを事実として肯定した上で、これに対するプラグマチックな処世道を説いているようなところがある。第五十八段に実用向遁世法を説いているのなどもその傾向を示すかと思う。この著者がどうかすると腥《なまぐ》さ坊主と云われる所以《ゆえん》かもしれない。
 一方では玉の巵《さかずき》に底あることを望んだり、久米《くめ》の仙人に同情したり、恋愛生活を讃美したりしているが、また一方では(第百七段)ありたけの女性のあらを書き並べて痛快にこき下ろしているのである。一種の弁証法を用いたのであろう。
 色を説いた著者はまた第二百十七段で蓄財者の心理を記述しこれに対する短評を試みている。引用された大福長者の言葉は現代の百万長者でもおそらく云うことであろうし、金持になりたい人々の参考すべき「何とか押切帖《おしきりちょう》」の類であろうが、またこれに対する著者の評は、金のたまらぬ人間の安心立命《あんじんりゅうめい》の考え方を示すものである。
 酒飲む人のだらしのなさを描いた第百七十五段も面白い。六百年昔の酒飲みも今日の呑んだくれとよく似ている。それで絶対に禁酒を強調するかと思っていると、「おのづから捨てがたき折もあるべし」などとそろそろ酒の功能を並べているのもやはり「科学的」なところがある。
 勝負事を否定する(第百十一段)かと思うと、双六《すごろく》の上手の言葉を引いて(第百十段)修身治国の道を説いたり、ばくち打の秘訣(第百二十六段)を引いて物事には機会と汐時《しおどき》を見るべきを教えている。この他にも賭事《かけごと》や勝負に関する記事のあるところを見ると著者自身かなりの体験があったことが想像されて面白い。
 宿河原《しゅくがわら》のぼろぼろの仇討決闘の話でも、我執無慙《がしゅうむざん》を非難すると同時にまた「死を軽くして、少しもなづまざるかたのいさぎよさ」を讃えている。
 これらの著者の態度は一方から云えば不徹底で生煮えのようでもあるが、ものの両面を認識して全体を把握し、しかもすべての人間現象を事実として肯定した上で、可と不可とに対する考えをきめようとしているらしく思われる。この点がどこか吾々科学者の心掛けるものの見方に類するところがあるように思われるのである。
 以上述べたような項目の外に著しく多数に散在しているのは有職故実《ゆうそくこじつ》その他あらゆる知識に関するノートと云ったものである。これらも分類的に研究したら面白そうであるが今回は暇がないから略する。とにかく一方では遁世守愚をすすめながらも、また一方では知識というものの効能を高く買っていることがよくわかる。第五十一段の水車の失敗は先日の駆逐艦進水式の出来損ねを思い出させる。
 知識とは少しちがう「智恵」については第三十八段に「智恵出でては偽あり」とか「学びてしるは、まことの智にあらず」などと云っているのは現代人にも思い当たるふしがあるであろう。
 智恵の遊戯とも見られるウィティシズムの類例もいくつかある。第八十六、第百六、第百三十五などがそれであるが、これらにも多少の俳諧がある。
 子供の時から僧になった人とちがって、北面武士から出発し、数奇の実生活を経て後に頭を丸めた坊主らしいところが到る処に現われている。そうしてそういう人間が、全く気任せに自由に「そこはかとなく」「あやしう」「ものぐるほしく」矛盾も撞着《どうちゃく》も頓着しないで書いているところに、この随筆集の価値があるであろう。これらの矛盾撞着によって三段論法では説けない道理を解説しているところにこの書の妙味があるであろう。
 第八十段にディレッタンティズムに対する箴言《しんげん》がある。「人ごとに、我が身にうとき事をのみぞこのめる」云々の条は、まことに自分のような浮気ものへのよい誡《いまし》めであって、これは相当に耳が痛い。この愚かな身の程をわきまえぬ一篇の偶感録もこのくらいにして差控えるべきであろう。
 ある日の午前に日比谷近く帝国ホテルの窓下を通った物売りの呼び声が、丁度偶然そのときそこに泊り合わせていた楽聖クライスラーの作曲のテーマになったという話があったようである。自分の怪しう物狂おしいこの一篇の放言がもしやそれと似たような役に立つこともあれば、それによって幾分か僭上《せんじょう》の罪が償われることもあろうかと思った次第である。
[#地から1字上げ](昭和九年一月『文学』)



底本:「寺田寅彦全集 第七巻」岩波書店
   1997(平成9)年6月5日発行
入力:Nana ohbe
校正:noriko saito
2004年12月13日作成
青空文庫作成ファイル:










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