[総合ランキング] デイリー : 3152位 月間 : 16871位
[ジャンルランキング] 高校生 : 29位
■■■独歩・■■治・テーマ:ブログ
【検索の達人 ■■■】■■■に文字を記入!
高大連携情報誌 調べもの新聞
【ブログ=穴埋め・論述問題】
若山牧水 北原白秋 高校生クイズ
3
検索の達人 20090924【人物一覧】=[ 高校生クイズ(穴埋め・論述問題)] ■■■独歩・■■治・■■漱石・■鴎外・■■安吾・■■寛之・■■ひさし・■■露伴・■■一葉・■■賢治・■■総一郎・■■蘇峰・■■蘆花・■■白秋・■式部・小林秀雄・藤原新也・■万智・柳田 ...
ny180717.blog120.fc2.com/blog-date-20090924.html - キャッシュ - 類似ページ -
ny180717.blog120.fc2.com のその他の検索結果を表示する
4
nakamurayoshio6113のブログ : [ 紙媒体】 24P 高校生新聞(大学 ... - 4 回閲覧 - 10月2日2009年8月11日 ... 【高校生クイズ】穴埋め問題! 【学生街散歩】 【大学オープンキャンパス情報】 ..... 館・神奈川近代文学館・■鴎外記念館・北原■■記念館・東書文庫・■■■大学演劇博物館・■■八一記念館・青山学院大学図書館・日本新聞博物館・教科書 .... 高校生諸君! 鴉と正覺坊 ■■牧水 いつもより少し時間は遲かつたが、晩酌前 ...
blog.livedoor.jp/.../archives/50886801.html - キャッシュ - 類似ページ -
【検索の達人 ■■■】■■■に文字を記入!
高大連携情報誌 調べもの新聞
【ブログ=穴埋め・論述問題】
若山牧水 北原白秋 高校生クイズ
の検索結果 約 101 件中 1 - 10 件目 (0.53 秒)
2009-10-4 8:00
2
検索の達人 20090413 - 10 回閲覧 - 10月2日高校生クイズ 【Google】Google was co-founded by Larry Pa 【警視庁】警察官 4万2984人 職員 2841人 交番 831ヶ所 駐在所 253 . ... 参考文献 【日経 うたの動物記 小池光 雀の卵 北原白秋】 8 件 ...高校生新聞 『大学受験ニュース』(ブログ版)【検索の達人 国木田独歩 空知川の岸辺】 の検索 .... 【Google Reader 若山牧水】 の検索結果 約 108 件 2009-4-11 ①第13回若山牧水賞授賞式 : 短歌ジャーナル2009年2月14日 . ...
ny180717.blog120.fc2.com/blog-date-20090413.html - キャッシュ - 類似ページ -
3
検索の達人 20090924【人物一覧】=[ 高校生クイズ(穴埋め・論述問題)] 国木田独歩・太宰治・夏目漱石・森鴎外・坂口安吾・五木寛之・井上ひさし・幸田露伴・樋口一葉・宮沢賢治・田原総一郎・徳富蘇峰・徳富蘆花・北原白秋・紫式部・小林秀雄・藤原新也・俵万智・柳田 ...
ny180717.blog120.fc2.com/blog-date-20090924.html - キャッシュ - 類似ページ -
ny180717.blog120.fc2.com のその他の検索結果を表示する
4
nakamurayoshio6113のブログ : [ 紙媒体】 24P 高校生新聞(大学 ... - 4 回閲覧 - 10月2日2009年8月11日 ... 【高校生クイズ】穴埋め問題! 【学生街散歩】 【大学オープンキャンパス情報】 ..... 館・神奈川近代文学館・森鴎外記念館・北原白秋記念館・東書文庫・早稲田大学演劇博物館・会津八一記念館・青山学院大学図書館・日本新聞博物館・教科書 .... 高校生諸君! 鴉と正覺坊 若山牧水 いつもより少し時間は遲かつたが、晩酌前 ...
blog.livedoor.jp/.../archives/50886801.html - キャッシュ - 類似ページ -
若山牧水
若山 牧水(わかやま ぼくすい、1885年(明治18年)8月24日 - 1928年(昭和3年)9月17日)は、明治から昭和初期の歌人。本名・繁(しげる)。
目次 [非表示]
1 略歴
2 作家評
3 作品
3.1 歌集
3.2 紀行
4 外部リンク
略歴 [編集]
宮崎県東臼杵郡東郷村(現・日向市)の医師・若山立蔵の長男として生まれる。1899年(明治32年)宮崎県立延岡中学校に入学。短歌と俳句を始める。18歳のとき、号を牧水とする。
1904年(明治37年)早稲田大学文学科に入学。同級生の北原射水(後の白秋)、中林蘇水と親交を厚くし、「早稲田の三水」と呼ばれる。 1908年(明治41年)早大英文学科卒業。7月に処女歌集『海の声』出版。翌1909年(明治42年)中央新聞社に入社。5ヶ月後に退社。
1911年(明治44年)創作社を興し、詩歌雑誌「創作」を主宰する。この年、歌人・太田水穂を頼って長野より上京していた後に妻となる太田喜志子と水穂宅にて知り合う。1912年(明治45年)友人であった石川啄木の臨終に立ち合う。同年、喜志子と結婚。1913年(大正2年)長男・旅人(たびと)誕生。その後、2女1男をもうける。
1920年(大正9年)沼津の自然を愛し、特に千本松原の景観に魅せられて、一家をあげて沼津に移住する。大正11年10月、御代田駅より岩村田へ向かい、佐久ホテルに逗留し、数々の作品を残す。1926年(大正15年)詩歌総合雑誌「詩歌時代」を創刊。この年、静岡県が計画した千本松原伐採に対し、新聞に計画反対を寄稿するなど運動の先頭に立ち、計画を断念させる。1927年(昭和2年)妻と共に朝鮮揮毫旅行に出発し、約2ヶ月間にわたって珍島や金剛山などを巡るが、体調を崩し帰国する。翌1928年夏頃より病臥し、自宅で死去する。享年43。沼津の千本山乗運寺に埋葬される。戒名は古松院仙誉牧水居士。
牧水の死後、詩歌雑誌「創作」は歌人であった妻・喜志子により受け継がれた。長男・旅人も歌人となり、沼津市立若山牧水記念館の初代館長をつとめた。
作家評 [編集]
旅を愛し、旅にあって各所で歌を詠み、日本各地に歌碑がある。大の酒好きで、一日一升程度の酒を呑んでいたといい、死の大きな要因となったのは肝硬変である。ちなみに、夏の暑い盛りに死亡したのにもかかわらず、死後しばらく経っても死体から腐臭がしなかったため、「生きたままアルコール漬けになったのでは」と、医師を驚嘆させた、との逸話がある。自然を愛し、特に終焉の地となった沼津では千本松原や富士山を愛し、千本松原保存運動を起こしたり富士の歌を多く残すなど、自然主義文学としての短歌を推進した。
また、情熱的な恋をしたことでも知られており、喜志子と知り合う前の園田小枝子との熱愛は有名なエピソードである。出身地・宮崎県では牧水の功績を称え、1996年(平成8年)より毎年、短歌文学の分野で傑出した業績を挙げた者に対し「若山牧水賞」を授与している。
牧水は埼玉県秩父地方を数度訪れて、歌と紀行文を残している。秩父市の羊山公園には「牧水の滝」と名づけられた滝があり、そこには
「秩父町出はづれ来れば機をりのうたごゑつゞく古りし家竝に」
という秩父の春を歌った碑がある。
作品 [編集]
歌集 [編集]
海の声(1908年7月出版)
独り歌へる(1910年1月出版)
別離(1910年4月出版)
路上(1911年9月出版)
死か芸術か(1912年9月出版)
みなかみ(1913年9月出版)
秋風の歌(1914年4月出版)
砂丘(1915年10月出版)
朝の歌(1916年6月出版)
白梅集(1917年8月出版)
さびしき樹木(1918年7月出版)
渓谷集(1918年5月出版)
くろ土(1921年3月出版)
山桜の歌(1923年5月出版)
黒松(1938年9月出版)
紀行 [編集]
みなかみ紀行
木枯紀行
他、若山喜志子・大悟法利雄共編『若山牧水全集』雄鶏社(1958年 – 1959年)が刊行されている。
外部リンク [編集]
ウィキクォートに若山牧水に関する引用句集があります。若山牧水 -Official Web Site-
沼津市若山牧水記念館
宮崎県日向市
若山 牧水:作家別作品リスト(青空文庫)
「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%A5%E5%B1%B1%E7%89%A7%E6%B0%B4 」より作成
カテゴリ: 歌人 | 宮崎県出身の人物 | 1885年生 | 1928年没
最終更新 2009年7月3日 (金) 08:36
北原白秋
文学
ポータル
各国の文学
記事総覧
出版社・文芸雑誌
文学賞
作家
詩人・小説家
その他作家
北原白秋北原 白秋(きたはら はくしゅう、1885年1月25日 - 1942年11月2日 )は、日本の詩人、童謡作家、歌人。本名は北原 隆吉(きたはら りゅうきち)。詩、童謡、短歌以外にも、新民謡(「松島音頭」・「ちゃっきり節」等)の分野にも傑作を残している。生涯に数多くの詩歌を残し、今なお歌い継がれる童謡を数多く発表するなど、活躍した時代は「白露時代」と呼ばれる近代の日本を代表する詩人である。
弟はそれぞれ出版人となり、北原鉄雄は写真・文学系出版社アルスを、北原義雄は美術系のアトリエ社を、北原正雄は写真系の玄光社を創業した。
目次 [非表示]
1 経歴
1.1 文壇登場まで
1.2 『桐の花』まで
1.3 『落葉松』まで
1.4 晩年
2 作品
2.1 詩集
2.2 歌集
2.3 句集
2.4 童謡集
2.5 童謡・作詞
2.6 校歌・応援歌
3 著書
4 顕彰施設
5 関連項目
6 外部リンク
経歴 [編集]
文壇登場まで [編集]
北原白秋生家(福岡県柳川市)1885年1月25日、熊本の南関に生まれ、まもなく福岡の柳川にある家に帰る。父・長太郎、母・シケ。北原家は江戸時代以来栄えた商家(油屋また古問屋と号し、海産物問屋であった)で、当時は主に酒造を業としていた。1887年、弟鉄雄が生まれる。またこの年、白秋に大きな影響を与えた乳母シカがチフスで逝去する。
1891年、矢留尋常小学校入学。1897年、柳河高等小学校より県立伝習館中学(現福岡県立伝習館高等学校)に進むも、1899年には成績下落のため落第。このころより詩歌に熱中し、雑誌「文庫」「明星」などを濫読する。ことに明星派に傾倒したとされている。1901年、大火によって北原家の酒倉が全焼し、以降家産が傾きはじめる。白秋自身は依然文学に熱中し、同人雑誌に詩文を掲載。この年はじめて「白秋」の号を用いる。1904年、長詩『林下の黙想』が河井酔茗の称揚するところとなり、「文庫」四月号に掲載。感激した白秋は父に無断で中学を退学し、早稲田大学英文科予科に入学。上京後、同郷の好によって若山牧水と親しく交わるようになる。この頃、号を「射水(しゃすい)」と称し、同じく友人の中林蘇水・牧水と共に「早稲田の三水」と呼ばれた。1905年には『全都覚醒賦』が「早稲田学報」懸賞一等に入選し、いちはやく新進詩人として注目されるようになる。このころ、少年時代南関の家で本を読み、白秋に本の大切さを教えた叔父が亡くなる。
『桐の花』まで [編集]
1906年、新詩社に参加。与謝野鉄幹、与謝野晶子、木下杢太郎、石川啄木らと知りあう。「明星」で発表した詩は、上田敏、蒲原有明、薄田泣菫らの賞賛するところとなり、文壇の交友さらに広がる。また、このころより象徴派に興味を持つ。1907年、鉄幹らと九州に遊び(『五足の靴』参照)、南蛮趣味に目覚める。また森鴎外によって観潮楼歌会に招かれ、斎藤茂吉らアララギ派歌人とも面識を得るようになった。1908年、『謀叛』を発表し、世評高くなる。またこの年、新詩社を脱退した。木下杢太郎を介して、石井柏亭らのパンの会に参加。この会には吉井勇、高村光太郎らも加わり、象徴主義、耽美主義的詩風を志向する文学運動の拠点になった。1909年、「スバル」創刊に参加。木下らと詩誌「屋上庭園」創刊。また処女詩集『邪宗門』上梓。官能的、唯美的な象徴詩作品が話題となるも、年末には実家が破産し、一時帰郷を余儀なくされた。
1910年、「屋上庭園」二号に掲載した白秋の詩『おかる勘平』が風俗紊乱にあたるとされ、発禁処分を受けた(同誌は年内に廃刊)。またこの年、松下俊子(後述)の隣家に転居。1911年、第二詩集『思ひ出』刊行。故郷柳川と破産した実家にささげられた懐旧の情が高く評価され、一躍文名は高くなる。また文芸誌「朱欒」を創行。1912年、母と弟妹を東京に呼寄せ、年末には一人故郷に残っていた父も上京する。
白秋は隣家にいた松下俊子と恋におちたが、俊子は夫と別居中の人妻だった。2人は夫から姦通罪により告訴され、未決監に拘置された。2週間後、弟らの尽力により釈放され、後に和解が成立して告訴は取り下げられた。人気詩人白秋の名声はスキャンダルによって地に堕ちた。この事件は以降の白秋の詩風にも影響を与えたとされる。1913年、初めての歌集『桐の花』と、詩集『東京景物詩及其他』を刊行。特に『桐の花』で明星派のやわらかな抒情をよく咀嚼した歌風を見せ、これによって白秋は歌壇でも独特の位置を占めるようになる。春、俊子と結婚。三崎に転居するも、父と弟が事業に失敗。白秋夫婦を残して一家は東京に引きあげる。『城ヶ島の雨』はこのころの作品であるという。「朱欒」廃刊。発行期間は短かったが、萩原朔太郎や室生犀星が詩壇に登場する足がかりとなった。
『落葉松』まで [編集]
1914年、肺結核に罹患した俊子のために小笠原父島に移住するもほどなく帰京。父母と俊子との折合いが悪く、ついに離婚に至る。『真珠抄』『白金之独楽』刊行。また「地上巡礼」創刊。1915年、前橋に萩原朔太郎を訪う。弟・鉄雄と阿蘭陀書房を創立し、雑誌「ARS」を創刊。さらに詩集『わすれなぐさ』、歌集『雲母集』刊行。1916年、江口章子と結婚し、葛飾紫烟草舎に転居。筆勢いよいよ盛んにして『白秋小品』を刊行する。1917年、阿蘭陀書房を手放し、ふたたび弟・鉄雄と出版社アルスを創立。この前後、家計はきわめて困窮し、妻の章子は胸を病んだ。
1918年、小田原に転居。鈴木三重吉の慫慂により「赤い鳥」の童謡、児童詩欄を担当。すぐれた童謡作品を次々と発表し、作品に新生面をひらくのみならず、以降の口語的、歌謡的な詩風につよい影響を与えることになる。1919年、処女小説『葛飾文章』『金魚』発表。生活ようやくおちつき、歌謡集『白秋小唄集』、童謡集『とんぼの眼玉』刊行。1920年、『雀の生活』刊行。また『白秋詩集』刊行開始。小田原の住居の隣に山荘「木兎の家」を新築した際の祝宴は小田原の芸者総出という派手なものであった。それに白秋の生活を金銭的に支えて来た弟らが反発し、章子を非難する。着物ほとんどを質入れしたと言う章子は非難されるいわれもなく反発。章子はその晩行方をくらまし、白秋が不貞を疑い章子と離婚。1921年(大正10年)、佐藤菊子(国柱会会員、田中智學のもとで仕事)と結婚。信州滞在中想を得て、『落葉松』を発表する。歌集『雀の卵』、翻訳『まざあ・ぐうす』などを刊行。1922年(大正11年)、長男隆太郎誕生。また山田耕筰「詩と音楽」創刊。山田とのコンビで数々の童謡の傑作を世に送りだす。歌謡集『日本の笛』などを刊行。1923年、三崎、信州、千葉、塩原温泉を歴訪。詩集『水墨集』を刊行するも、関東大震災によりアルス社が罹災し、山荘も半壊する。
晩年 [編集]
1924年(大正13年)1月5日、田中智學の招きで両親、妻菊子、長男隆太郎らとともに静岡県三保の田中智學の最勝閣へ旅行、龍華寺、羽衣の松などを観光、長歌1首、短歌173首を作る。同年短歌雑誌「日光」を創刊。反アララギ派の歌人が大同団結し、象徴主義的歌風を目指す。1925年(大正14年)、長女篁子(ドイツ語学者・岩崎英二郎夫人)誕生。樺太、北海道に遊ぶ。童謡集『子供の村』など刊行。1926年、東京谷中に転居。詩誌「近代風景」創刊。童謡集『からたちの花』『象の子』などを刊行。1927年、出版内容の競合からアルス社と興文社に悶着がおこり、興文社側の菊池寛と対立。詩論集『芸術の円光』刊行。1928年、世田谷区に転居。大阪朝日新聞(現朝日新聞)の企画により福岡県大刀洗町から大阪まで飛行機に搭乗する。1929年、『海豹と雲』など刊行。また『白秋全集』の刊行開始。1930年、南満洲鉄道の招聘により満洲旅行。帰途奈良に立寄り、しきりに家族旅行に出かける。1932年、吉田一穂、大木惇夫と詩誌「新詩論」創刊。1933年、行き違いから鈴木三重吉と絶交。以降「赤い鳥」に筆を執ることはなくなる。1934年、『白秋全集』完結。歌集『白南風』刊行。総督府の招聘により台湾に遊ぶ。
1935年、新幽玄体を標榜して多磨短歌会を結成し、歌誌「多磨」を創刊する。大阪毎日新聞の委託により朝鮮旅行。この年、五十歳を祝う催しが盛大に行われる。1937年、糖尿病および腎臓病の合併症のために眼底出血を引きおこし、入院。視力はほとんど失われたが、さらに歌作に没頭する。1938年にはヒトラーユーゲントの来日に際し「万歳ヒットラー・ユーゲント」を作詞するなど、国家主義への傾倒が激しくなったのもこの頃のことである。1940年、日本文化中央聯盟の委嘱で交声曲『海道東征』(曲:信時潔)の作詩にあたる。 1941年、春、数十年ぶりに柳川に帰郷し、南関で叔父のお墓参りをし、さらに宮崎、奈良を巡遊。またこの年、芸術院会員に就任するも、年末にかけて病状が悪化。1942年、小康を得て病床に執筆や編集を続けるも、11月2日逝去。享年57。墓所は多磨霊園(東京都府中市)にある。
作品 [編集]
ウィキクォートに北原白秋に関する引用句集があります。 詩集 [編集]
邪宗門
思ひ出
東京景物詩及其他(第3版の刊行の際に『雪と花火』に改題)
真珠抄
白金之独楽
畑の祭
水墨集
海豹と雲
新頌
歌集 [編集]
桐の花
雲母集
黒檜
牡丹の木
白南風
雀の卵
句集 [編集]
竹林清興 (木俣修責任編集)
童謡集 [編集]
からたちの花
トンボの眼玉
童謡・作詞 [編集]
ゆりかごのうた
砂山
からたちの花
この道
ペチカ
あわて床屋
待ちぼうけ
城ヶ島の雨
伏見軍令部総長宮を讃え奉る
万歳ヒットラー・ユーゲント
ハワイ大海戦
マレー攻略戦
海道東征
福島県福島市歌
東京都八王子市歌
愛知県岡崎市歌
ちゃっきり節
多摩川音頭
白洋舎の歌
校歌・応援歌 [編集]
東京大学の歌(準校歌)運動会歌「大空と」
武蔵野美術大学校歌
同志社大学歌(作曲:山田耕筰)
大正大学校歌(作曲:山田耕筰)
東洋英和女学院校歌
関西学院大学校歌「空の翼」(作曲:山田耕筰)
駒澤大学校歌(作曲:山田耕筰)
駒澤大学第二応援歌(作曲:山田耕筰)
芝浦工業大学校歌(作曲:山田耕筰)
大阪歯科大学学歌
福岡県立伝習館高等学校校歌
明星学園高校行進歌
大阪府立豊中高等学校校歌(作曲:山田耕筰)
神奈川県立湘南高等学校校歌(作曲:山田耕筰)
静岡市立清水商業高等学校校歌
東京都旧制私立豊山中学校校歌(現:日本大学豊山高等学校)
群馬県太田市立尾島小学校校歌
東京都港区立高輪台小学校校歌
福岡県柳川市立柳河小学校校歌
福岡県柳川市立城内小学校校歌
福岡県柳川市立矢留小学校校歌
宮崎県日向市立細島小学校校歌
熊本県南関町立南関第一小学校校歌(作曲:山田耕筰)
延岡高等女学校校歌(現:宮崎県立延岡高等学校)
福岡県久留米市立御井小学校校歌
山梨県立身延高等学校校歌
東京都目黒区立田道小学校校歌
新潟県魚沼市立伊米ヶ崎小学校校歌(作曲:山田耕筰)
東京都世田谷区立桜小学校校歌(補作)
東京都立両国高等学校準校歌「あゝ黎明の歌」(作曲:山田耕筰)
東京都港区 明治学院高校校歌
著書 [編集]
白秋詩抄 岩波文庫
白秋抒情詩抄 岩波文庫
白秋愛唱歌集 岩波文庫
北原白秋歌集 岩波文庫
顕彰施設 [編集]
北原白秋生家
北原白秋記念館
歌碑
本興寺(静岡県湖西市)
関連項目 [編集]
三木露風 - 白露時代の「露」
福岡県出身の人物一覧
早稲田大学の人物一覧
石本美由起
PARADISE(サザンオールスターズの楽曲 白秋の詩の影響を受けている)
白秋三羽烏 - 萩原朔太郎、室生犀星、大手拓次。
外部リンク [編集]
ウィキメディア・コモンズには、北原白秋に関連するカテゴリがあります。北原白秋記念館 - 白秋生家、柳川市歴史民俗資料館
柳川商工会議所による白秋についての説明
北原 白秋:作家別作品リスト(青空文庫)
早稲田と文学(北原白秋)
カテゴリ: 北原白秋 | 歌人 | 日本の詩人 | 柳川市 | 福岡県出身の人物 | 1885年生 | 1942年没
最終更新 2009年9月2日 (水) 12:14
【2009年新司法試験の法科大学院別合格者数=法務省・司法試験委員会2009-9-10 】
東京大学216 中央大学162 慶應義塾大学147 京都大学145 早稲田大学124 明治大学96 一橋大学83 神戸大学73 北海道大学63 立命館大学60 大阪大学52 九州大学46 同志社大学45 上智大学40 名古屋大学40 関西学院大学37 関西大学35 首都大学東京34 東北大学30 法政大学25 立教大学25 大阪市立大学24 千葉大学24 学習院大学21 広島大学21 愛知大学20 日本大学20 横浜国立大学20 南山大学18 甲南大学17 専修大学17 成蹊大学14 新潟大学14 岡山大学13 大宮法科大学12 創価大学12 山梨学院大学12 金沢大学11 西南学院大学10 近畿大学9 明治学院大学9 青山学院大学8 桐蔭横浜大学8 関東学院大学7 福岡大学7 北海学園大学7 名城大学7 國學院大学6 中京大学6 広島修道大学6 熊本大学5 久留米大学5 駒澤大学5 東洋大学5 独協大学5 龍谷大学5 愛知学院大学4 神奈川大学4 静岡大学4 信州大学4 駿河台大学4 東北学院大学4 白鴎大学4 琉球大学4 香川大学3 神戸学院大学3 大東文化大学3 筑波大学3 東海大学3 大阪学院大学2 鹿児島大学2 姫路独協大学2 京都産業大学1 島根大学1
[ジャンルランキング] 高校生 : 29位
■■■独歩・■■治・テーマ:ブログ
【検索の達人 ■■■】■■■に文字を記入!
高大連携情報誌 調べもの新聞
【ブログ=穴埋め・論述問題】
若山牧水 北原白秋 高校生クイズ
3
検索の達人 20090924【人物一覧】=[ 高校生クイズ(穴埋め・論述問題)] ■■■独歩・■■治・■■漱石・■鴎外・■■安吾・■■寛之・■■ひさし・■■露伴・■■一葉・■■賢治・■■総一郎・■■蘇峰・■■蘆花・■■白秋・■式部・小林秀雄・藤原新也・■万智・柳田 ...
ny180717.blog120.fc2.com/blog-date-20090924.html - キャッシュ - 類似ページ -
ny180717.blog120.fc2.com のその他の検索結果を表示する
4
nakamurayoshio6113のブログ : [ 紙媒体】 24P 高校生新聞(大学 ... - 4 回閲覧 - 10月2日2009年8月11日 ... 【高校生クイズ】穴埋め問題! 【学生街散歩】 【大学オープンキャンパス情報】 ..... 館・神奈川近代文学館・■鴎外記念館・北原■■記念館・東書文庫・■■■大学演劇博物館・■■八一記念館・青山学院大学図書館・日本新聞博物館・教科書 .... 高校生諸君! 鴉と正覺坊 ■■牧水 いつもより少し時間は遲かつたが、晩酌前 ...
blog.livedoor.jp/.../archives/50886801.html - キャッシュ - 類似ページ -
【検索の達人 ■■■】■■■に文字を記入!
高大連携情報誌 調べもの新聞
【ブログ=穴埋め・論述問題】
若山牧水 北原白秋 高校生クイズ
の検索結果 約 101 件中 1 - 10 件目 (0.53 秒)
2009-10-4 8:00
2
検索の達人 20090413 - 10 回閲覧 - 10月2日高校生クイズ 【Google】Google was co-founded by Larry Pa 【警視庁】警察官 4万2984人 職員 2841人 交番 831ヶ所 駐在所 253 . ... 参考文献 【日経 うたの動物記 小池光 雀の卵 北原白秋】 8 件 ...高校生新聞 『大学受験ニュース』(ブログ版)【検索の達人 国木田独歩 空知川の岸辺】 の検索 .... 【Google Reader 若山牧水】 の検索結果 約 108 件 2009-4-11 ①第13回若山牧水賞授賞式 : 短歌ジャーナル2009年2月14日 . ...
ny180717.blog120.fc2.com/blog-date-20090413.html - キャッシュ - 類似ページ -
3
検索の達人 20090924【人物一覧】=[ 高校生クイズ(穴埋め・論述問題)] 国木田独歩・太宰治・夏目漱石・森鴎外・坂口安吾・五木寛之・井上ひさし・幸田露伴・樋口一葉・宮沢賢治・田原総一郎・徳富蘇峰・徳富蘆花・北原白秋・紫式部・小林秀雄・藤原新也・俵万智・柳田 ...
ny180717.blog120.fc2.com/blog-date-20090924.html - キャッシュ - 類似ページ -
ny180717.blog120.fc2.com のその他の検索結果を表示する
4
nakamurayoshio6113のブログ : [ 紙媒体】 24P 高校生新聞(大学 ... - 4 回閲覧 - 10月2日2009年8月11日 ... 【高校生クイズ】穴埋め問題! 【学生街散歩】 【大学オープンキャンパス情報】 ..... 館・神奈川近代文学館・森鴎外記念館・北原白秋記念館・東書文庫・早稲田大学演劇博物館・会津八一記念館・青山学院大学図書館・日本新聞博物館・教科書 .... 高校生諸君! 鴉と正覺坊 若山牧水 いつもより少し時間は遲かつたが、晩酌前 ...
blog.livedoor.jp/.../archives/50886801.html - キャッシュ - 類似ページ -
若山牧水
若山 牧水(わかやま ぼくすい、1885年(明治18年)8月24日 - 1928年(昭和3年)9月17日)は、明治から昭和初期の歌人。本名・繁(しげる)。
目次 [非表示]
1 略歴
2 作家評
3 作品
3.1 歌集
3.2 紀行
4 外部リンク
略歴 [編集]
宮崎県東臼杵郡東郷村(現・日向市)の医師・若山立蔵の長男として生まれる。1899年(明治32年)宮崎県立延岡中学校に入学。短歌と俳句を始める。18歳のとき、号を牧水とする。
1904年(明治37年)早稲田大学文学科に入学。同級生の北原射水(後の白秋)、中林蘇水と親交を厚くし、「早稲田の三水」と呼ばれる。 1908年(明治41年)早大英文学科卒業。7月に処女歌集『海の声』出版。翌1909年(明治42年)中央新聞社に入社。5ヶ月後に退社。
1911年(明治44年)創作社を興し、詩歌雑誌「創作」を主宰する。この年、歌人・太田水穂を頼って長野より上京していた後に妻となる太田喜志子と水穂宅にて知り合う。1912年(明治45年)友人であった石川啄木の臨終に立ち合う。同年、喜志子と結婚。1913年(大正2年)長男・旅人(たびと)誕生。その後、2女1男をもうける。
1920年(大正9年)沼津の自然を愛し、特に千本松原の景観に魅せられて、一家をあげて沼津に移住する。大正11年10月、御代田駅より岩村田へ向かい、佐久ホテルに逗留し、数々の作品を残す。1926年(大正15年)詩歌総合雑誌「詩歌時代」を創刊。この年、静岡県が計画した千本松原伐採に対し、新聞に計画反対を寄稿するなど運動の先頭に立ち、計画を断念させる。1927年(昭和2年)妻と共に朝鮮揮毫旅行に出発し、約2ヶ月間にわたって珍島や金剛山などを巡るが、体調を崩し帰国する。翌1928年夏頃より病臥し、自宅で死去する。享年43。沼津の千本山乗運寺に埋葬される。戒名は古松院仙誉牧水居士。
牧水の死後、詩歌雑誌「創作」は歌人であった妻・喜志子により受け継がれた。長男・旅人も歌人となり、沼津市立若山牧水記念館の初代館長をつとめた。
作家評 [編集]
旅を愛し、旅にあって各所で歌を詠み、日本各地に歌碑がある。大の酒好きで、一日一升程度の酒を呑んでいたといい、死の大きな要因となったのは肝硬変である。ちなみに、夏の暑い盛りに死亡したのにもかかわらず、死後しばらく経っても死体から腐臭がしなかったため、「生きたままアルコール漬けになったのでは」と、医師を驚嘆させた、との逸話がある。自然を愛し、特に終焉の地となった沼津では千本松原や富士山を愛し、千本松原保存運動を起こしたり富士の歌を多く残すなど、自然主義文学としての短歌を推進した。
また、情熱的な恋をしたことでも知られており、喜志子と知り合う前の園田小枝子との熱愛は有名なエピソードである。出身地・宮崎県では牧水の功績を称え、1996年(平成8年)より毎年、短歌文学の分野で傑出した業績を挙げた者に対し「若山牧水賞」を授与している。
牧水は埼玉県秩父地方を数度訪れて、歌と紀行文を残している。秩父市の羊山公園には「牧水の滝」と名づけられた滝があり、そこには
「秩父町出はづれ来れば機をりのうたごゑつゞく古りし家竝に」
という秩父の春を歌った碑がある。
作品 [編集]
歌集 [編集]
海の声(1908年7月出版)
独り歌へる(1910年1月出版)
別離(1910年4月出版)
路上(1911年9月出版)
死か芸術か(1912年9月出版)
みなかみ(1913年9月出版)
秋風の歌(1914年4月出版)
砂丘(1915年10月出版)
朝の歌(1916年6月出版)
白梅集(1917年8月出版)
さびしき樹木(1918年7月出版)
渓谷集(1918年5月出版)
くろ土(1921年3月出版)
山桜の歌(1923年5月出版)
黒松(1938年9月出版)
紀行 [編集]
みなかみ紀行
木枯紀行
他、若山喜志子・大悟法利雄共編『若山牧水全集』雄鶏社(1958年 – 1959年)が刊行されている。
外部リンク [編集]
ウィキクォートに若山牧水に関する引用句集があります。若山牧水 -Official Web Site-
沼津市若山牧水記念館
宮崎県日向市
若山 牧水:作家別作品リスト(青空文庫)
「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%A5%E5%B1%B1%E7%89%A7%E6%B0%B4 」より作成
カテゴリ: 歌人 | 宮崎県出身の人物 | 1885年生 | 1928年没
最終更新 2009年7月3日 (金) 08:36
北原白秋
文学
ポータル
各国の文学
記事総覧
出版社・文芸雑誌
文学賞
作家
詩人・小説家
その他作家
北原白秋北原 白秋(きたはら はくしゅう、1885年1月25日 - 1942年11月2日 )は、日本の詩人、童謡作家、歌人。本名は北原 隆吉(きたはら りゅうきち)。詩、童謡、短歌以外にも、新民謡(「松島音頭」・「ちゃっきり節」等)の分野にも傑作を残している。生涯に数多くの詩歌を残し、今なお歌い継がれる童謡を数多く発表するなど、活躍した時代は「白露時代」と呼ばれる近代の日本を代表する詩人である。
弟はそれぞれ出版人となり、北原鉄雄は写真・文学系出版社アルスを、北原義雄は美術系のアトリエ社を、北原正雄は写真系の玄光社を創業した。
目次 [非表示]
1 経歴
1.1 文壇登場まで
1.2 『桐の花』まで
1.3 『落葉松』まで
1.4 晩年
2 作品
2.1 詩集
2.2 歌集
2.3 句集
2.4 童謡集
2.5 童謡・作詞
2.6 校歌・応援歌
3 著書
4 顕彰施設
5 関連項目
6 外部リンク
経歴 [編集]
文壇登場まで [編集]
北原白秋生家(福岡県柳川市)1885年1月25日、熊本の南関に生まれ、まもなく福岡の柳川にある家に帰る。父・長太郎、母・シケ。北原家は江戸時代以来栄えた商家(油屋また古問屋と号し、海産物問屋であった)で、当時は主に酒造を業としていた。1887年、弟鉄雄が生まれる。またこの年、白秋に大きな影響を与えた乳母シカがチフスで逝去する。
1891年、矢留尋常小学校入学。1897年、柳河高等小学校より県立伝習館中学(現福岡県立伝習館高等学校)に進むも、1899年には成績下落のため落第。このころより詩歌に熱中し、雑誌「文庫」「明星」などを濫読する。ことに明星派に傾倒したとされている。1901年、大火によって北原家の酒倉が全焼し、以降家産が傾きはじめる。白秋自身は依然文学に熱中し、同人雑誌に詩文を掲載。この年はじめて「白秋」の号を用いる。1904年、長詩『林下の黙想』が河井酔茗の称揚するところとなり、「文庫」四月号に掲載。感激した白秋は父に無断で中学を退学し、早稲田大学英文科予科に入学。上京後、同郷の好によって若山牧水と親しく交わるようになる。この頃、号を「射水(しゃすい)」と称し、同じく友人の中林蘇水・牧水と共に「早稲田の三水」と呼ばれた。1905年には『全都覚醒賦』が「早稲田学報」懸賞一等に入選し、いちはやく新進詩人として注目されるようになる。このころ、少年時代南関の家で本を読み、白秋に本の大切さを教えた叔父が亡くなる。
『桐の花』まで [編集]
1906年、新詩社に参加。与謝野鉄幹、与謝野晶子、木下杢太郎、石川啄木らと知りあう。「明星」で発表した詩は、上田敏、蒲原有明、薄田泣菫らの賞賛するところとなり、文壇の交友さらに広がる。また、このころより象徴派に興味を持つ。1907年、鉄幹らと九州に遊び(『五足の靴』参照)、南蛮趣味に目覚める。また森鴎外によって観潮楼歌会に招かれ、斎藤茂吉らアララギ派歌人とも面識を得るようになった。1908年、『謀叛』を発表し、世評高くなる。またこの年、新詩社を脱退した。木下杢太郎を介して、石井柏亭らのパンの会に参加。この会には吉井勇、高村光太郎らも加わり、象徴主義、耽美主義的詩風を志向する文学運動の拠点になった。1909年、「スバル」創刊に参加。木下らと詩誌「屋上庭園」創刊。また処女詩集『邪宗門』上梓。官能的、唯美的な象徴詩作品が話題となるも、年末には実家が破産し、一時帰郷を余儀なくされた。
1910年、「屋上庭園」二号に掲載した白秋の詩『おかる勘平』が風俗紊乱にあたるとされ、発禁処分を受けた(同誌は年内に廃刊)。またこの年、松下俊子(後述)の隣家に転居。1911年、第二詩集『思ひ出』刊行。故郷柳川と破産した実家にささげられた懐旧の情が高く評価され、一躍文名は高くなる。また文芸誌「朱欒」を創行。1912年、母と弟妹を東京に呼寄せ、年末には一人故郷に残っていた父も上京する。
白秋は隣家にいた松下俊子と恋におちたが、俊子は夫と別居中の人妻だった。2人は夫から姦通罪により告訴され、未決監に拘置された。2週間後、弟らの尽力により釈放され、後に和解が成立して告訴は取り下げられた。人気詩人白秋の名声はスキャンダルによって地に堕ちた。この事件は以降の白秋の詩風にも影響を与えたとされる。1913年、初めての歌集『桐の花』と、詩集『東京景物詩及其他』を刊行。特に『桐の花』で明星派のやわらかな抒情をよく咀嚼した歌風を見せ、これによって白秋は歌壇でも独特の位置を占めるようになる。春、俊子と結婚。三崎に転居するも、父と弟が事業に失敗。白秋夫婦を残して一家は東京に引きあげる。『城ヶ島の雨』はこのころの作品であるという。「朱欒」廃刊。発行期間は短かったが、萩原朔太郎や室生犀星が詩壇に登場する足がかりとなった。
『落葉松』まで [編集]
1914年、肺結核に罹患した俊子のために小笠原父島に移住するもほどなく帰京。父母と俊子との折合いが悪く、ついに離婚に至る。『真珠抄』『白金之独楽』刊行。また「地上巡礼」創刊。1915年、前橋に萩原朔太郎を訪う。弟・鉄雄と阿蘭陀書房を創立し、雑誌「ARS」を創刊。さらに詩集『わすれなぐさ』、歌集『雲母集』刊行。1916年、江口章子と結婚し、葛飾紫烟草舎に転居。筆勢いよいよ盛んにして『白秋小品』を刊行する。1917年、阿蘭陀書房を手放し、ふたたび弟・鉄雄と出版社アルスを創立。この前後、家計はきわめて困窮し、妻の章子は胸を病んだ。
1918年、小田原に転居。鈴木三重吉の慫慂により「赤い鳥」の童謡、児童詩欄を担当。すぐれた童謡作品を次々と発表し、作品に新生面をひらくのみならず、以降の口語的、歌謡的な詩風につよい影響を与えることになる。1919年、処女小説『葛飾文章』『金魚』発表。生活ようやくおちつき、歌謡集『白秋小唄集』、童謡集『とんぼの眼玉』刊行。1920年、『雀の生活』刊行。また『白秋詩集』刊行開始。小田原の住居の隣に山荘「木兎の家」を新築した際の祝宴は小田原の芸者総出という派手なものであった。それに白秋の生活を金銭的に支えて来た弟らが反発し、章子を非難する。着物ほとんどを質入れしたと言う章子は非難されるいわれもなく反発。章子はその晩行方をくらまし、白秋が不貞を疑い章子と離婚。1921年(大正10年)、佐藤菊子(国柱会会員、田中智學のもとで仕事)と結婚。信州滞在中想を得て、『落葉松』を発表する。歌集『雀の卵』、翻訳『まざあ・ぐうす』などを刊行。1922年(大正11年)、長男隆太郎誕生。また山田耕筰「詩と音楽」創刊。山田とのコンビで数々の童謡の傑作を世に送りだす。歌謡集『日本の笛』などを刊行。1923年、三崎、信州、千葉、塩原温泉を歴訪。詩集『水墨集』を刊行するも、関東大震災によりアルス社が罹災し、山荘も半壊する。
晩年 [編集]
1924年(大正13年)1月5日、田中智學の招きで両親、妻菊子、長男隆太郎らとともに静岡県三保の田中智學の最勝閣へ旅行、龍華寺、羽衣の松などを観光、長歌1首、短歌173首を作る。同年短歌雑誌「日光」を創刊。反アララギ派の歌人が大同団結し、象徴主義的歌風を目指す。1925年(大正14年)、長女篁子(ドイツ語学者・岩崎英二郎夫人)誕生。樺太、北海道に遊ぶ。童謡集『子供の村』など刊行。1926年、東京谷中に転居。詩誌「近代風景」創刊。童謡集『からたちの花』『象の子』などを刊行。1927年、出版内容の競合からアルス社と興文社に悶着がおこり、興文社側の菊池寛と対立。詩論集『芸術の円光』刊行。1928年、世田谷区に転居。大阪朝日新聞(現朝日新聞)の企画により福岡県大刀洗町から大阪まで飛行機に搭乗する。1929年、『海豹と雲』など刊行。また『白秋全集』の刊行開始。1930年、南満洲鉄道の招聘により満洲旅行。帰途奈良に立寄り、しきりに家族旅行に出かける。1932年、吉田一穂、大木惇夫と詩誌「新詩論」創刊。1933年、行き違いから鈴木三重吉と絶交。以降「赤い鳥」に筆を執ることはなくなる。1934年、『白秋全集』完結。歌集『白南風』刊行。総督府の招聘により台湾に遊ぶ。
1935年、新幽玄体を標榜して多磨短歌会を結成し、歌誌「多磨」を創刊する。大阪毎日新聞の委託により朝鮮旅行。この年、五十歳を祝う催しが盛大に行われる。1937年、糖尿病および腎臓病の合併症のために眼底出血を引きおこし、入院。視力はほとんど失われたが、さらに歌作に没頭する。1938年にはヒトラーユーゲントの来日に際し「万歳ヒットラー・ユーゲント」を作詞するなど、国家主義への傾倒が激しくなったのもこの頃のことである。1940年、日本文化中央聯盟の委嘱で交声曲『海道東征』(曲:信時潔)の作詩にあたる。 1941年、春、数十年ぶりに柳川に帰郷し、南関で叔父のお墓参りをし、さらに宮崎、奈良を巡遊。またこの年、芸術院会員に就任するも、年末にかけて病状が悪化。1942年、小康を得て病床に執筆や編集を続けるも、11月2日逝去。享年57。墓所は多磨霊園(東京都府中市)にある。
作品 [編集]
ウィキクォートに北原白秋に関する引用句集があります。 詩集 [編集]
邪宗門
思ひ出
東京景物詩及其他(第3版の刊行の際に『雪と花火』に改題)
真珠抄
白金之独楽
畑の祭
水墨集
海豹と雲
新頌
歌集 [編集]
桐の花
雲母集
黒檜
牡丹の木
白南風
雀の卵
句集 [編集]
竹林清興 (木俣修責任編集)
童謡集 [編集]
からたちの花
トンボの眼玉
童謡・作詞 [編集]
ゆりかごのうた
砂山
からたちの花
この道
ペチカ
あわて床屋
待ちぼうけ
城ヶ島の雨
伏見軍令部総長宮を讃え奉る
万歳ヒットラー・ユーゲント
ハワイ大海戦
マレー攻略戦
海道東征
福島県福島市歌
東京都八王子市歌
愛知県岡崎市歌
ちゃっきり節
多摩川音頭
白洋舎の歌
校歌・応援歌 [編集]
東京大学の歌(準校歌)運動会歌「大空と」
武蔵野美術大学校歌
同志社大学歌(作曲:山田耕筰)
大正大学校歌(作曲:山田耕筰)
東洋英和女学院校歌
関西学院大学校歌「空の翼」(作曲:山田耕筰)
駒澤大学校歌(作曲:山田耕筰)
駒澤大学第二応援歌(作曲:山田耕筰)
芝浦工業大学校歌(作曲:山田耕筰)
大阪歯科大学学歌
福岡県立伝習館高等学校校歌
明星学園高校行進歌
大阪府立豊中高等学校校歌(作曲:山田耕筰)
神奈川県立湘南高等学校校歌(作曲:山田耕筰)
静岡市立清水商業高等学校校歌
東京都旧制私立豊山中学校校歌(現:日本大学豊山高等学校)
群馬県太田市立尾島小学校校歌
東京都港区立高輪台小学校校歌
福岡県柳川市立柳河小学校校歌
福岡県柳川市立城内小学校校歌
福岡県柳川市立矢留小学校校歌
宮崎県日向市立細島小学校校歌
熊本県南関町立南関第一小学校校歌(作曲:山田耕筰)
延岡高等女学校校歌(現:宮崎県立延岡高等学校)
福岡県久留米市立御井小学校校歌
山梨県立身延高等学校校歌
東京都目黒区立田道小学校校歌
新潟県魚沼市立伊米ヶ崎小学校校歌(作曲:山田耕筰)
東京都世田谷区立桜小学校校歌(補作)
東京都立両国高等学校準校歌「あゝ黎明の歌」(作曲:山田耕筰)
東京都港区 明治学院高校校歌
著書 [編集]
白秋詩抄 岩波文庫
白秋抒情詩抄 岩波文庫
白秋愛唱歌集 岩波文庫
北原白秋歌集 岩波文庫
顕彰施設 [編集]
北原白秋生家
北原白秋記念館
歌碑
本興寺(静岡県湖西市)
関連項目 [編集]
三木露風 - 白露時代の「露」
福岡県出身の人物一覧
早稲田大学の人物一覧
石本美由起
PARADISE(サザンオールスターズの楽曲 白秋の詩の影響を受けている)
白秋三羽烏 - 萩原朔太郎、室生犀星、大手拓次。
外部リンク [編集]
ウィキメディア・コモンズには、北原白秋に関連するカテゴリがあります。北原白秋記念館 - 白秋生家、柳川市歴史民俗資料館
柳川商工会議所による白秋についての説明
北原 白秋:作家別作品リスト(青空文庫)
早稲田と文学(北原白秋)
カテゴリ: 北原白秋 | 歌人 | 日本の詩人 | 柳川市 | 福岡県出身の人物 | 1885年生 | 1942年没
最終更新 2009年9月2日 (水) 12:14
【2009年新司法試験の法科大学院別合格者数=法務省・司法試験委員会2009-9-10 】
東京大学216 中央大学162 慶應義塾大学147 京都大学145 早稲田大学124 明治大学96 一橋大学83 神戸大学73 北海道大学63 立命館大学60 大阪大学52 九州大学46 同志社大学45 上智大学40 名古屋大学40 関西学院大学37 関西大学35 首都大学東京34 東北大学30 法政大学25 立教大学25 大阪市立大学24 千葉大学24 学習院大学21 広島大学21 愛知大学20 日本大学20 横浜国立大学20 南山大学18 甲南大学17 専修大学17 成蹊大学14 新潟大学14 岡山大学13 大宮法科大学12 創価大学12 山梨学院大学12 金沢大学11 西南学院大学10 近畿大学9 明治学院大学9 青山学院大学8 桐蔭横浜大学8 関東学院大学7 福岡大学7 北海学園大学7 名城大学7 國學院大学6 中京大学6 広島修道大学6 熊本大学5 久留米大学5 駒澤大学5 東洋大学5 独協大学5 龍谷大学5 愛知学院大学4 神奈川大学4 静岡大学4 信州大学4 駿河台大学4 東北学院大学4 白鴎大学4 琉球大学4 香川大学3 神戸学院大学3 大東文化大学3 筑波大学3 東海大学3 大阪学院大学2 鹿児島大学2 姫路独協大学2 京都産業大学1 島根大学1