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直木三十五賞

2010-01-18 14:06:37 | 図書館
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直木三十五賞
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直木三十五賞(なおきさんじゅうごしょう)は、無名・新進及び中堅作家による大衆小説作品に与えられる文学賞である。通称は直木賞。

かつては芥川賞と同じく無名・新人作家に対する賞であったが、現在では中堅作家が主な対象とされている。実態としては長老級ともいえる大ベテランに授賞されるケースもある[1]。

目次 [非表示]
1 沿革
2 傾向
3 受賞作一覧
3.1 第1~10回
3.2 第11~20回
3.3 第21~30回
3.4 第31~40回
3.5 第41~50回
3.6 第51~60回
3.7 第61~70回
3.8 第71~80回
3.9 第81~90回
3.10 第91~100回
3.11 第101~110回
3.12 第111~120回
3.13 第121~130回
3.14 第131~140回
3.15 第141回~
4 テレビ
5 脚注
6 外部リンク


沿革 [編集]
文藝春秋社社長の菊池寛が友人の直木三十五を記念して1935年に芥川龍之介賞(芥川賞)とともに創設し、以降年2回発表される。

授賞する作品は選考委員の合議によって決定され、受賞作は『オール讀物』に掲載される。第6回から、財団法人日本文学振興会により運営されている。第二次世界大戦中の1945年から一時中断したが、1949年に復活した。

現在の選考委員は、浅田次郎、五木寛之、井上ひさし、北方謙三、林真理子、平岩弓枝、宮城谷昌光、宮部みゆき、渡辺淳一の9名。選考会は、料亭・新喜楽の2階で行われる(芥川賞選考会は1階)。受賞者の記者会見と、その一ヵ月後の授賞式はともに東京會舘で行われる。

傾向 [編集]
対象は新人による大衆小説であり、芥川賞とは密接不可分の関係にあると言える。

創設時、選考の対象は「無名若しくは新進作家の大衆文芸」(直木賞規定)であったが回を重ねるごとに芥川賞と比べて若手新人が受賞しにくい傾向が生じてきた。これは一つには各回の選評にしばしばあるように大衆文学を対象とする賞の性質上、受賞後作家として一本立ちするだけの筆力があるかどうかを選考委員が重視したためであり背景には「大衆小説は作品を売ることで作家として生活を立ててゆく必要がある」という考え方があったものと推測される。

また他方では創設時、大衆文学分野における唯一の新人賞であった直木賞が戦後多くの出版社によって新人発掘のための賞が創設されてゆくなかで次第に同分野のなかでもっとも権威ある新人賞として位置づけられるようになったこととも関係があるだろう。

現在ではこのような状態が長く続いたため選考基準に中堅作家という一項が新たに加えられており、実質的に文学界の有望新人を発掘するという直木賞本来の機能は薄らいでいる。結果としてすでに著名作家として名を成してからのいわゆる「遅すぎる受賞」となる者が多く、さらに選考(受賞)を辞退する人気作家も出ており[2]この点で議論が巻き起こる事が多いのも事実である。また過去には約30年のキャリアを持つ人気脚本家で還暦を超えて作家活動に転ずるや時代小説界に一大センセーションを巻き起こした隆慶一郎について、「小説家としてのキャリアが短い」「まだ次がある」などと評して落としていたところ作家活動実働5年で隆が急逝してしまい授賞の時期を逸してしまったという例もある[要出典]。

選考対象の大衆小説の問題点として推理小説を活動分野とする作家が受賞しにくい傾向にあり、SF、ファンタジーでは選考対象となった者は存在するが受賞した者はいない。空想性が極端に高い推理、SF、ファンタジー等を嫌うのが直木賞の特徴である。

また、特に文藝春秋刊行の小説が受賞する傾向がある。筒井康隆が雑誌『文藝春秋』に連載した作品「大いなる助走」は、直木賞の選考を揶揄したものである。

受賞作一覧 [編集]
第1~10回 [編集]
第1回(1935年上半期) - 川口松太郎『鶴八鶴次郎』『風流深川唄』『明治一代女』
第2回(1935年下半期) - 鷲尾雨工『吉野朝太平記』他
第3回(1936年上半期) - 海音寺潮五郎『天正女合戦』『武道傳來記』
第4回(1936年下半期) - 木々高太郎『人生の阿呆』
第5回(1937年上半期) - 該当作品なし
第6回(1937年下半期) - 井伏鱒二『ジョン萬次郎漂流記』他
第7回(1938年上半期) - 橘外男『ナリン殿下への回想』
第8回(1938年下半期) - 大池唯雄『兜首』『秋田口の兄弟』
第9回(1939年上半期) - 該当作品なし
第10回(1939年下半期) - 該当作品なし
第11~20回 [編集]
第11回(1940年上半期) - 堤千代(最年少受賞)『小指』他、河内仙介『軍事郵便』
第12回(1940年下半期) - 村上元三『上総風土記』他
第13回(1941年上半期) - 木村荘十『雲南守備兵』
第14回(1941年下半期) - 該当作品なし
第15回(1942年上半期) - 該当作品なし
第16回(1942年下半期) - 田岡典夫『強情いちご』他、神崎武雄『寛容』他
第17回(1943年上半期) - 山本周五郎『日本婦道記』(受賞辞退)
第18回(1943年下半期) - 森荘已池『山畠』『蛾と笹舟』
第19回(1944年上半期) - 岡田誠三「ニューギニヤ山岳戦』
第20回(1944年下半期) - 該当作品なし
第21~30回 [編集]
第21回(1949年上半期) - 富田常雄『面』『刺青』
第22回(1949年下半期) - 山田克郎『海の廃園』
第23回(1950年上半期) - 今日出海『天皇の帽子』、小山いと子『執行猶予』
第24回(1950年下半期) - 檀一雄『長恨歌』『真説石川五右衛門』
第25回(1951年上半期) - 源氏鶏太『英語屋さん』「颱風さん』『御苦労さん』
第26回(1951年下半期) - 久生十蘭『鈴木主水』、柴田錬三郎『イエスの裔』
第27回(1952年上半期) - 藤原審爾『罪な女』他
第28回(1952年下半期) - 立野信之『叛乱』
第29回(1953年上半期) - 該当作品なし
第30回(1953年下半期) - 該当作品なし
第31~40回 [編集]
第31回(1954年上半期) - 有馬頼義『終身未決囚』
第32回(1954年下半期) - 梅崎春生『ボロ家の春秋』、戸川幸夫『高安犬物語』
第33回(1955年上半期) - 該当作品なし
第34回(1955年下半期) - 新田次郎『強力伝』、邱永漢『香港』
第35回(1956年上半期) - 南條範夫『燈台鬼』、今官一『壁の花』
第36回(1956年下半期) - 今東光『お吟さま』、穂積驚『勝烏』
第37回(1957年上半期) - 江崎誠致『ルソンの谷間』
第38回(1957年下半期) - 該当作品なし
第39回(1958年上半期) - 山崎豊子『花のれん』、榛葉英治『赤い雪』
第40回(1958年下半期) - 城山三郎『総会屋錦城』、多岐川恭『落ちる』
第41~50回 [編集]
第41回(1959年上半期) - 渡辺喜恵子『馬淵川』、平岩弓枝『鏨師』
第42回(1959年下半期) - 司馬遼太郎『梟の城』、戸板康二『團十郎切腹事件』他
第43回(1960年上半期) - 池波正太郎『錯乱』
第44回(1960年下半期) - 寺内大吉『はぐれ念仏』、黒岩重吾『背徳のメス』
第45回(1961年上半期) - 水上勉『雁の寺』
第46回(1961年下半期) - 伊藤桂一『螢の河』
第47回(1962年上半期) - 杉森久英『天才と狂人の間』
第48回(1962年下半期) - 山口瞳『江分利満氏の優雅な生活』、杉本苑子『孤愁の岸』
第49回(1963年上半期) - 佐藤得二『女のいくさ』
第50回(1963年下半期) - 安藤鶴夫『巷談本牧亭』、和田芳恵『塵の中』
第51~60回 [編集]
第51回(1964年上半期) - 該当作品なし
第52回(1964年下半期) - 永井路子『炎環』、安西篤子『張少子の話』
第53回(1965年上半期) - 藤井重夫『虹』
第54回(1965年下半期) - 新橋遊吉『八百長』、千葉治平『虜愁記』
第55回(1966年上半期) - 立原正秋「白い罌粟』
第56回(1966年下半期) - 五木寛之『蒼ざめた馬を見よ』
第57回(1967年上半期) - 生島治郎『追いつめる』
第58回(1967年下半期) - 野坂昭如『アメリカひじき』『火垂るの墓』、三好徹『聖少女』
第59回(1968年上半期) - 該当作品なし
第60回(1968年下半期) - 陳舜臣「青玉獅子香炉』、早乙女貢『僑人の檻』
第61~70回 [編集]
第61回(1969年上半期) - 佐藤愛子『戦いすんで日が暮れて』
第62回(1969年下半期) - 該当作品なし
第63回(1970年上半期) - 結城昌治『軍旗はためく下に』、渡辺淳一『光と影』
第64回(1970年下半期) - 豊田穣『長良川』
第65回(1971年上半期) - 該当作品なし
第66回(1971年下半期) - 該当作品なし
第67回(1972年上半期) - 綱淵謙錠『斬』、井上ひさし『手鎖心中』
第68回(1972年下半期) - 該当作品なし
第69回(1973年上半期) - 長部日出雄『津軽世去れ節』『津軽じょんから節』、藤沢周平『暗殺の年輪』
第70回(1973年下半期) - 該当作品なし
第71~80回 [編集]
第71回(1974年上半期) - 藤本義一『鬼の詩』
第72回(1974年下半期) - 半村良『雨やどり』、井出孫六『アトラス伝説』
第73回(1975年上半期) - 該当作品なし
第74回(1975年下半期) - 佐木隆三『復讐するは我にあり』
第75回(1976年上半期) - 該当作品なし
第76回(1976年下半期) - 三好京三『子育てごっこ』
第77回(1977年上半期) - 該当作品なし
第78回(1977年下半期) - 該当作品なし
第79回(1978年上半期) - 津本陽『深重の海」、色川武大『離婚』
第80回(1978年下半期) - 宮尾登美子『一絃の琴』、有明夏夫『大浪花諸人往来』
第81~90回 [編集]
第81回(1979年上半期) - 田中小実昌『浪曲師朝日丸の話』『ミミのこと』、阿刀田高『ナポレオン狂』
第82回(1979年下半期) - 該当作品なし
第83回(1980年上半期) - 向田邦子『花の名前』『かわうそ』『犬小屋』、志茂田景樹『黄色い牙』
第84回(1980年下半期) - 中村正軌『元首の謀叛』
第85回(1981年上半期) - 青島幸男『人間万事塞翁が丙午』
第86回(1981年下半期) - つかこうへい『蒲田行進曲』、光岡明『機雷』
第87回(1982年上半期) - 深田祐介『炎熱商人』、村松友視『時代屋の女房』
第88回(1982年下半期) - 該当作品なし
第89回(1983年上半期) - 胡桃沢耕史『黒パン俘虜記』
第90回(1983年下半期) - 神吉拓郎『私生活』、高橋治『秘伝』
第91~100回 [編集]
第91回(1984年上半期) - 連城三紀彦『恋文』、難波利三『てんのじ村』
第92回(1984年下半期) - 該当作品なし
第93回(1985年上半期) - 山口洋子『演歌の虫』『老梅』
第94回(1985年下半期) - 森田誠吾『魚河岸ものがたり』、林真理子『最終便に間に合えば』『京都まで』
第95回(1986年上半期) - 皆川博子『恋紅』
第96回(1986年下半期) - 逢坂剛『カディスの赤い星』、常盤新平『遠いアメリカ』
第97回(1987年上半期) - 白石一郎『海狼伝』、山田詠美『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』
第98回(1987年下半期) - 阿部牧郎『それぞれの終楽章』
第99回(1988年上半期) - 西木正明『凍れる瞳』『端島の女』、景山民夫『遠い海から来たCOO』
第100回(1988年下半期) - 杉本章子『東京新大橋雨中図』、藤堂志津子「熟れてゆく夏』
第101~110回 [編集]
第101回(1989年上半期) - ねじめ正一『高円寺純情商店街』、笹倉明『遠い国からの殺人者』
第102回(1989年下半期) - 星川清司『小伝抄』、原『私が殺した少女』
第103回(1990年上半期) - 泡坂妻夫『蔭桔梗』
第104回(1990年下半期) - 古川薫『漂泊者のアリア』
第105回(1991年上半期) - 宮城谷昌光『夏姫春秋』、芦原すなお『青春デンデケデケデケ』
第106回(1991年下半期) - 高橋義夫『狼奉行』、高橋克彦『緋い記憶』
第107回(1992年上半期) - 伊集院静『受け月』
第108回(1992年下半期) - 出久根達郎『佃島ふたり書房』
第109回(1993年上半期) - 高村薫『マークスの山』、北原亞以子『恋忘れ草』
第110回(1993年下半期) - 佐藤雅美『恵比寿屋喜兵衛手控え』、大沢在昌『新宿鮫 無間人形』
第111~120回 [編集]
第111回(1994年上半期) - 中村彰彦『二つの山河『、海老沢泰久『帰郷』
第112回(1994年下半期) - 該当作品なし
第113回(1995年上半期) - 赤瀬川隼『白球残映』
第114回(1995年下半期) - 小池真理子『恋』、藤原伊織『テロリストのパラソル』
第115回(1996年上半期) - 乃南アサ『凍える牙』
第116回(1996年下半期) - 坂東眞砂子『山妣』
第117回(1997年上半期) - 篠田節子『女たちのジハード』、浅田次郎『鉄道員(ぽっぽや)』
第118回(1997年下半期) - 該当作品なし
第119回(1998年上半期) - 車谷長吉『赤目四十八瀧心中未遂』
第120回(1998年下半期) - 宮部みゆき『理由』
第121~130回 [編集]
第121回(1999年上半期) - 佐藤賢一『王妃の離婚』、桐野夏生『柔らかな頬』
第122回(1999年下半期) - なかにし礼『長崎ぶらぶら節』
第123回(2000年上半期) - 船戸与一『虹の谷の五月』、金城一紀『GO』
第124回(2000年下半期) - 山本文緒『プラナリア』、重松清『ビタミンF』
第125回(2001年上半期) - 藤田宜永『愛の領分』
第126回(2001年下半期) - 山本一力『あかね空』、唯川恵『肩ごしの恋人』
第127回(2002年上半期) - 乙川優三郎『生きる』
第128回(2002年下半期) - 該当作品なし
第129回(2003年上半期) - 石田衣良『4TEEN フォーティーン』、村山由佳『星々の舟』
第130回(2003年下半期) - 江國香織『号泣する準備はできていた』、京極夏彦『後巷説百物語』
第131~140回 [編集]
第131回(2004年上半期) - 奥田英朗『空中ブランコ』、熊谷達也『邂逅の森』
第132回(2004年下半期) - 角田光代『対岸の彼女』
第133回(2005年上半期) - 朱川湊人『花まんま』
第134回(2005年下半期) - 東野圭吾『容疑者Xの献身』
第135回(2006年上半期) - 三浦しをん『まほろ駅前多田便利軒』、森絵都『風に舞いあがるビニールシート』
第136回(2006年下半期) - 該当作品なし
第137回(2007年上半期) - 松井今朝子『吉原手引草』
第138回(2007年下半期) - 桜庭一樹『私の男』
第139回(2008年上半期) - 井上荒野『切羽へ』
第140回(2008年下半期) - 天童荒太『悼む人』、山本兼一『利休にたずねよ』
第141回~ [編集]
第141回(2009年上半期) - 北村薫『鷺と雪』
第142回(2009年下半期) - 佐々木譲『廃墟に乞う』、白石一文『ほかならぬ人へ』
テレビ [編集]
『ルポルタージュにっぽん』 直木賞の決まる日(NHK 1980年1月26日)
脚注 [編集]
^ 第97回の白石一郎はデビュー32年目、第142回の佐々木譲は30年目、第122回のなかにし礼は(小説に限定しても)29年目、第89回の胡桃沢耕史は28年目の受賞である。
^ Yahoo!ニュース (2008-07-08). "直木賞選考対象から辞退=「ゴールデンスランバー」で伊坂幸太郎さん". 2008-07-13 閲覧。
外部リンク [編集]
日本文学振興会
各賞紹介 - 直木賞 -(文藝春秋)
直木賞のすべて(非公式サイト)
直木三十五記念館
「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B4%E6%9C%A8%E4%B8%89%E5%8D%81%E4%BA%94%E8%B3%9E」より作成
カテゴリ: 出典を必要とする記事 | 直木三十五賞 | 日本の文学賞 | 菊池寛


最終更新 2010年1月16日 (土) 00:54





















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1位 【●●●大学】 31人
2位 【●●●●大学】 ・ 【●●大学】 13人
4位 成蹊大学 ・ 山形大学 4人
6位 國學院大學 ・ 立教大学 ・ 九州大学 ・ 東北大学 ・ 大阪大学 ・ 中央大学 3人
12位 大阪府立大学 ・ 新潟大学 ・ 金沢大学 ・ 同志社大学 ・ 明治大学 ・ 一橋大学 ・ 東京電機大学 ・ 青山学院大学 ・ 東京女子大学 ・ 熊本大学 2人
22位 神奈川大学 ・ 東京外国語大学 ・ 立命館大学 ・ 拓殖大学 ・ 横浜国立大学 ・ 上智大学 ・ 日本女子大学 ・ 目白大学 ・ 日本大学 ・ 法政大学 ・ 成城大学 ・ 実践女子大学 ・ 京都女子大学 ・ ノートルダム清心女子大学 ・ 金沢学院大学 ・ 藤女子大学 ・ 鹿児島大学 ・ 奈良女子大学 ・ 北海道大学 ・ 大正大学 ・ 関西外国語大学 ・ 学習院大学 ・ 武蔵野美術大学 ・ 国際基督教大学 ・ 山口大学 ・ 京都大学 ・ 電気通信大学 ・ 埼玉大学 ・ 札幌医科大学 ・ 東京学芸大学 ・ 名古屋工業大学 1人


【芥川賞作家出身大学】
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1位 【●●●大学】 27人
2位 【●●大学】 20人
3位 【●●●●大学】 8人
4位 法政大学 6人 5位 明治大学 ・ 東京外国語大学 ・ 京都大学 4人
8位 九州大学 3人 9位 成城大学 ・
武蔵野美術大学 ・ 上智大学 ・ お茶の水女子大学 ・ 東京女子大学 ・ 大阪府立大学 ・ 東京藝術大学 ・ 大阪大学 ・ 筑波大学 ・ 北海道教育大学 ・ 北海道大学 ・ 長崎大学 ・ 琉球大学 2人
22位 信州大学 ・ 國學院大學 ・ 東洋大学 ・ 福島大学 ・ 名古屋大学 ・ 東北大学 ・ 京都教育大学 ・ 日本大学 ・ 秋田大学 ・ 名古屋市立大学 ・ 福岡教育大学 ・
跡見学園女子大学 ・ 金沢大学 ・ 国際基督教大学 ・ 高知大学 ・ 千葉大学 ・ 静岡大学 ・ 大阪樟蔭女子大学 ・ 大阪市立大学 ・ 立命館大学 ・ 熊本大学 ・ 津田塾大学 ・ 埼玉大学 ・ 新潟大学 ・ 成蹊大学 ・ 大阪芸術大学 ・ 一橋大学 ・ 追手門学院大学 ・ 学習院女子大学 1人  

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116大学の館長からの評価 
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1位 ●●大学44 
2位 京都大学34 
3位東京芸術大学21 
4位●●●大学18 
5位北海道大学14 
6位明治大学13 
7位天理大学10 
8位東北大学7 九州大学7 
10位國學院大学5 
11位立命館大学 12位 秋田大学・大阪大学・京都市立芸術大学・札幌医科大学・大谷大学・川崎医科大学・関西大学・九州産業大学・駒澤大学・昭和薬科大学・文化女子大学・星薬科大学・武蔵野美術大学 2 

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カーライル博物館 夏目漱石

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カーライル博物館
夏目漱石


 公園の片隅に通りがかりの人を相手に演説をしている者がある。向うから来た釜形《かまがた》の尖《とが》った帽子を被《か》ずいて古ぼけた外套《がいとう》を猫背《ねこぜ》に着た爺《じい》さんがそこへ歩みを佇《とど》めて演説者を見る。演説者はぴたりと演説をやめてつかつかとこの村夫子《そんぷうし》のたたずめる前に出て来る。二人の視線がひたと行き当る。演説者は濁りたる田舎調子《いなかぢょうし》にて御前はカーライルじゃないかと問う。いかにもわしはカーライルじゃと村夫子が答える。チェルシーの哲人《セージ》と人が言囃《いいはや》すのは御前の事かと問う。なるほど世間ではわしの事をチェルシーの哲人《セージ》と云うようじゃ。セージと云うは鳥の名だに、人間のセージとは珍らしいなと演説者はからからと笑う。村夫子はなるほど猫も杓子《しゃくし》も同じ人間じゃのにことさらに哲人《セージ》などと異名《いみょう》をつけるのは、あれは鳥じゃと渾名《あだな》すると同じようなものだのう。人間はやはり当り前の人間で善《よ》かりそうなものだのに。と答えてこれもからからと笑う。
 余は晩餐前に公園を散歩するたびに川縁《かわべり》の椅子《いす》に腰を卸して向側を眺《なが》める。倫敦《ロンドン》に固有なる濃霧はことに岸辺に多い。余が桜の杖に頤《あご》を支《ささ》えて真正面を見ていると、遥《はる》かに対岸の往来《おうらい》を這《は》い廻る霧の影は次第に濃くなって五階|立《だて》の町続きの下からぜんぜんこの揺曳《たなび》くものの裏《うち》に薄れ去って来る。しまいには遠き未来の世を眼前に引き出《いだ》したるように窈然《ようぜん》たる空の中《うち》にとりとめのつかぬ鳶色《とびいろ》の影が残る。その時この鳶色の奥にぽたりぽたりと鈍き光りが滴《したた》るように見え初める。三層四層五層|共《とも》に瓦斯《ガス》を点じたのである。余は桜の杖をついて下宿の方へ帰る。帰る時必ずカーライルと演説使いの話しを思いだす。かの溟濛《めいもう》たる瓦斯の霧に混ずる所が往時この村夫子《そんぷうし》の住んでおったチェルシーなのである。
 カーライルはおらぬ。演説者も死んだであろう。しかしチェルシーは以前のごとく存在している。否《いな》彼の多年住み古した家屋敷さえ今なお儼然《げんぜん》と保存せられてある。千七百八年チェイン・ロウが出来てより以来幾多の主人を迎え幾多の主人を送ったかは知らぬがとにかく今日《こんにち》まで昔のままで残っている。カーライルの歿後は有志家の発起《ほっき》で彼の生前使用したる器物調度図書典籍を蒐《あつ》めてこれを各室に按排《あんばい》し好事《こうず》のものにはいつでも縦覧《じゅうらん》せしむる便宜《べんぎ》さえ謀《はか》られた。
 文学者でチェルシーに縁故のあるものを挙《あ》げると昔《むか》しはトマス・モア、下《くだ》ってスモレット、なお下ってカーライルと同時代にはリ・ハントなどがもっとも著名である。ハントの家はカーライルの直《じき》近傍で、現にカーライルがこの家《いえ》に引き移った晩尋ねて来たという事がカーライルの記録に書いてある。またハントがカーライルの細君にシェレーの塑像《そぞう》を贈ったという事も知れている。このほかにエリオットのおった家とロセッチの住んだ邸《やしき》がすぐ傍《そば》の川端に向いた通りにある。しかしこれらは皆すでに代《だい》がかわって現に人が這入《はい》っているから見物は出来ぬ。ただカーライルの旧廬《きゅうろ》のみは六ペンスを払えば何人《なんびと》でもまた何時《なんどき》でも随意に観覧が出来る。
 チェイン・ローは河岸端《かしっぱた》の往来を南に折れる小路でカーライルの家はその右側の中頃に在《あ》る。番地は二十四番地だ。
 毎日のように川を隔《へだ》てて霧の中にチェルシーを眺《なが》めた余はある朝ついに橋を渡ってその有名なる庵《いお》りを叩《たた》いた。
 庵りというと物寂《ものさ》びた感じがある。少なくとも瀟洒《しょうしゃ》とか風流とかいう念と伴《ともな》う。しかしカーライルの庵《いおり》はそんな脂《やに》っこい華奢《きゃしゃ》なものではない。往来《おうらい》から直《ただ》ちに戸が敲《たた》けるほどの道傍《みちばた》に建てられた四階|造《づくり》の真四角な家である。
 出張った所も引き込んだ所もないのべつに真直《まっすぐ》に立っている。まるで大製造場の煙突の根本を切ってきてこれに天井を張って窓をつけたように見える。
 これが彼が北の田舎《いなか》から始めて倫敦《ロンドン》へ出て来て探しに探し抜いて漸々《ようよう》の事で探し宛《あ》てた家である。彼は西を探し南を探しハンプステッドの北まで探してついに恰好《かっこう》の家を探し出す事が出来ず、最後にチェイン・ローへ来てこの家を見てもまだすぐに取《とり》きめるほどの勇気はなかったのである。四千万の愚物《ぐぶつ》と天下を罵《ののし》った彼も住家《すみか》には閉口したと見えて、その愚物の中に当然勘定せらるべき妻君へ向けて委細を報知してその意向を確めた。細君の答に「御申越の借家《しゃくや》は二軒共不都合もなき様|被存《ぞんぜられ》候えば私倫敦へ上《のぼ》り候迄《そろまで》双方共御明け置願度《おきねがいたく》若《も》し又それ迄に取極め候《そろ》必要相生じ候節《そろせつ》は御一存にて如何《いかが》とも御取計らい被下度候《くだされたくそろ》とあった。カーライルは書物の上でこそ自分|独《ひと》りわかったような事をいうが、家をきめるには細君の助けに依らなくては駄目と覚悟をしたものと見えて、夫人の上京するまで手を束《つか》ねて待っていた。四五日《しごんち》すると夫人が来る。そこで今度は二人してまた東西南北を馳《か》け廻った揚句の果《はて》やはりチェイン・ローが善《い》いという事になった。両人《ふたり》がここに引き越したのは千八百三十四年の六月十日で、引越の途中に下女の持っていたカナリヤが籠《かご》の中で囀《さえず》ったという事まで知れている。夫人がこの家《いえ》を撰《えら》んだのは大《おおい》に気に入ったものかほかに相当なのがなくてやむをえなんだのか、いずれにもせよこの煙突のごとく四角な家は年に三百五十円の家賃をもってこの新世帯の夫婦を迎えたのである。カーライルはこのクロムウェルのごときフレデリック大王のごときまた製造場の煙突のごとき家の中でクロムウェルを著わしフレデリック大王を著わしディスレリーの周旋《しゅうせん》にかかる年給を擯《しりぞ》けて四角四面に暮したのである。
 余は今この四角な家の石階の上に立って鬼の面のノッカーをコツコツと敲《たた》く。しばらくすると内から五十|恰好《かっこう》の肥った婆さんが出て来て御這入《おはい》りと云う。最初から見物人と思っているらしい。婆さんはやがて名簿のようなものを出して御名前をと云う。余は倫敦滞留中四たびこの家に入り四たびこの名簿に余が名を記録した覚えがある。この時は実に余の名の記入《きにゅう》初《はじめ》であった。なるべく丁寧に書くつもりであったが例に因《よ》ってはなはだ見苦しい字が出来上った。前の方を繰りひろげて見ると日本人の姓名は一人もない。して見ると日本人でここへ来たのは余が始めてだなと下らぬ事が嬉しく感ぜられる。婆さんがこちらへと云うから左手の戸をあけて町に向いた部屋に這入る。これは昔し客間であったそうだ。色々なものが並べてある。壁に画《え》やら写真やらがある。大概はカーライル夫婦の肖像のようだ。後《うし》ろの部屋にカーライルの意匠に成ったという書棚がある。それに書物が沢山詰まっている。むずかしい本がある。下らぬ本がある。古びた本がある。読めそうもない本がある。そのほかにカーライルの八十の誕生日の記念のために鋳《い》たという銀牌《ぎんぱい》と銅牌《どうはい》がある。金牌《きんぱい》は一つもなかったようだ。すべての牌《はい》と名のつくものがむやみにかちかちしていつまでも平気に残っているのを、もろうた者の煙のごとき寿命と対照して考えると妙な感じがする。それから二階へ上る。ここにまた大きな本棚があって本が例のごとくいっぱい詰まっている。やはり読めそうもない本、聞いた事のなさそうな本、入りそうもない本が多い。勘定をしたら百三十五部あった。この部屋も一時は客間になっておったそうだ。ビスマークがカーライルに送った手紙と普露西《プロシア》の勲章がある。フレデリック大王伝の御蔭と見える。細君の用いた寝台《ねだい》がある。すこぶる不器用な飾《かざ》り気《け》のないものである。
 案内者はいずれの国でも同じものと見える。先《さ》っきから婆さんは室内の絵画器具について一々説明を与える。五十年間案内者を専門に修業したものでもあるまいが非常に熟練したものである。何年何月何日にどうしたこうしたとあたかも口から出《で》任《まか》せに喋舌《しゃべ》っているようである。しかもその流暢《りゅうちょう》な弁舌に抑揚があり節奏《せっそう》がある。調子が面白いからその方ばかり聴いていると何を言っているのか分らなくなる。始めのうちは聞き返したり問い返したりして見たがしまいには面倒になったから御前は御前で勝手に口上を述べなさい、わしはわしで自由に見物するからという態度をとった。婆さんは人が聞こうが聞くまいが口上だけは必ず述べますという風で別段|厭《あ》きた景色《けしき》もなく怠《おこた》る様子もなく何年何月何日をやっている。
 余は東側の窓から首を出してちょっと近所を見渡した。眼の下に十坪ほどの庭がある。右も左もまた向うも石の高塀《たかかべ》で仕切られてその形はやはり四角である。四角はどこまでもこの家の附属物かと思う。カーライルの顔は決して四角ではなかった。彼はむしろ懸崖《けんがい》の中途が陥落して草原の上に伏しかかったような容貌《ようぼう》であった。細君は上出来の辣韮《らっきょう》のように見受けらるる。今余の案内をしている婆さんはあんぱんのごとく丸《ま》るい。余が婆さんの顔を見てなるほど丸いなと思うとき婆さんはまた何年何月何日を誦《じゅ》し出した。余は再び窓から首を出した。
 カーライル云う。裏の窓より見渡せば見ゆるものは茂る葉の木株、碧《みど》りなる野原、及びその間に点綴《てんてつ》する勾配《こうばい》の急なる赤き屋根のみ。西風の吹くこの頃の眺《なが》めはいと晴れやかに心地よし。
 余は茂る葉を見ようと思い、青き野を眺《なが》めようと思うて実は裏の窓から首を出したのである。首はすでに二|返《へん》ばかり出したが青いものも何にも見えぬ。右に家が見える。左《ひだ》りに家が見える。向《むこう》にも家が見える。その上には鉛色《なまりいろ》の空が一面に胃病やみのように不精無精《ふしょうぶしょう》に垂れかかっているのみである。余は首を縮めて窓より中へ引き込めた。案内者はまだ何年何月何日の続きを朗らかに読誦《どくじゅ》している。
 カーライルまた云う倫敦《ロンドン》の方《かた》を見れば眼に入るものはウェストミンスター・アベーとセント・ポールズの高塔の頂《いただ》きのみ。その他|幻《まぼろし》のごとき殿宇《でんう》は煤《すす》を含む雲の影の去るに任せて隠見す。
「倫敦の方」とはすでに時代後れの話である。今日《こんにち》チェルシーに来て倫敦の方を見るのは家の中《うち》に坐って家の方《かた》を見ると同じ理窟《りくつ》で、自分の眼で自分の見当《けんとう》を眺めると云うのと大した差違はない。しかしカーライルは自《みずか》ら倫敦に住んでいるとは思わなかったのである。彼は田舎《いなか》に閑居して都の中央にある大伽藍《だいがらん》を遥《はる》かに眺めたつもりであった。余は三度《みた》び首を出した。そして彼のいわゆる「倫敦の方」へと視線を延ばした。しかしウェストミンスターも見えぬ、セント・ポールズも見えぬ。数万の家、数十万の人、数百万の物音は余と堂宇との間に立ちつつある、漾《ただよ》いつつある、動きつつある。千八百三十四年のチェルシーと今日のチェルシーとはまるで別物である。余はまた首を引き込めた。婆さんは黙然《もくねん》として余の背後に佇立《ちょりつ》している。
 三階に上《あが》る。部屋の隅を見ると冷やかにカーライルの寝台《ねだい》が横《よこた》わっている。青き戸帳《とばり》が物静かに垂れて空《むな》しき臥床《ふしど》の裡《うち》は寂然《せきぜん》として薄暗い。木は何の木か知らぬが細工《さいく》はただ無器用で素朴であるというほかに何らの特色もない。その上に身を横えた人の身の上も思い合わさるる。傍《かたわ》らには彼が平生使用した風呂桶《ふろおけ》が九鼎《きゅうてい》のごとく尊げに置かれてある。
 風呂桶とはいうもののバケツの大きいものに過ぎぬ。彼がこの大鍋《おおなべ》の中で倫敦の煤《すす》を洗い落したかと思うとますますその人となりが偲《しの》ばるる。ふと首を上げると壁の上に彼が往生《おうじょう》した時に取ったという漆喰《しっくい》製《せい》の面型《マスク》がある。この顔だなと思う。この炬燵《こたつ》櫓《やぐら》ぐらいの高さの風呂に入《はい》ってこの質素な寝台の上に寝て四十年間やかましい小言《こごと》を吐き続けに吐いた顔はこれだなと思う。婆さんの淀《よど》みなき口上が電話口で横浜の人の挨拶を聞くように聞える。
 宜《よろ》しければ上りましょうと婆さんがいう。余はすでに倫敦の塵《ちり》と音を遥《はる》かの下界に残して五重の塔の天辺《てっぺん》に独坐するような気分がしているのに耳の元で「上りましょう」という催促を受けたから、まだ上があるのかなと不思議に思った。さあ上ろうと同意する。上れば上るほど怪しい心持が起りそうであるから。
 四階へ来た時は縹渺《ひょうびょう》として何事とも知らず嬉しかった。嬉しいというよりはどことなく妙であった。ここは屋根裏である。天井を見ると左右は低く中央が高く馬の鬣《たてがみ》のごとき形《かた》ちをしてその一番高い背筋《せすじ》を通して硝子《ガラス》張りの明り取りが着いている。このアチックに洩《も》れて来る光線は皆頭の上から真直《まっすぐ》に這入《はい》る。そうしてその頭の上は硝子一枚を隔てて全世界に通ずる大空である。眼に遮《さえぎ》るものは微塵《みじん》もない。カーライルは自分の経営でこの室《しつ》を作った。作ってこれを書斎とした。書斎としてここに立《たて》籠《こも》った。立籠って見て始めてわが計画の非なる事を悟った。夏は暑くておりにくく、冬は寒くておりにくい。案内者は朗読的にここまで述べて余を顧《かえ》りみた。真丸《まんまる》な顔の底に笑の影が見える。余は無言のままうなずく。
 カーライルは何のためにこの天に近き一室の経営に苦心したか。彼は彼の文章の示すごとく電光的の人であった。彼の癇癖《かんぺき》は彼の身辺を囲繞《いにょう》して無遠慮に起る音響を無心に聞き流して著作に耽《ふけ》るの余裕を与えなかったと見える。洋琴《ピアノ》の声、犬の声、鶏の声、鸚鵡《おうむ》の声、いっさいの声はことごとく彼の鋭敏なる神経を刺激して懊悩《おうのう》やむ能《あた》わざらしめたる極《きょく》ついに彼をして天に最も近く人にもっとも遠ざかれる住居をこの四階の天井裏に求めしめたのである。
 彼のエイトキン夫人に与えたる書翰《しょかん》にいう「此|夏中《なつじゅう》は開け放ちたる窓より聞ゆる物音に悩まされ候事《そろこと》一方《ひとかた》ならず色々修繕も試み候えども寸毫《すんごう》も利目無之《ききめこれなく》夫《それ》より篤《とく》と熟考の末家の真上に二十尺四方の部屋を建築致す事に取極め申|候《そろ》是は壁を二重に致し光線は天井より取り風通しは一種の工夫をもって差支《さしつかえ》なき様致す仕掛に候えば出来上り候《そろ》上は仮令《たとい》天下の鶏共一時に鬨《とき》の声を揚げ候《そろ》とも閉口|仕《つかまつ》らざる積《つもり》に御座|候《そろ》」
 かくのごとく予期せられたる書斎は二千円の費用にてまずまず思い通りに落成を告げて予期通りの功果を奏したがこれと同時に思い掛けなき障害がまたも主人公の耳辺《じへん》に起った。なるほど洋琴《ピアノ》の音《ね》もやみ、犬の声もやみ、鶏の声、鸚鵡の声も案のごとく聞えなくなったが下層にいるときは考だに及ばなかった寺の鐘、汽車の笛《ふえ》さては何とも知れず遠きより来《きた》る下界の声が呪《のろい》のごとく彼を追いかけて旧のごとくに彼の神経を苦しめた。
 声。英国においてカーライルを苦しめたる声は独逸《ドイツ》においてショペンハウアを苦しめたる声である。ショペンハウア云う。「カントは活力論を著《あらわ》せり、余は反《かえ》って活力を弔《とむら》う文を草せんとす。物を打つ音、物を敲《たた》く音、物の転《ころ》がる音は皆活力の濫用にして余はこれがために日々苦痛を受くればなり。音響を聞きて何らの感をも起さざる多数の人|我説《わがせつ》をきかば笑うべし。されど世に理窟《りくつ》をも感ぜず思想をも感ぜず詩歌《しいか》をも感ぜず美術をも感ぜざるものあらば、そは正にこの輩《やから》なる事を忘るるなかれ。彼らの頭脳の組織は麁※[#「けものへん+廣」、第4水準2-80-55]《そこう》にして覚《さと》り鈍き事その源因たるは疑うべからず」カーライルとショペンハウアとは実は十九世紀の好一対《こういっつい》である。余がかくのごとく回想しつつあった時に例の婆さんがどうです下りましょうかと促《うな》がす。
 一層を下《くだ》るごとに下界に近づくような心持ちがする。冥想《めいそう》の皮が剥《は》げるごとく感ぜらるる。階段を降り切って最下の欄干に倚《よ》って通りを眺《なが》めた時にはついに依然たる一個の俗人となり了《おわ》ってしまった。案内者は平気な顔をして厨《くりや》を御覧なさいという。厨は往来《おうらい》よりも下にある。今余が立ちつつある所よりまた五六段の階を下らねばならぬ。これは今案内をしている婆さんの住居《すまい》になっている。隅に大きな竈《かまど》がある。婆さんは例の朗読調をもって「千八百四十四年十月十二日有名なる詩人テニソンが初めてカーライルを訪問した時彼ら両人はこの竈の前に対坐して互に煙草《たばこ》を燻《くゆ》らすのみにて二時間の間|一言《ひとこと》も交《まじ》えなかったのであります」という。天上に在《あ》って音響を厭《いと》いたる彼は地下に入っても沈黙を愛したるものか。
 最後に勝手口から庭に案内される。例の四角な平地を見廻して見ると木らしい木、草らしい草は少しも見えぬ。婆さんの話しによると昔は桜もあった、葡萄《ぶどう》もあった。胡桃《くるみ》もあったそうだ。カーライルの細君はある年二十五銭ばかりの胡桃を得たそうだ。婆さん云う「庭の東南の隅を去る五尺余の地下にはカーライルの愛犬ニロが葬むられております。ニロは千八百六十年二月一日に死にました。墓標も当時は存しておりましたが惜しいかなその後取払われました」と中々|精《くわ》しい。
 カーライルが麦藁帽《むぎわらぼう》を阿弥陀《あみだ》に被《かぶ》って寝巻姿のまま啣《くわ》え煙管《ぎせる》で逍遥《しょうよう》したのはこの庭園である。夏の最中《もなか》には蔭深き敷石の上にささやかなる天幕《テント》を張りその下に机をさえ出して余念もなく述作に従事したのはこの庭園である。星|明《あきら》かなる夜《よ》最後の一ぷくをのみ終りたる後、彼が空を仰いで「嗚呼《ああ》余が最後に汝《なんじ》を見るの時は瞬刻の後《のち》ならん。全能の神が造れる無辺大の劇場、眼に入《い》る無限、手に触《ふ》るる無限、これもまた我が眉目を掠《かす》めて去らん。しかして余はついにそを見るを得ざらん。わが力を致せるや虚ならず、知らんと欲するや切なり。しかもわが知識はただかくのごとく微《び》なり」と叫んだのもこの庭園である。
 余は婆さんの労に酬《むく》ゆるために婆さんの掌《てのひら》の上に一片《いっぺん》の銀貨を載《の》せた。ありがとうと云う声さえも朗読的であった。一時間の後|倫敦《ロンドン》の塵《ちり》と煤《すす》と車馬の音とテームス河とはカーライルの家を別世界のごとく遠き方《かた》へと隔《へだ》てた。



底本:「夏目漱石全集2」ちくま文庫、筑摩書房
   1987(昭和62)年10月27日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月
入力:柴田卓治
校正:LUNA CAT
2000年8月31日公開
2004年2月26日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




トマス・カーライル
出典: フリー引用句集『ウィキクォート(Wikiquote)』
(トーマス・カーライル から転送)
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トマス・カーライル(Thomas Carlyle、1795年- 1881年)は英国の評論家・歴史家。ドイツ文学を研究したことで有名。

[編集] 出典明らかなもの
すべてのことは「する」という動詞を無限に活用させることである。
The all of things is an infinite conjugation of the verb to do.
フランス革命史 The French Revolution
歴史、それはうわさの上澄みに過ぎない。
History: a distillation of rumor.
フランス革命史 History of the French Revolution(1837年)
成すべき事を見つけたものは幸いである。その人に他の幸福を求めさせてはならない。
Blessed is he who has found his work; let him ask no other blessedness.
『過去及び現在』Past and Present
世界の歴史とはまさに偉人伝である。
The history of the world is but the biography of great men.
「英雄及び英雄崇拝」On Heroes and Hero Worship (1841年)
[編集] 出典の不明なもの
人は何かを信じることにより生きる。たくさんのことを論争したり議論したりすることによってではない。
A man lives by believing something; not by debating and arguing about many things.
人が何かをするには二つの理由がある。人聞きのよい理由と本当の理由である。
A person usually has two reasons for doing something: a good reason and the real reason.
ウィキペディアにトマス・カーライルに関する記事があります。「http://ja.wikiquote.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%AB」より作成
カテゴリ: 作家

2009年4月4日 (土) 13:02

幸田浩子

2010-01-18 13:14:38 | 音楽
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幸田浩子
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クラシック音楽

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ヴァイオリンソナタ
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音楽理論 - 演奏記号
演奏形態
器楽 - 声楽
宗教音楽
イベント
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メタ
ポータル - プロジェクト
カテゴリ
表・話・編・歴
幸田 浩子(こうだ ひろこ)は日本のソプラノ歌手である。その磨かれた美声と豊かな表現力、卓越したテクニック、とりわけコロラトゥーラの技巧により高く評価されている[1]。二期会会員。

姉はヴァイオリニストの幸田聡子。

目次
[非表示]
1 概説
2 ディスコグラフィ
3 出演
4 脚注
5 外部リンク


概説 [編集]
大阪府豊中市の生まれ。音楽への理解と造詣の深い両親のもとで育った。

1997年、東京芸術大学声楽科を首席で卒業。同大学院修了。後にオペラ研修所の第11期を修了する。

文化庁派遣芸術家在外研修員の資格を得てイタリア・ボローニャへ2年間研修留学。2000年にウィーン・フォルクスオーパーと2年間の専属契約を結んだ。

2004年5月、宮本亜門演出のミュージカル、バーンスタイン作『キャンディード』にクネゴンデ役で出演した。

2000年代の前半にドイツのアルテ・ノーヴァから発売されたグスタフ・クーンのいくつかの録音(ロッシーニ『ブルスキーノ氏』やモーツァルト『レクイエム』、リヒャルト・ワーグナー『ニーベルンゲンの指輪』など)に参加した。

2008年2月、コロムビアミュージックエンタテインメントから初のソロ・アルバム『モーツァルト・アリア集』が発売された。4月には紀尾井ホールでNHK交響楽団の主要メンバーとの共演によるリサイタルを開催、6月には東京二期会による『ナクソス島のアリアドネ』(リヒャルト・シュトラウス)でツェルビネッタ役を演じ好評を博した。こうした活動を評価され、8月に第38回エクソンモービル音楽賞洋楽部門奨励賞を受賞した[1]。

2009年2月には2枚目となるアルバム『カリヨン/幸田浩子~愛と祈りを歌う』が発売された。タイトル曲の「カリヨン-新しい色の祝祭にて-」は幸田の歌声に感銘を受けたイタリアのポピュラー音楽の作曲家、ベッペ・ドンギアから贈られたものである[2]。同年11月には3枚目のアルバム『あなたの優しい声が~イタリア&フランス・オペラ・アリア集』が発売された。

ディスコグラフィ [編集]
モーツァルト・アリア集(2008年2月20日)
カリヨン/幸田浩子~愛と祈りを歌う(2009年2月18日)
あなたの優しい声が~イタリア&フランス・オペラ・アリア集(2009年11月18日)
出演 [編集]
NHKニューイヤーオペラコンサート(2004年、2008年、2009年、2010年)
東急ジルベスターコンサート(2009/10年)
ブロードキャスター(不定期のゲスト出演)
NHKラジオ夕刊(2005年1月、3月にゲスト出演)
気ままにクラシック(2008年4月より笑福亭笑瓶とともに番組パーソナリティーを務める)
脚注 [編集]
^ a b 第38回エクソンモービル音楽賞洋楽部門奨励賞 幸田浩子
^ BIWAKO HALL NEWSLETTER 2006.8.20 No.6
外部リンク [編集]
コロムビアミュージックエンタテインメント 幸田浩子特設サイト
インタビュー - 幸田浩子 - ピックアップ・アーティスト - 二期会21
「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B8%E7%94%B0%E6%B5%A9%E5%AD%90」より作成
カテゴリ: 日本のソプラノ歌手 | 大阪府出身の人物 | 存命人物
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最終更新 2010年1月4日 (月) 12:39


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Category:NHK全国学校音楽コンクール課題曲作詞者・作曲者

NHK全国学校音楽コンクールの課題曲を作詞・作曲した人。コンクールの名称が上記になる前の「児童唱歌コンクール」「全国唱歌ラジオコンクール」などについてもこちらで扱う。

同コンクール以外のためにつくられ、その後課題曲に採用された楽曲の作詞者・作曲者については、ここでは扱わない。

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青島広志
アンジェラ・アキ
阿久悠
芥川也寸志
朝川朋之

池辺晋一郎
石垣りん
石桁真礼生
石田衣良
五木寛之
伊藤アキラ
岩河三郎
岩谷時子

江間章子

大江健三郎
大岡信
大木惇夫
大島ミチル
大中恩
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勝承夫
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川崎洋
菅野由弘

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グッチ裕三
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蔵原伸二郎
黒澤吉徳

越部信義
小林亜星
小林秀雄 (作曲家)
小山清茂
こ の続き
小六禮次郎

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三枝成彰
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カテゴリ: 作詞家 | 作曲家 | 合唱 | 日本放送協会


最終更新 2008年10月18日 (土)



高校→大学(大学院)→就職 (社会福祉士・医師・薬剤師)への道】★

2010-01-18 12:53:25 | 小論文
高大連携情報誌 
高校生新聞「大学受験ニュース」(ブログ版)
毎日発信中!=【高校生新聞(紙媒体版)】=【拡大コピー大歓迎】23

高校→大学(大学院)→就職 (社会福祉士・医師・薬剤師)への道】★

【社会福祉士合格者数(合格率からランキングを作成) 【出典:光文社 大学進学・就活 進路図鑑2010 P78]大学ランキング 2010年度版・P208】
[合格者40人以上の大学]=①京都府立大学51[73.9] ②神奈川県立保健福祉大学56 ③福岡県立大学50 ④大阪府立大学61 ⑤愛知県立大学48 ⑥法政大学60 ⑦山口県立大学78 ⑧日本社会事業大学196 ⑨岩手県立大学74 ⑩同志社大学45 ⑪関西学院大学66 ⑫立命館大学89 ⑬東京国際大学40 ⑭国際医療福祉大学108 ⑮武蔵野大学82 ⑯新潟医療福祉大学80 ⑰西南大学73 ⑱北星大学122 ⑲立教大学60 ⑳桃山学院大学65 
[合格者40人未満の大学]=①大阪市立大学19[100.0] ②福井県立大学30 ③愛知教育大学11 ④東京学芸大学18 ⑤埼玉大学12 ⑥県立広島大学23 ⑦首都大学東京11 ⑧新潟大学18 ⑨上智大学35 ⑩青森県立保健大学39 厚生労働省調べ(2008年) [全大学平均合格率=27.1]
【医師国家試験合格者数(合格率からランキングを作成) 【出典:光文社 大学進学・就活 進路図鑑2010 P412】
①自治医科大学105[99.1] ②順天堂大学92 ③山形大学87 ④産業医科大学87 ⑤筑波大学113 ⑥和歌山県立医科大学64 ⑦香川大学94 ⑧横浜市立大学59 ⑨三重大学100 ⑩愛媛大学98 ⑪浜松医科大学113 ⑫慶応義塾大学90 ⑬弘前大学106 ⑭福島県立医科大学81 ⑮京都府立医科大学100 ⑯防衛医科大学56 ⑯富山大学93 ⑱東京医科歯科大学88 ⑱神戸大学105 ⑳札幌医科大学103・⑳東京慈恵会医科大学103・【22-】=鳥取大学84・岐阜大学83・滋賀医科大学97・九州大学108・大分大学89・千葉大学103・昭和大学112・名古屋大学98・埼玉医科大学107・愛知医科大学105・奈良県立医科大学91・佐賀大学91・北海道大学114・京都大学104・岡山大学92・大阪市立大学79・宮崎大学102・聖マリアンナ医科大学111・近畿大学107・名古屋市立大学73・久留米大学115・日本大学101・山梨大学101・群馬大学100・東京大学88[90・7]・【平均=90.6】・金沢大学101・熊本大学101・岩手医科大学82・秋田大学100・杏林大学89・大阪大学98・関西医科大学97・鹿児島大学105・日本医科大学95・北里大学103・信州大学95・島根大学86・広島大学94・川崎医科大学109・旭川医科大学92・徳島大学92・獨協医科大学107・新潟大学88・東京女子医科大学99・長崎大学83・福岡大学103・山口大学92・大阪医科大学104・福井大学102・高知大学86・東北大学88・東邦大学93・琉球大学109・藤田保健衛生大学111・兵庫医科大学88・東京医科大学106・金沢医科大学101・東海大学88・帝京大学105[78.4] 出典;2008年度厚生労働省発表
【歯科医師国家試験合格者数(合格率からランキングを作成) 【出典:光文社 大学進学・就活 進路図鑑2010 P413】
①北海道大学52[91.2] ②徳島大学543 ③大阪大学61 ④東京歯科大学119 ⑤鹿児島大学61 ⑥愛知学院大学118 ⑦新潟大学48 ⑧長崎大学57  ⑨東北大学56 ⑩日本大学114
⑪九州歯科大学95 ⑫岡山大学47 ⑬広島大学51 ⑭日本歯科大学107 ⑮東京医科歯科大学54[74.0]⑯日本大学松戸歯学部128 [平均=68.9]⑰昭和大学67・明海大学88・⑲九州大学43・⑳日本歯科大学新潟生命歯学部90・[21-] 福岡歯科大学83・福岡歯科大学83・大阪歯科大学112・北海道医療大学73・鶴見大学100・神奈川歯科大学90・朝日大学96・岩手医科大学65・松本歯科大学77・奥羽大学61 [出典=2008年厚生労働省発表]
【薬剤師国家試験 合格率ランキング 【出典:光文社 大学進学・就活 進路図鑑2010 P486・487 平均合格率=76.1】
①広島国際大学129[94.2] ②神戸薬科大学298 ③摂南大学237 ④帝京平成大学117 ⑤九州保健福祉大学108 ⑥大阪薬科大学320 ⑦武蔵野大学92 ⑧共立薬科大学(現・慶応義塾大学)190・明治薬科大学392 東邦大学265 神戸学院大学222 近畿大学149 ⑫星薬科大学290 ⑭日本大学245 ⑮名城大学263 ⑯福山大学220 ⑰東京薬科大学501 ⑱北海道薬科大学178 ⑱就実大学173 ⑳東京理科大学196 [21-] 昭和204・千葉大学93・徳島文理大学323・京都薬科大学380・昭和薬科大学295・北里大学266・福岡大学215・武庫川女子大学205・岡山大学79・富山大学101・岐阜薬科大学148・金沢大学82・千葉科学大学135・城西大学298・静岡県立大学130・長崎大学86・東北薬科大学397・北海道大学83・北海道医療大学159・徳島大学88・新潟薬科大学178・城西国際大学96・東京大学94[71.8]・青森大学75・名古屋市立大学95・九州大学90・広島大学51・熊本大学90・帝京大学333・大阪大学88・京都大学95・北陸大学372・東北大学71・日本薬科大学94・第一薬科大学310 
[出典:2008年厚生労働省発表]