塩哲の色不異空

日々の思いを気の向くままに

ミュージアム巡り 漂流ものがたり 北槎聞略_4

2017-05-10 05:55:13 | ミュージアム巡り_2017
 大黒屋光太夫ら6名の帰国が認められない中、庄蔵と新蔵の二人
がロシア正教の洗礼を受け帰化する。
 光太夫は寛政3年(1791)1月、キリル・ラスクマンに伴われ、首
都ペテルブルクへ赴き、政府要人へ帰国を訴える。この間、九右衛
門が病死し、この時点で帰国希望者は3名となる。

 光太夫はロシア皇帝の離宮があるツァールスコエ・セローに向か
いエカテリーナ二世に拝謁する。この時、同年5月28日のこと。
光太夫は女帝に帰国願いを言上する。
 10月20日、光太夫は再び宮中に召され女帝から直接、煙草入れ
や金牌、懐中時計など、ロシア在留費用などが支給される。この時、
女帝は彼らを日本へ送還し、日本へ使節を送るようイルクーツク総
督へ勅命を下す。ここで、光太夫の願いがようやく叶う。

 光太夫は女帝に拝謁した際、女帝の右手甲に3回唇を軽くふれ拝
礼をする。その時、女帝は“ベンヤシコ”と言い、“是ハ憐れむべし
という語なり“と説明が付いているように、光太夫の境遇を嘆いた
ことが判る。

 同4年5月20日、キリルと共にイルクーツクを出発し、8月にオ
ホーツクへ到着。9月13日、キリルの子息・アダム・ラクスマンを
遣日使節としてエカテリーナ号で日本に向けて出港。
 10月9日、根室に到着。およそ10年に及ぶ漂流の代償として、彼
らが日本に生還したのは光太夫と磯吉の二人だけだった。

 年表と足跡の図画展示されていた。
国立公文書館(千代田区北の丸公園3-2)
この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ミュージアム巡り 漂流もの... | トップ | ミュージアム巡り 漂流もの... »
最新の画像もっと見る

ミュージアム巡り_2017」カテゴリの最新記事