塩哲の空即是色

日々の徒然日記

ミュージアム巡り 上水記

2012-08-06 06:00:30 | ミュージアム巡り_2012
 慶長8年(1603)に徳川家康が江戸に幕府を開くと、江戸の町造
りは諸大名の手によって進められる。その造成は3代家光の時代
(1623~1651)に完成する。
 井の頭池を源とする神田川の水を関口村(現在の文京区)に築い
た大洗堰でせき上げ、水戸藩邸(現在の後楽園辺り)まで開削路で
導水し、神田川の懸樋で渡し神田や日本橋方面に給水する。この神
田上水の完成が町の発展に拍車を掛ける。
 江戸町内の暮らしが豊になってくると人口も増加し、神田上水と
溜池上水だけでは、その需要に応じきれなくなる。

 承応元年(1652)、幕府は多摩川の水を江戸の町に引き入れる壮
大なプランを計画する。町人の庄右衛門と清右衛門の兄弟が提出し
た設計書を基に、総奉行に老中・松平伊豆守信綱、水道奉行に伊奈
半十郎忠治が命じられる。

 工事の着工は1653年、羽村取り水口から四谷大木戸まで約43km、
標高差約92mの緩勾配で白掘される。1年後には虎の門まで地下に
石樋や木樋で配水管が施行され、江戸城をはじめ四谷、麹町、赤坂
の台地に、また芝や京橋に至まで給水が敷かれた。
 「上水記」はその上水概要から町内配管、水路、当時の水道料金
など当時の高い土木技術がうかがい知れる古文書で貴重な資料だ。
東京都水道歴史館(文京区本郷2-7-1)


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