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パネルシアターには、特に「型」はないのだと思います

2008-01-16 19:51:04 | パネルシアターを演じる・・・ということ

とてもありがたいことに、このブログを読んでいただいた方から、ご質問をいただきました。これから本格的にパネルシアターに取り組もうという方なのですが、その方はパネルボードの(向かって)左側に立ったほうが演じやすいとのことです。その場合は、作品によっては、絵人形を反転させて作らないといけない・・・ということを書いたのですが、その説明が少し分かり辛かったというか、つまり説明不足だったみたいですね。

そこで、できるだけ広く知られている作品を選んで、実際の絵人形の画像を参考にしていただきながら、ご説明してみたいと思います。

まず、こちらの画像をご覧ください。ご存知の方も多いでしょう。古宇田先生の名作のひとつである「しゃぼん玉とばせ」です。この作品の場合は、動物によって絵人形の向きが違います。仲良く遊んでいる雰囲気を出すためにも、パネルボードの真ん中に向かって、お互いの動物が向き合うように貼っていきます。互いの動物がソッポを向いているようでは困りますからね。そうしますと、この作品のような場合は、パネルボードのどちら側に立って演じても、特に問題はないということが言えると思います。ただし、最後に登場するぞうさんのように、手に持って動かしながら(演者も動きながら)登場させたりするのであれば、向かって左に立って演じる方は、絵人形を右向きに作ったほうが良いでしょう。ぞうさんを後ろ向きで登場させないために・・・。

次の作品も同様です。こちらをご覧ください。やはり古宇田先生の作品「きれいなお窓」です。この作品は歌に合わせて進めるのですが、ひとつひとつの絵人形を独立して、つまり特にお話のつながりがない形で登場させていきますから、これなどは、パネルボードのどちらに立って演じても問題のない作品の、代表的な例でしょう。「ポンポンポケット」とか「やおやのおみせ」なども同様です。

もうひとつ、こちらをご覧ください。ご存知「大きな大根」です。この作品(の絵人形)は、お話が向かって右から左へ展開していくように作られています。ですから、パネルボードの(向かって)左に立って演じる場合は、絵人形を反転させて作る必要が出てきます。おじいさん・おばあさん・むすめさん・いぬ・ねこ・ねずみの、合計6枚の絵人形です。下絵(型紙)通りに作ると糸止めの仕掛けで動く左手は、反転させて作れば右手ということになります。そして、まずパネルボードの左端に登場し、続いて大根抜きに参加するという展開になります。お話が、左から右へと流れていくわけです。

以上見ていただいたように、作品によっては絵人形を反転させて作る必要がある・・・という点は、ご理解いただけましたでしょうか?

この点さえ注意すれば、パネルボードのどちらに立って演じても、まったく問題はないように思います。ちなみに、絵人形の下絵(型紙)を左右反転させることは、とても簡単にできます。下絵(型紙)を、いったん裏からも透けて見えるような紙(トレーシング・ペーパーなど)に写し取り、それを裏返せば左右反転した下絵(型紙)に変身します。

舞台の上手・下手(かみて・しもて)に拘ることは、鉛筆や箸を持つ手を、右手だけに統一しようとすることに、少しだけ似ているように思います。一般的な演劇舞台のように、舞台の造りそのものが従来からの原則に則っているような場合、例えば下手(しもて)に花道が造られているとか、そういう建造物(固定物)としての舞台ならば、これは動かすことができませんから拘って当然です。しかし、パネルシアターにおける舞台(正確に言えば、舞台の一部分)となるパネルボードは、従来の演劇や人形劇などの舞台とは、まったく違うもののように思います。パネルボードの上や下から絵人形を登場させたりすることもあります。あるいは絵人形を手に持って、例えば踊らせたりするだけで、あえてパネルボードに貼らないこともあります。つまり、パネルボード自体に天地(上下)左右があるわけではなく、それを表現するのは演者自身と絵人形なのです。

何十年か前までは、左手で字を書いたり御飯を食べたりすることは、あり得ないことであるかのように言われていました。しかし、今は違いますよね。才能教育などのために、あえて左利きにしようとする風潮さえある、そんな社会になりました。

何だか変に大きな話になってしまいましたが、お伝えしたいことはひとつだけです。パネルシアターを演じるに当たっては、左右どちらに立つべきかを無理に決め付けることなく、演者ひとりひとりの個性に任せていけば良いのではないかということです。


百人百様こそパネルシアターの魅力

2007-12-28 21:44:23 | パネルシアターを演じる・・・ということ

パネルシアターは演者のパフォーマンスを見てもらうものだなんて、ずいぶん偉そうなことを申しました。でも、これは何も難しいことではありませんし、決して特別なことを言っているつもりもありません。

演者それぞれが、その時点での、出来得る限り・出し得る限りの自分を見てもらう・・・ということだと思うのです。ですから、上手いとか上手くないとか、そういう問題とは違います。絵人形を落としたり、セリフを間違えたりしたとしても、それはそれで、その時点での演者のパフォーマンスなのです。

確かに、上手な方もたくさんいらっしゃいますが、その方のパネルシアターの演技が、誰にとっても正解というわけではありません。良いお手本として、真似ようとする努力は大切なことですけれども(言葉は悪いですが、盗むという表現がピッタリです)、そっくり同じように演じることは不可能でしょうし、例えそっくり同じように演じたつもりでも、観客に与える印象は違ったものになると思います。

たいていの場合、実演回数が増えるに従って、つまり場数を踏むにつれて、前回までの失敗経験を生かして、段々と上手く演じられるようになるとは思います。でも、そのこととパフォーマンスの向上とは、必ずしもイコールではないように思うのです。パネルシアターは、演者と観客が一体となって楽しむものですから、滑らかで淀みのない上手な演じ方だけが、決してベスト・パフォーマンスだとは言えないと思うのです。

このように考えますと、パネルシアターの場合「演じる」という言葉は、あまり適切な言葉ではないのかもしれませんね。お芝居のように、その役に成り切って演じるからこそ感動を与えられるとか、そういうものではありません。パネルシアターの演者は、決して役者ではないのですから・・・。

私どもにも、「パネルシアターの演じ方を教えて欲しい」というお問い合わせを、時々いただくことがあります。講習会に伺った時などにも、同様のご質問をいただくことがあります。でも、そういう場合はお答えに困ってしまいます。「この作品の、この場面では、どう演じたら良いの?」というお尋ねなら、たぶん的確なアドバイスを差し上げられると思うのですが、一般論としての「演じ方」を尋ねられても、ご満足いただけるようなお答えはできません。

前回と前々回にも申しましたが、パネルボードと演者との位置関係についてご説明したり、パネルボードに枠がない理由(詳しくはこちらをご覧ください)をご説明したりという、ずいぶん抽象的なお答えしかできないのです。

パネルシアターは、演じる方それぞれのパフォーマンスであり、百人百様だからこそ魅力的なのだと思います。そのための大切な要素のひとつとして、「絵人形を手作りする」ということがあるのではないでしょうか。演者自らが手作りした絵人形だからこそ、演者のパフォーマンスを演出する一部になり得る・・・そのように思うのです。

印刷されてハサミで切っただけの絵人形、あるいは例え手作りであっても、借りたり買ったりした絵人形では、本当の意味での演者のパフォーマンスにならないように感じます。出来合いの、借りたり買ったりした絵人形で演じても、観客が違和感や物足りなさを感じたりするようなことは、当然ないでしょう。でも、演者自身には分かっていますよね、それが出来合いの絵人形だってことは・・・。

「作る時間がない」とか、「作るのが面倒だ」とか、「一度きりだから」とか、理由はそれぞれだと思いますけれど、ぜひとも手作りをしていただきたいと思うのです。私なども、正直申し上げて「ふぅー、面倒だなぁ」と思う瞬間もないわけではありません。しかし、絵人形作りは基本的にとても楽しいものですし、この作業を楽しむからこそ、子どもたちとも楽しく遊べるのではないでしょうか。絵人形作りに費やす時間は、実際に子どもたちの前でパネルシアターを演じる時間と同じように、まさに子どもたちのための時間なのではないでしょうか。

ただ、出来合いの絵人形を買ったり借りたりして、一度きりのつもりでやってみたら、そこでパネルシアターの魅力に取りつかれてしまう・・・ということもあるでしょう。もしそうなったら、次からはぜひ手作りしてくださいね。楽しさと満足感が何倍にもなること、間違いなしです。作る楽しみ、演じる楽しみ、そして観客と一体になれる楽しみ・・・少なくとも、3倍以上の喜びが味わえるはずです。


「パネルシアターを演じる」ということ・・・その2

2007-12-24 14:43:24 | パネルシアターを演じる・・・ということ

一人でパネルシアターを演じるとき、パネルボードの左右どちら側に立ったら良いのでしょうか?

前回にも申しましたが、三人以上で上演する場合は、それぞれのグループにより様々なパターンに分かれてしまうでしょうから、ここでは考えないことにします。

二人で演じるときは、パネルボードの両側に一人ずつ立ち、絵人形の貼り位置によって、あるいはお話の構成などによって、二人が分担して絵人形を貼ったり取ったりする・・・ほとんどの場合は、このような感じで上演されていると思います。もちろん、二人で演じるといっても、一人が伴奏やBGMを担当し、実際に演じるのは一人・・・ということもあるでしょう。そうすると、この場合は一人と同じことですよね。

古くからパネルシアターをなさっている方々、しかも人形劇や演劇などの経験や知識をお持ちの方々、そういった指導的な立場にあるような方の中には、パネルシアターも演劇の一形態なのだからという理由からでしょうか、舞台のルールのようなものに拘る方もいらっしゃいます。

そのひとつが、舞台には上手・下手(かみて・しもて)があるという決まり事です。そうするとパネルシアターの場合、演者は当然パネルボード(舞台)の上手(かみて)に立って演じるべきだということになります。つまり、観客から見て、演者はパネルボード(舞台)の右手に立つということです。そして当然、パネルボード上のお話も、(向かって)右から左へ展開していくのが基本となります。

事実、パネルシアターの本に収められている絵人形の型紙(下絵)や見本の多くは、そのことを前提にして描かれています。それは、その本の著者が、理由はどうあれ、実際に右手に立って演じているからです。私自身も、パネルボードの(向かって)右手に立って演じます。でもそれは、私が右利きで、そのほうが演じやすい・・・という理由のみからです。

皆さんのなかには、当然左利きの方もいらっしゃるでしょうし、たとえ右利きであっても、パネルボードの(向かって)左手に立ったほうが演じやすいという方はいらっしゃいませんか? もしそうであれば、上手・下手(かみて・しもて)ということに拘らず、自分のやりやすいほうに立ったら良いのではないでしょうか。ただし、(向かって)左手に立って演じる場合には、本などの型紙(下絵)の一部については、左右を反転させて制作する必要があると思います。パネルボード(舞台)上における構成を、全部反転させることになるからです。

これは、相当の暴言かもしれません。でも、「パネルシアターを演じる」ということは、突き詰めてしまえば、「絵人形を一種の小道具として使って、演者のパフォーマンスを見てもらう」ということではないかと思うのです。だからこそ、パネルボードより前に出て、時には絵人形を手に持ったままで動かしたり、時にはパネルボードの真ん前に出たりすることも有効だったりするのではないか・・・そのように思うのです。また、それだからこそ、同じ本に従って作った作品であっても、演者によって百人百様のパネルシアターになるのではないのでしょうか。

このように考えますと、「一人でパネルシアターを演じるとき、パネルボードの左右どちら側に立ったら良いのでしょうか?」という最初の設問には、明らかな矛盾が見えてきます。そうなんです。パネルボードのどちら側に立つのかではなく、まず演者がステージの真ん中に立つものとし、その演者の立ち位置を基にして、どちら側にパネルボードを配するかというふうに考えるべきなのです。主演は演者であり、パネルボード上の絵人形は助演なのですから・・・。

次回は、パネルシアターにおけるパフォーマンスということについて考えてみたいと思います。


「パネルシアターを演じる」ということ

2007-12-22 21:04:07 | パネルシアターを演じる・・・ということ

より上手くパネルシアターを演じるためには、どのようなことを、どのように気を付けたら良いのでしょうか? 逆の言い方をするならば、どのような演じ方をするとパネルシアターの特長が生かせなくなってしまうのでしょうか?

ネット上で拝見するパネルシアター上演の様子(静止画がほとんどですが)、あるいは時折拝見する実際の上演、それらを見せていただいて感じたことについて、数回に分けて考えてみたいと思います。ただしブラックパネルシアターは、基本的にまったく違う考え方が必要ですので、ここでは除外することにします。

まず最初は、ほとんどの演者の方の立ち位置とパネルボードの位置との関係についてです。これは、一人で演じるのか、あるいは二人なのか、更にそれ以上なのか・・・ということとも関連しますので、一概に論じるのは難しいのですが、とても大切な問題だと思います。ひょっとすると、パネルシアターを演じる上での最大のポイントなのかもしれません。

絵を書いてご説明すると分かりやすいのですが、観客席に対して、パネルボード(舞台)の位置より、演者の立ち位置のほうが後ろになっていることはないでしょうか? 極端な場合だと、演者がパネルボードに隠れるようにして、手だけをボードの前に出して絵人形を貼ったり取ったりしているように感じることもあります。

素敵なパネラーになっていただくためには、思い切って、まずパネルボード(舞台)の真ん前に立ちましょう。上演の前置きや紹介などは、その位置のままでやりましょう。そして上演に移る時に、その位置から、観客席のどこからもパネルボードが見えるよう、少しだけ横に移動します。その位置が、一人または二人で演じる場合の理想的な立ち位置だと思います。 (三人以上で演じる場合は演技形態が多様化しますので、ここでは考えません) そこを定位置とし、一歩後ろに下がって次に貼る絵人形を取る、横に動いてパネルボードに絵人形を貼ったり取ったりする・・・基本的には、これで良いのではないでしょうか。

パネルボードに絵人形を貼ったりする時には、一時的に観客席にお尻を向けることになり、あるいはまた、パネルボードを見ている一部の観客の視界を、一時的に遮ることにもなります。しかし、それを気にする必要はまったくありません。そうです。パネルシアターは、パネルボードだけを見てもらうわけではなく、演者自身も舞台を構成する大切な一部だからです。場合によっては演者のほうが大部分を占め、パネルボード上にかかる比重のほうが一部になることもあるかもしれません。それこそが、パネルシアターにおける個性なのだと思います。

ここまで、パネルボードと演者の位置について、主に前後の関係だけに絞って考えてみました。言い換えるなら主客の関係というか、主従の関係というか、そういうことになるかと思います。そこで、次は左右の位置、つまり演者はパネルボードに向かって、左右どちら側に立つべきかということについて考えてみます。


パネルシアター★見たまま感じたまま

2007-12-21 11:48:12 | パネルシアターを演じる・・・ということ

遅ればせながら、初めてブログなるものに挑戦します。

パネルシアターについて、思いつくままに書き綴ってみたい・・・とは思っているのですが、更新ペースはどうなるのか、中身はどうなるのか、まったく未定のままです。四恩社のホームページを訪れていただいたついでに、ちょっとこちらも覗いてみてください。

とりあえず、「パネルシアターを演じる」ということを中心に、ホームページに書ききれなかったこと、その他諸々を書いてみたいと思います。時にはパネルシアターに関係のない、美味しい食べ物の話とか、素敵な音楽や映画の話、山や自然についての話、隠れた京都の見所・・・などについても書いてみますね(書けるかなぁ)。

パネルシアターは、古宇田先生の本のタイトルにもあるように、歌あそび・言葉あそびを中心に、様々な児童文化の要素が詰め込まれた、総合的な芸能文化財ともいえるものです。

おすすめパネルシアター作品 演じ方のポイント」というページの最後でも少し触れていますが、パネルシアターには、特に決まった型というものはありません。同じ一冊の本を基に、同じ下絵(型紙)を使って作り、同じ脚本や歌に従って演じても、作り手や演じ手によって随分違ったイメージになります。それこそが個性なのですから、ぜひそうあって欲しいと思います。

パネルシアターをなさっている方のほとんどは、「もっと上手くなりたい」と思っていらっしゃるでしょう。しかし、どこが問題で、どうしたら良くなるかが分からない方も多いのではないでしょうか。そこで、「ここをこうしてみたら、更に楽しく素敵なパネルシアターになるかも?」・・・という、私なりのご提案をしてみようと思います。ホームページで採り上げた一部の作品については、少しだけですが具体的に書き込んでいますので、このブログでは全般的な取り組み方といいますか、考え方みたいなものについて書いてみたいと思います。