ゴールデンウィークが近付いたから書いてみようか。
去年の今ごろは身体の痛みが半端なかった。
下半身の関節や神経やツボ?のあらゆる場所が痛くて
寝ても起きても座ってもいられなかった。
まだ完全断薬もしてなくて減薬中の睡眠薬も効かないから
睡眠が全く取れてなかった。
不眠状態で半年以上は過ごしたかもな~
ガリガリに痩せて顔色悪くて目の下はクマが凄くて。
だから化粧で隠すも乗りが悪くてボロボロ。
頻脈も酷くて毎日1分間に120回とか。
で
私がのたうち苦しむ姿に息子もどうしようもなくなって
ゴールデンウィークのある日、救急車を呼んだ。
一般の総合病院は満床だったらしく通院していた精神科に搬送された。
救急車の中で救急隊員に精神薬の薬害を話してた私。
今考えると笑えるけど、あの隊員さんは親身に聞いてくれたよ。
何か伝わってくれていたらいいんだけどね。
たまたま当直でいた元主治医に結構突っ込んでくれていたから。
まぁとにかく、元主治医は私の体調なんてお構いなしに
てきとーに点滴をして頭が痛かったからロキソニンと胃薬のムコスタと
精神を安定させるためだったのか断薬したコンスタンをその場で服用させておしまい。
身体の痛みやらなんやらは自分の管轄外だって。
その時言われた言葉で覚えているのが
「うつの人はよく身体の痛みを訴えるからそれじゃないか」
専門家の答えになってませんが。
それから数週間後の5月半ばを最後に病院には行かなくなった。
正確には自力で行ける状況ではなくなったから。
症状も状況も酷過ぎて外出が困難になったし。
しかしさ、コンスタンを飲まなきゃならなかった状況には悔しかった。
たった1錠だけど再服薬。
拒むと何かされそうで怖くて飲んでしまったんだよ、このヘタレ(笑)
で
痛みが軽減した訳でもなく何にも変わらない日々を翌日からまた過ごした。
痛む場所を自分で指圧しすぎて酷いアザだらけにもなったよな~
ゴールデンウィークから夏休みが終わるまでの4カ月がホントに死闘だった。
よく生きてたわ(笑)
あの頃の息子の頑張りと苦悩には頭が下がる。
私より辛かっただろうな。
息子の足手まといになりたくなくて死にたかった自分を
足手まといになりたくないから生きる自分に変えたのもあの頃。
完全断薬してからも確かにキツいけど
あの頃のボロボロだった自分と比べたら回復はしてるんだって分かる。
でもあの頃から普通のフリをしてきたから疲れは相当たまってるよね~
息子以外に頼る人がいなかったから普通のフリをしなきゃ生きていけないさ。
今後遺症で残ってる症状は1年前には無かったものばかり。
目の症状だけかな?
だから離脱症状で消える症状はあるってことだね。
その代わり後遺症で残る可能性もある。
これはまた時間が過ぎないと分からないから仕方ない。
脳神経に作用する薬を飲んできてしまったんだから。
そして自分の意思でやめたんだから。
回想終わり(笑)
また思い出して気付いた事があったら記事にします。
離脱症状には時間薬ってやっぱりありますね。
少し元気になったから夕飯作ろ。
食べなきゃ明日からのスタミナがつかないわ(笑)