しおんの日々徒然

~向精神薬から完全離脱するまでの日々の記録~

母のその後

2012-04-05 07:19:54 | 薬害
引越しが決まったのは母が精神科病院閉鎖病棟入院してしばらくしてから。

なので同時進行で母の件も動いてました。

身寄りが無いので母の身元引き受け人は自治体の福祉課です。

身内であっても私や親戚は引き取れないので自治体に任せるしかない。

入院先に電話で問い合わせても、看護師に閉鎖病棟での様子はどの患者さんの家族にも口外できないと言われ、面会するには病院のケースワーカーと面談して医師の許可を取ってからと言われました。

当然ですよね。
人権侵害のような行為が行われているんですから。



なので精神科で母がどんな病名をつけられどんな生活をしているのか、今後どんな流れで福祉課は対応するのかなど、担当者と連絡を取り合っていました。

入院先の医師からの入院に伴う『意見書』というものを病院は自治体に提出するのですが、1ヶ月以上待たされました。

何故それほど時間がかかるのか解りません。
一般的な病気での入院でも同じなのか調べてみようと思います。

先月末、ようやく担当者から意見書の回答が来た事を知らされました。

母の病名は『認知症』だそうです。

友人から聞いていた行動
と副作用や離脱症状を疑わない医師の見解なら妥当な病名で、身寄りが無く福祉制度を死ぬまで受ける母ですから病院側からすればいい顧客ができた訳です。

それは1つの事実として置いておくとして、私の中に沸いてる問題を書いておきます。



認知症との診断に至る前に通院していた総合病院には精神科はない。

母は不眠の訴えから睡眠薬を処方されていた。

処方していたのは循環器科の主治医。

私が調べて知る限り、母には去年1年で睡眠薬だけに止まらず抗うつ剤のssri、統合失調症のメジャートランキライザー、抗不安剤のベンゾジアゼピンを多剤処方をされていました。

入院した当初担当していた看護師から処方箋を聞いたので薬の内容は控えてあります。

その薬の組み合わせはかなり危険なものなのですが、循環器科の医師は何故その処方をしたのか疑問です。

閉鎖病棟に入院するに至るまで、散々救急車を呼び身体の不調を訴えても帰され、去年の暮れに入院した際に頻発した異常行動が手に負えず、母は強制退院させられました。

書ききれない話もまだまだありますが、精神薬の薬害を知る私としてはただの認知症だなんて思えません。

1年で精神が崩壊するほどの別人になってますから。
そこには向精神薬の多剤処方という事実があります。

現在の入院先でどんな治療がされているのか、解り次第記事に上げていきます。

幼い頃の体験から確執があり私は母を許す気はないし、こんな人生になった責任は母にあると思うけれど、薬害被害としての記録だけは残します。

これは私の薬害経験に加えて親の老いと向き合う年齢になったからできること。



精神薬に限らず、投薬による医原性の疾病がある事をもっと早く認識していたら…と思う方もたくさんいるんじゃないかと最近は考えています。