昨日は、変な疲れ方をし、昼寝も寝苦しい状態でした。
やや寝つきが悪かったので、久しぶりに睡眠薬アモバンを飲んだら、ぐっすりは寝れたけど、朝が残ってしまう。
背筋痛は軽くならず、これは整体にでも行こうかな?と考えるものです。
うつ病をカテゴリーにしたブログにたびたびお邪魔することがあります。
社会が非常に歪んでいる、そういうことが人の心に重くのしかかっている・・・そんなことが多いのに気づきます。
このようなことが社会現象にならなかったときは、例えば、過労ですら、言いがかり的に捉えられていたことがあります。
過去に働いていた会社で、過労死はあったし、自殺もありました。うつや蒸発もありました。
悪い企業の場合、サボリ癖にしか見ませんが、問題が起きると、経営者以下、徹底的にしごかれますから、中堅以下の我々は、だから、日頃から言ってるだろうに!と反体制派に回るものでした(爆)
うつに陥る原因が雇用起因であるかどうかなどって、正直微妙な点もあるとお考えの人、たくさんいると思います。
でもね、これだけならば、深刻にならないことってあると思うんですね。これが中心存在で、複数の関連性のあるものを引き込む。だから、それが固まって本人に降りかかる。だから、主たる原因かどうかはケースバイケースであっても、少なからず、本人がそうだと主張していれば、そうであるのでしょう。そう思う(なんか変だな 笑)
昨日もブログを見ていて、やはり偏見で見られることってまだまだ多いんだな~と思うものです。
先日病院へ行くものの、最近の小雑誌は、さらに受け入れやすいように解りやすく書いてあるもので、それらの症状には当然にあって当たり前のような触れ方ですね。そうなんです。それでいいのです。
差別用語で「気ちがい」というのがあります。気が違うこと。平たく言えば。でも、気が「違くない人」ってどういう人?
基準なんかありません。
要は、心や頭が病んでいれば、それはかつてはそのような差別語をつかわれていたものです。
今は、それをもう少し噛み砕いていますね?
気が「違う」・・・違うというのはマイナス用語かもしれない。でもなんで、気「ちがい」がとても差別的に見えるのでしょうかね?
ちょっと心や頭に風邪をひいた状態と変らないもの・・・それをかつては医学的根拠や社会のちがいにより、それが疾患というものにまとめられなかったんでしょう。
金縛りがよい例です。内科に行ってもバカにされました。「ウチは霊能ではない」とか「あなたには霊がいない」とか・・。
睡眠時無呼吸症候群の検査の時、運良く?金縛りに掛かりました。その時の呼吸の乱れ、停止は、そのグラフがわからない私でも、変なことに気付きます。
一晩に84回停止、そして、その金縛りにあった午前3時ごろ、2分30秒クラスの停止が数回あったようで・・・。
これを40年近くも悩み続け、睡眠時無呼吸症候群と関連しているような見方をされ、以後、機械をつけて寝る生活になっていますが、これをつけての金縛りは殆どなくなりました。40年近くも苦しんでいたのに。
このように、自分だけが変だ?と思うものは、変には違いないのです。
もし、私がこのまま何もしなかったら、もっと深刻だったかも?と医者には言われたことあります。
精神疾患と呼吸器疾患のハザマになるので、心療内科でも診れるようですが、機械のリースの関係で、ここの部分は呼吸器科で診て貰ってます。
このような状態は、他人からは変と思われるかもしれませんが、そういうのは誰でもあるはずだと考えるものです。
それを認めるか否かは自分次第。
今日は、何か薬が残っているような感じだ。
ボチボチ仕事はするものの、あまり真剣に出来ない。仕方ないか~~~
やや寝つきが悪かったので、久しぶりに睡眠薬アモバンを飲んだら、ぐっすりは寝れたけど、朝が残ってしまう。
背筋痛は軽くならず、これは整体にでも行こうかな?と考えるものです。
うつ病をカテゴリーにしたブログにたびたびお邪魔することがあります。
社会が非常に歪んでいる、そういうことが人の心に重くのしかかっている・・・そんなことが多いのに気づきます。
このようなことが社会現象にならなかったときは、例えば、過労ですら、言いがかり的に捉えられていたことがあります。
過去に働いていた会社で、過労死はあったし、自殺もありました。うつや蒸発もありました。
悪い企業の場合、サボリ癖にしか見ませんが、問題が起きると、経営者以下、徹底的にしごかれますから、中堅以下の我々は、だから、日頃から言ってるだろうに!と反体制派に回るものでした(爆)
うつに陥る原因が雇用起因であるかどうかなどって、正直微妙な点もあるとお考えの人、たくさんいると思います。
でもね、これだけならば、深刻にならないことってあると思うんですね。これが中心存在で、複数の関連性のあるものを引き込む。だから、それが固まって本人に降りかかる。だから、主たる原因かどうかはケースバイケースであっても、少なからず、本人がそうだと主張していれば、そうであるのでしょう。そう思う(なんか変だな 笑)
昨日もブログを見ていて、やはり偏見で見られることってまだまだ多いんだな~と思うものです。
先日病院へ行くものの、最近の小雑誌は、さらに受け入れやすいように解りやすく書いてあるもので、それらの症状には当然にあって当たり前のような触れ方ですね。そうなんです。それでいいのです。
差別用語で「気ちがい」というのがあります。気が違うこと。平たく言えば。でも、気が「違くない人」ってどういう人?
基準なんかありません。
要は、心や頭が病んでいれば、それはかつてはそのような差別語をつかわれていたものです。
今は、それをもう少し噛み砕いていますね?
気が「違う」・・・違うというのはマイナス用語かもしれない。でもなんで、気「ちがい」がとても差別的に見えるのでしょうかね?
ちょっと心や頭に風邪をひいた状態と変らないもの・・・それをかつては医学的根拠や社会のちがいにより、それが疾患というものにまとめられなかったんでしょう。
金縛りがよい例です。内科に行ってもバカにされました。「ウチは霊能ではない」とか「あなたには霊がいない」とか・・。
睡眠時無呼吸症候群の検査の時、運良く?金縛りに掛かりました。その時の呼吸の乱れ、停止は、そのグラフがわからない私でも、変なことに気付きます。
一晩に84回停止、そして、その金縛りにあった午前3時ごろ、2分30秒クラスの停止が数回あったようで・・・。
これを40年近くも悩み続け、睡眠時無呼吸症候群と関連しているような見方をされ、以後、機械をつけて寝る生活になっていますが、これをつけての金縛りは殆どなくなりました。40年近くも苦しんでいたのに。
このように、自分だけが変だ?と思うものは、変には違いないのです。
もし、私がこのまま何もしなかったら、もっと深刻だったかも?と医者には言われたことあります。
精神疾患と呼吸器疾患のハザマになるので、心療内科でも診れるようですが、機械のリースの関係で、ここの部分は呼吸器科で診て貰ってます。
このような状態は、他人からは変と思われるかもしれませんが、そういうのは誰でもあるはずだと考えるものです。
それを認めるか否かは自分次第。
今日は、何か薬が残っているような感じだ。
ボチボチ仕事はするものの、あまり真剣に出来ない。仕方ないか~~~