雨が降っての涼しさ、湿気を感じるが、それでも酷暑からの解放感はある。
夏バテもそうだが帯状疱疹は要らない要件だ。
ここ数日で随分よくなったが、健康を感じるほどではない。
人間、不調には色んなファクターがあります。多くは色んなものの集合体だと思うんですね。
そして、一つづつに意味があるもので、それが残り、本当の集合体になると、漠然とした憂鬱感のようなものにまとまる。
そういう時は自分を見つめる余裕などありません。
作ろうとしても作れません。そこで、もし、何かに「気づく」チャンスがあれば、違うんでしょうが。
そこで、自分はゲシュタルトの「今ーここ」というものに出会います。
この分析により、自我状態が解ることがあり、そこで、自分的に解決できることに気づくことが多くなりあmした。
自分はまだまだ鬱はあり、服用もしています。
非常に悪かった15~17年前、10~12年前、4~5年前を思うと、その時の自分は、世捨て人そのもの。
強い自殺願望や、大きな自己否定、重くない日はない。毎日が辛かった。何もしたくない。
それはどんなにあがいても治療や運動をしても大した改善が無く、毎日のように「死」に関するコンテンツを読んだりね。
このブログでも、当初書き込みなどで、自分以上の苦しみを持つ人とも出会っています。自分なんか甘いと思うものの、しかし、その辛さが他人には表現できず、苦しむ毎日。倦怠感、絶望感、孤独感。今の比ではないほどのもので、しかし、自分は友人が多く、向き合ってくれる人も現れました。
カウンセラーを紹介され、そこにたどり着いたのは「ゲシュタルト療法」。
ここから、改善の兆しが出ました。5年前ですね。
その後、発達障害があることを見つめなおし、ADDの本を読んだのもきっかけ。
コロナの時代は、ADHDと向き合い、これは大きな変化がありました。
気づくということすらもできない抑うつ状態。一つでいい、何かに気づくことがあれば、変わるものかもしれません。
挫折感は小さくなるものの、まだ、気に入らない毎日ですが、調子が上がらないとき、本当に辛かった時を思い出すと、落ち付くこともあります。そこまで行くのが大変ですが。
冒頭に漠然とした憂鬱と言う表現を使いましたが、所謂、「もやもや」みたいのが、最初の要因だと思うんですね。
底を見逃さず、またそのさいに自分を見失わなければ、大きな集合体にはならないのかな。
不調な時、それが「続く」ならば、それは自分に対しての信号。心身が悲鳴をあげています。
自分をケアできる「僅かな」時間でも欲しいものです。
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