読みましたよ、これ。
ゆっくり読書する時間もないので、走り読みですけど。
詳しくは心と器シリーズで書く事にしますが、とりあえず今日は感想のみ。
斜めから(笑)の感想は・・・。
昨今の心の病の急増や、この本のタイトルでもある「うつと言いたがる人たち」を量産した原因は、
心の問題にまで、細かく症状や病状の命名をし過ぎ!
という事!
それによって、「ああ、私は病気だ」という気分になり、更に悪循環を招いているという事。
身体的軽症なら病院には行かないでしょう?
どういう事かというと、
仮に、どこか軽~く机にぶつけたとしましょう。(例えば 肘)
そんなのでイチイチ病院行きませんよね~?
でも、仮に行ったとしましょうよ。
そしたらどうですか?
医者は「そんなの痛いの痛いの飛んでけ~!ってやったら終わりです、その程度で病院に来ないで下さい」とは言いませんよね?
痛い痛いと訴えれば、「ああ、そうですか、では湿布を出しておきましょう」となるでしょう。
更に、診断書を書いて下さいと言えば、
「どこどこ部位の打撲で1週間の治療を要す」とか?出るでしょうね。
でも、行きますかぁ~~~? 軽くぶつけた位で、病院に!?
普通行かないでしょう!?
しかし、それが精神科・心療内科(心の病)の世界では
起きてるって事です!
普通なら「行かない程度の身体的疾患」でも、心の問題となると、
「ああ、私は病気かも」とか、「どこか心のバランスが崩れてるのかも」とかでね、
ストレス社会の背景を理由(いい様に利用して)に、
病院にかかりたがるって事。
身体的に言えば肘をぶつけた程度の精神疾患でも、本人が辛い辛いと訴えれば、
うつ病でないにしても、診断書を下さいとなれば、
「精神衰弱状態で2週間の安静を要する」となってしまうんですよ!
すると、「あ、私はやっぱり病気だったんだ」
「休職願い出してリフレッシュしよう!」ってね・・・ (ぶん殴るぞっ!)
昨今の「うつ病ブーム」で、なんでも「心の病気」と言えば「許してもらえる社会」(大目にみてもらえる社会)を逆手に取り、
「私はうつ」と言いたがる人たちは、
精神医療の発展(活況)による、過度に医療の範囲と考えてしまう医者側にも大いに責任があると、私は強く思う。
(仕事だからしょうがないんだろうけど)
ストレス社会と言われて久しいけれど、
ストレスなんて、昔の方がずっと多かったに違いない。
なんでもかんでも「ストレス性なんとか」と、ストレスを原因としてしまうから、病気は増える一方になる訳で、
肘をぶつけた程度でストレスと感じてしまう「脆い精神」しか持ってないのが原因である事を誰も言わない、言う方が悪いとされる社会構造になりつつある事こそが最大の原因だ。
転んですり傷ができた?
そんなのツバつけとけ! というように、
ストレスで疲れてます?
そんなのは皆同じだ!お前だけじゃない!それで耐えれない程のダメージを受けるお前が弱すぎる!小学校からやり直して来い!
と、社会全体がそういう教育をしてこなかった年代から、心の病的疾患は増えているに違いない。
そういう社会を再興しなければ、精神疾患の診断書は増え続けるだろう・・・。
しかし、言いたがる人たちによる最大の被害者は本当のうつ病で必死で闘病している人達である。
以下、重要な小タイトルを抜粋
○うつ病セレブの犠牲で過労に倒れる
○マイナス要素で注目や同情を得たい
○安易に診断書を出す医師にも問題が
○「治療が必要なうつ病」はそれほど増えてない?
○「うつ病=ストレス」は単純すぎる
○うつ病社員のわがままを誰も責められない
○異動希望をかなえるうつ病の”無意識的利用”
「読んで損になる本ではないよ」
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