ぼくは60代半ばを過ぎた今でも、ソングライターや詩人になるという夢を追っている。高校の頃に初めてその夢を持ってから、もう50年が過ぎている。
最初の頃こそ、いつか飽きるだろうと思っていたが、何かの折にふと言葉が浮かぶような体験をしたり、そういう体験から生まれた作品が増えるにつれ、その夢を持ち続けようと思うようになった。とはいえ、若い頃は、それを口に出して言ったり、書いたりすることに抵抗を持っていた。
ぼくが23歳の頃、まだ社会に出たばかりの頃の話だが、上司から「おまえ、夢はあるか?」と聞かれたことがある。
その時ぼくは「ありますよ」と答えた。
「ふーん、どんな夢か?」
「はい、ソングライターとか詩人になりたいと思っています」
それを聞いた上司は、人をバカにしたような口調で言った。
「おまえなあ、いつまでも学生じゃないんだから、そんなバカな夢は捨ててしまえ」
ぼくは、上司が「夢を言え」と言うから言ったまでである。その答が自分の気に入らないものだからと言って、人をバカにすることはないではないか。ということで、それ以来ぼくは夢を口にすることはなくなったのだ。
それに伴い、履歴書や会社に提出する自己申告書にも、趣味や特技の欄に作詞・作曲などということは書かなくなった。そういうことを書いたりすると、前の上司のようにバカにされるか、「こいつ、変わり者だな」という目で見られると思ったからだ。
ところが、こういうブログを始めてから、
「夢はオープンなほうがいい。内に秘めるよりも、ずっと明るい。これまで、夢を遮っていたものは、実は『口にしない』、つまり『内に秘める』というぼくの姿勢にあったのではないか。オープンにすることで、夢は実現するかもしれん」と思うようになり、以来、夢を人に語ったり、書いたりするようになったのだった。
夢を口にするようになってからのことだが、ある人から
「あんた、夢見る馬鹿やね」と言われたことがある。
「夢見る馬鹿」、チューリップの『夕陽を追いかけて』(名曲です!)という歌の中にある言葉だ。その人は、ぼくと同世代の人だった。おそらくそこから引用したのだろう。
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朝の詩