ぼくは小学校に上がる前から、よく人から「変わってる」と言われてきた。最初は否定していたのだが、あまりに言われ続けてきたので、自分でもその気になっていた。
ところが、ホームページを始めてから、その考えが少しずつ変化してきたのだ。日記を読んだ人から、
「そういうふうに考えることある」
「そういう行動とることある」
などと言われると、
「おれ、わりとまともやん」
などと思い、嬉しくなってくる。
とはいえ、『まとも』を認めてしまうと、『ただのおっさん』に陥ってしまうような気がする。複雑な心境である。
ところが、ホームページを始めてから、その考えが少しずつ変化してきたのだ。日記を読んだ人から、
「そういうふうに考えることある」
「そういう行動とることある」
などと言われると、
「おれ、わりとまともやん」
などと思い、嬉しくなってくる。
とはいえ、『まとも』を認めてしまうと、『ただのおっさん』に陥ってしまうような気がする。複雑な心境である。
上の記事は、20年前に書いたものだ。
「変わってるね」
この言葉、小さな頃から何百回、何千回言われてきただろう。変わっていると言われても、ぼくにとってそれが普通なので、どこが変わっているのかわからなかった。そこでいつも
「あんたの方が変わっとるやん」と返していた。
今は『個性』という括りで受入れるのだろうが、当時は『変人』括りでなかなか受入れてもらえなかったのだ。
ぼくが『変わってる』を受入れるようになったのは高校時代だ。ボブ・ディランやジョン・レノンもそう言われてきたと知ったからで、その頃から『変わってる』は誇らしいことではないのかと思うようになった。
時代が『個性』という言葉を尊重するようになったのもその時期からだったと思う。
その頃から周囲に奇をてらう人間が増えてきた。「変わってる」と認めてもらいたかったのか、妙な格好をしたり、わけのわからない言動をとったりするのだ。
「変わってる」と言われ続けてきたぼくには、元々変わってる人なのか、そうでない人なのかが何となくわかった。そうでない人の言動は痛々しかった。人と逆の言動をとっているだけなのだ。
しかし、それまでぼくのことを、散々「変わってる」と言っていた人間が、変わったふりをしているのを見た時は驚いたものだ。その時その男はぼくに、
「これからは個性の時代だ」などとのたまっておりました。