津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■熊本県立図書館蔵資料「藻塩草」--3(巻38~45)

2014-10-25 08:13:36 | 史料

    

     「藻塩草 巻38」・・不明

     「藻塩草 巻39」

1 七百町御開之事
2 斎護公御家督一件
3 平重盛の成行
4 天保六年六月頭々え内密に被仰出御書付
5 藪市太郎意見書
6 武芸師役え封物之儀に付学監より被相渡候書付
7 御鉄炮頭より長岡助左衛門殿え相達候書付
8 御格之事
9 陣具積之書
10 安永八年大工日雇等の手間銀御定
11 肥後國五ヶ庄由来并図
12 大塚退野先生書状数通
13 竹原玄路詠哥
14 大塩平八郎列人相書
15 肥後那須 (西遊記)
16 宇津木敬次一件
17 古今見聞
18 新井白石与長田氏書
19 木下八之丞為人の事
20 大塔物語
21 本妙寺碑銘
22 松尾丈右衛門咄覚書

     「藻塩草 写 巻40」

1 御軍役帳
2 本藩官職統領指掌図
3 八代家中役附
4 幽斎公吉田御亭
5 再春館壁書
6 白銀御屋敷表御門
7 光尚公御在府上下御屋敷御人数
8 重賢公を公儀より被賞
9 再春館より沙汰之書付并医術吟味より之書付
10 堀殿上書
11 山城國勝竜寺
12 佐渡殿何之書付
13 追廻之田
14 御國中寺社数之覚
15 寛永二十年正月御禮之次第
16 大佛といふに付狂歌
17 隠居の事
18 太閤幽斉公よしの山にて御詠歌
19 綱利公御代江戸より之紙面
20 道中筋之儀に付被仰渡之書付
21 出火之節儀に付監物殿より御渡之書付
22 札替の事

     「藻塩草 巻41」

1 有馬御陣御側御備之次第
2 肥後守様御附之衆
3 有馬御陣之時地図
4 陣佐左衛門事
5 忠利公本妙寺御猪狩
6 松井家旧記之内書抜
7 輝経様御系図
8 御家中免差物之帳
9 忠利公御夢想并宮内藤崎社にて藤の連歌
10 三斎公八代にて被仰出
11 三斎公刀脇差御拵之寸法
12 孕石源左衛門監物殿え遺言
13 幽斎公足利将軍江御勤之時初の御身代
14 三斎公大坂陳之時御紙面
15 幽斎公御養子之一件
16 三斎公御指刺
17 居物斬りの起り (賎の折紫)
18 諦観公御道中御指料
19 御家御格
20 刀脇差御制法
21 護成公明治二十九年御内家中え被仰出候御書付
22 大草氏問合之書付
23 政府ヨリ被渡忠孝之者之行状抜紙写
24 肥陽秘翰抜書
25 伊津野屋長左衛門指出
26 御代々様御詩哥
27 肥後国天正後之沿革其他稜々
28 明暦三丁酉正月江戸大火之事
29 綱利公御幼年御美事 (賎が折紫)
30 三斎公途中眞田え御行逢之事 (古老申傳)
31 忠利公茶之湯御上達 (賎が折紫)
32 竹原勘十郎紙面
33 物々念之入いらんの事
34 農夫庄助 (六諭衍義)
35 佛佐吉 (六諭衍義)
36 馬郎孫兵衛
37 乞食八兵衛
38 八犬島の爲朝之子孫
39 南郭翁のかな文
40 明治四年護久公御直書
41 護久公御直書を以御家中迄被仰出之御書付
42 朝廷より被仰出候儀を御家中に御志めしの御書付
43 義僕元助並岡三郎事 (堀内伝右衛門覚書)
44 間十次郎妻の事 (介石記)
45 平清盛菊池郡之東福寺江願出
46 重盛宗盛同寺へ願書
47 頼朝同郡之圓通寺江願書

     「藻塩草 巻42」

1 時習館学規科條大意
2 稲津弥右衛門差出候書付
3 草嶋瀬左衛門指出候由緒書之内抜書 御雑記
4 伊藤家伝来之記録其外稜々之書付
5 志水宗加覚書 御雑記
6 忠利公御定之覚 雑記
7 宝暦五年肥後国洪水ニ付御達之扣 御蔵雑記
8 杉本院事跡 閑餘漫録
9 阿蘇大宮司一件
10 内膳殿家来私慾ニ付御仕置
11 犬追物同門申談之規條
12 長命成る家筋は日灸の事 雑記
13 島又左衛門改革の節御觸達 賎が折柴
14 不破萬平力量 賎が折柴
15 御家老誹の落歌 賎が折柴
16 蒲池喜左衛門利發 賎が折柴
17 薮市太郎廉直 賎が折柴
18 薮市太郎槍を立る事 賎が折柴
19 上州沼田の遊女詠哥 寛延奇談
20 遊女の貞操 閑餘漫録
21 御奉行所日記
22 婦久遍の賛
23 豆腐の賛
24 扇の賛
25 寝覚のたい言
26 津なみのいしふみ
27 澤村大学紙面のうち
28 市橋下総守殿きまゝ 専斉覚書
29 明智光秀殿名言 専斉覚書
30 米田志水聟舅問答 志水健蔵物語
31 井戸亀右衛門古主
32 丹後国九分明
33 玄番様と志水伯耆刀之長短之論
34 芦九大夫
35 霊感院様權威大臣御ひしき
36 長岡主水家格
37 川尻川塘
38 蒲生源左衛門言上
39 荒井平兵衛門觸出し 賎が折柴
40 粟田口善甫手取之釜 賎が折柴
41 図書集成の序の話 賎が折柴
42 古哥の徳 賎が折柴
43 女子もてあそぶはこ板羽子の訳 近代公実巌秘録
44 鞍の前輪に手形 続武家閑談記
45 肩衣
46 竹束
47 乳付旗 軍器要法
48 陳太鼓 軍器要法
49 澁団扇賛辞
50 詠豆腐
51 復古の医 閑散餘録
52 名家の争い 閑散餘録
53 正木大膳心懸 賎が折柴
54 徳川家宣公遺書
55 水野十郎左衛門沢庵和尚と問答 閑窓雑話
56 幸若大夫先祖并家来は終に書置 諸家高名記
57 恩地右近太郎遺言 三楠実録
58 詠月三十題
59 雷死跡之心得 醍醐随筆
60 幻夢雑記 雑花錦語集
61 摺子木銘 雑花錦語集
62 猫恋箴
63 飛登利古登 雑花錦語集
64 浄留理名寄を布美 雑花錦語集
65 乃美略系
66 菅屋略系
67 天草一党
68 畠山重忠名言 梅園叢書
69 三人の気質 新體読本
70 嶋屋日記抜書
71 女子の学問
72 相良侯米良領現高
73 平野屋七郎右衛門一件
74 朝鮮假名并唐土以呂波
75 宝暦五年寺院御觸
76 寛永八年在々之高札
77 同年熊本觸状
78 鈴木三郎紙面
79 怪異
80 金澤八木
81 備前少将御息御戒
82 岡田安房道春に問 雑花錦語集
83 小雪の哥并鎌倉聚落小唄 南畝莠言
84 物の理
85 女子に諭すの五ヶ条
86 桃井幸若の家系

     「藻塩草 写 巻43」

1 嶋津家伝
2 和仁軍談
3 和仁落城之覺并鍋島年譜の内抜書
4 合志源内事
5 鶴崎合戦記并鶴崎之事跡
6 赤星崩記并鍋島年譜之内加江置
7 霜野物語
8 小代家舊記 本書無題号
9 光永家伝
10 筑後五條家舊記
11 合志家之事
12 鬼神太夫行平太刀
13 合志家守本尊 肥後古記集覧
14 延寿国村作之九寸五分 肥後古記集覧
15 横手村五郎事 肥後古記集覧
16 緑約揚枝并符号 肥後古記集覧
17 託麻文書
18 阿蘇惟澄申状
19 野間勘之允が事 肥後古記集覧
20 神龍山碧岩寺 古記集覧
21 佐野の渡同船橋 肥後古記集覧
22 帆干御崎
23 豊後代官所百姓騒動 寛延奇談

24 神武天皇陵 熊風土記
25 ロシ草葺不合尊の陵 肥後國名勝私記

      「藻塩草 写 巻44」

1 八代略記
2 八代郡内略記 雑華錦語集
3 上下益城記
4 田舎一休狂歌噺
5 合志郡瀬田井手由来 菊池正観寺古書之写
6 長岡監物殿宮本伊織取遣紙面之写
7 十代十輪桃花の開と云事
8 趙鳳伝奕佛舎利を砕く事
9 大和吉野の如意輪寺
10 紀井国高野山朝鮮役士之碑
11 丹波國大江山願書
12 赤膚山絶頂一覧十八景 但し今は世上に祇園山と云
13 川越名号略縁記
14 夢窓國師足利尊氏に教訓十三ヶ條
15 聟に水をかくる事 雑花錦語集
16 小田原陳之節之小唄
17 桜間門理角力願候付而世上取はやしの事付
18 芝居之様子私へ御尋被遊候よしにておふせきけられ奉畏候則左に申上候
19 小哥よせ文
20 宇土郡三角浦名所の由来
21 肥後の國三宝嶽二本の杉を見て
22 丹波みやげ大江山の次第 雑花錦語集
23 瞽者之略書
24 相達候書付
25 妙解院様御代仲間江被仰渡候趣
26 水野河内守井上筑後守秋山修理柳生但馬守四人に被仰付條々
27 古書之抜書
28 御くら馬場に住ける老女の菓子おくらんと約せしに其事なかりければ申遣しけ
29 初市賦
30 事に望ていかにも静に考へき事 見聞雑記
31 上古名人深嗜其道事
32 安藤伊賀守殿誠心
33 翠済院三日用養生書
34 養生の和歌
35 武田信玄罪人を征伐
36 備前之新太郎少将心を改られし事
37 高井助十郎追首
38 賣僧を恥しめ母の愁を解し事
39 山中鹿之助武辺談判之事
40 落合門八迄組之名前御尋之事
41 後藤先祖附
42 満仲の舞
43 静の墓 牛馬問
44 蓮の葉の銭 肥後國志
45 伏見之御城山二王并二王門多宝塔 諸家深秘録
46 奥州仙台米始而江戸江廻る并代価 諸家深秘録
47 世に伊達者と言ふ事

     「藻塩草 巻45」

1 立花允主島原の御働 (賎が折柴)
2 忠利公御行事二件 (賎が折柴)
3 忠利公より光尚公え参らせらる御消息二件 (賎が折柴)
4 同公御倹素 (賎が折柴)
5 長岡佐渡直課付清光院殿御文 (賎が折柴)
6 中山市之進江被仰渡御辞令 (賎が折柴)
7 山本三郎右衛門高名 (賎が折柴)
8 浮藻の間者 (賎が折柴)
9 御知行取病死開新立山の事 (賎が折柴)
10 阿蘇大宮司より差出し候御書付 (賎が折柴)
11 阿蘇社領の覚 (賎が折柴)
12 阿蘇山宝珠之事 (賎が折柴)
13 黒田長政ひそふの刀 (賎が折柴)
14 忍学十二ヶ條 (賎が折柴)
15 他国之女出候御法の事 (賎が折柴)
16 公義より御預人 (賎が折柴)
17 御法式の事
18 道中筋心得被仰渡之覚
19 江戸詰中心得之御達
20 旅篭屋仕置の事
21 傾城屋仕置
22 町人作法仕置之事
23 町人女房敷銀の事
24 御域内出入御門札
25 御侍家来手討等の事
26 軍用覚悟
27 早使之節前以心得之事
28 菊池武重壁書 (賎が折柴)
29 澤田次郎助妻 (賎が折柴)
30 大阪町人米銭取扱の修行 (賎が折柴)
31 足半便利并大木家の枕之事 (賎が折柴)
32 敵の手負を追討ざる (賎が折柴)
33 小早川隆景一戦の事
34 覚悟のすわり
35 武士の天職本分 (賎が折柴)
36 横須賀源五郎見切 (賎が折柴)
37 馬の口取様
38 備中侯掟 (堀内旦夕覚書)
39 薩州侯御制 (賎が折柴)
40 浅野侯御書出之末被仰渡候趣 (賎が折柴)
41 肥前候被仰出 (賎が折柴)
42 柳川侯御書 (賎が折柴)
43 水戸光國卿義譲 (西山遺事)
44 薩州候聴訟 (賎が折柴)
45 肥前侯被仰出 (賎が折柴)
46 中川侯被仰出 (賎が折柴)
47 米澤侯の徳澤 (賎が折柴)
48 小濱侯の表忠 (諸候賢侯録)
49 紀州侯の省畧并徳化詠哥
50 備前侯善言
51 家光公質素と業奢美
52 霊感院様御仁恵
53 銀台遺事拾遺抜録
54 霊感院様御質素
55 同公本末不乱
56 三斎公大阪陳戦功御僉議
57 明石掃部忠義
58 斎護公さけ等集に御席
59 蒲生氏郷一番首の争を止給ふ
60 豊公織田蒲生を評せられし話 (修身事実録)
61 巌島之大願寺之安国寺恵瓊よりおくれる書翰 (巌島図会)
62 西川先祖附畧并秀吉公忠興公よりの御感状
63 忠興公始て豊前御入國老臣共へ被仰聞候事
64 中山備前守遺言 (和説苑)
65 藤孝公信長公江御諌言 (和説苑)
66 黒田如水老息長政江異見二ヶ条 (和説苑)
67 蒲生氏郷名言 (和説苑)
68 忠利公御美事 (和説苑)
69 池田光政壁書 (和説苑)
70 細川蒲生両御家来寄り合咄 (鷺絵源三郎久重覚書)
71 符字 (提醐紀談)
72 江州にて武備百人首 (江源武鑑)
73 森正助義死 (嶋津家朝鮮征伐聞書)
74 忠利公被仰出御條目
75 三家衆御郡奉行御触
76 忠利公有馬左衛門佐殿への御書の内抜書 (北岡御邸雑記)
77 澤庵馬場勝之助を諭教す (和説苑)
78 忠利公御書并三代将軍御旗本へ被仰出候儀に付御添書其外御書数通
79 松井へ米田よりの紙面 (北岡御邸雑記)
80 筑前学業院跡 (筑前國続風土記)
81 菊池孔子堂 (菊池風土記)
82 足利学校 (提醐紀談)
83 金澤文庫旧址 (江戸名所図会)
84 講堂時習館并再春館 (肥後物語)
85 足利学校易の事

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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■「旦夕覺書」--風・14

2014-10-25 07:09:18 | 史料

 綱利の長女・光姫の祝言の模様が詳しい。光姫の生母は水戸頼房女・本源院であるがこの時期既に亡い。兄でもある高松藩主・松平頼重の養女として綱利に嫁した。
水戸光圀は兄にあたる。そんな姻戚関係がこの婚礼の儀式を華やかにしている。

                一、酒井左衛門尉様江光姫様御祝言の日は芝の御廣間御番にて詰居申候 拙者者四尺程間有之折節遠江様
                  被成御座候御敷臺の上左の方のぬくい板には蜂須賀飛騨守様御座候 皆共詰居候御廣間一間上に左京
                  太夫様・讃岐守様・刑部様御兄弟何も被成御座候 飛騨守殿夫御座候ては皆共是にありにくゝ御座候是
                  へと左京太夫御あいさつ被成候へは飛騨守様御手つかれ私儀は勝手に是か能御座候由御こしの御跡
                  より被成御座候筈故右の御挨拶と存候 しはらく仕候て 妙解(應)院様御出被遊御からかみを少御明け御
                  こし出候を御覧可被成と思召御右の方御覧被遊候へは御一門様方被成御座候故行列を見可申との御
                  意にて御急き飛騨守様被成御座候 向御右の方御玄關の戸を御とらへ御覧被成候内に御落涙を見申候
                  是は御前様被成御座候はゝと被思召たると奉存其儘落涙仕難儀を仕候 其前に承候へは奥にて御一
                  人の御世話と承及申候 扨亦其前に水戸様奥へ御出成光姫様御供に被召遣候女中何れも上中共に御
                  召出し御意被成候は何も女にても能承候へ右衛門尉は小身には候へとも先祖の武功により如此皆共
                  も安楽に被成御座候 越中殿は家も能大にて候 左衛門尉は小身にても右の通候間此趣を女にても能存
                  候て必々何事によらすせまきの廣きのと部屋々々の事にても不申様に心得候へと委細の御意と其前
                  承及ひたる衆何も扨々御大切思召如斯 御前様御存生ならはと拙者式迄奉存候故右の節落涙難儀い
                  たし候 唯今調候内にも其時同前に落涙仕候

                一、御前様は本源院様と申候 拙者初江戸一二度参候迄は火事にても 太守様御出被成たる儀無御座其刻
                  初て御行列と申事極り申候
                  御前様御行列も極り申候 其節は歩御使番にて御番仕居候處に田邊平助殿通り被申色付の間物頭衆居
                  申所にて咄被申候故能く承候 唯今安藤久左衛門・三野嘉右衛門方より御用有之間小姓頭共の内一人参
                  候へと申來候故罷越候へは今度差上候御行列付は御表より御極め候哉又は皆共打寄極め申候哉相尋
                  可申との御意と被申候故私共打寄相極申由申上候 しはらくにて両人罷出被申候は私共極申候はゝ御
                  好被成御座候御長刀の持所悪敷思召上候 御先へ参候儀御意に叶不申候 御輿の御右の方近くもたせ
                  可申宗に御座候 扨々御尤も至極に奉存候 皆共打寄極申候と申上候へは心付不申皆共と可被思召候無調
                  法千萬成儀乍迷惑扨も々々乍憚奉感候と神以落涙仕られ候 一座にて被承候衆同前に奉感被申候 拙者
                  もはるか次に居申候へ共落涙仕候 存出如是調置候 右の通の儀に御座候故御逝去の刻何れも侍中愁傷
                  不浅御座候 

                   

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■熊本県立図書館蔵資料「藻塩草」--2(巻18~37)

2014-10-24 13:30:23 | 史料

     「藻塩草 巻18」・・欠

     「藻塩草 巻19」

1 立花宗茂公島原落城一件御自筆之写
2 城戸左右兵衛覚書
3 渡辺半蔵武功之覚
4 理慶尼乃記 勝頼滅亡記
5 慶長五石田三成贈増田長盛書
6 志津ヶ嶽合戦小菅九兵衛覚書
7 見聞集書出

     「藻塩草 巻20」・・欠

     「藻塩草 巻21」

1 名物牒
2 岡崎五郎正宗博
3 明暦三年江戸御城にて御腰物焼失之扣
4 秀吉公御遺物
5 刀脇差之寸法
6 宮本武蔵脇差之中心

     「藻塩草 巻22」

1 刀劍録 青山延光
2 本阿弥家筋
3 清綱を仁王と云事 本阿弥伝説
4 後藤系初代祐乗精神
5 袋鎗之初り之事
6 諸国鍛治之歌
7 明称伝表之書
8 薩州波平之事 

     「藻塩草 巻23」・・欠

     「藻塩草 巻24」

1 並河聞書
2 中原雑記
3 薩摩兵乱記
4 竜造寺系図
5 大友略系
6 緒方略系
7 財津系譜
8 嶋津系譜 (加々見家々集録 錦嚢移文)
9 菅家須磨記
10 天満宮故実記抜書

     「藻塩草 巻25」
1 関ヶ原陳起る訳并蒲生氏郷歌 (武辺咄聞書)
2 亀井武蔵守日向国根白軍物語
3 早川助右衛門覚書并中村一忠物語 (武辺咄聞書)
4 摂州芥川讐討之談話并中瀬先祖附 (野藪談話)
5 成田助九郎物語
6 竹原清太夫聞書
7 藤堂家武功之覚
8 里見勘四郎敵討 (諸家陣秘録)
9 松木佐市敵討 (醍醐隋筆)
10 少年の敵討并雲洲之士詞之助太刀 (白川関礎録)
11 坂田忠左衛門書翰 (白川関礎録) (翁物語)
12 吉岡彦右衛門敵討

     「藻塩草 巻26」

1 横山藤左衛門覚書
2 松井康之碑文
3 大塚退野先生著述
4 湘山星移記
5 牛島、内田、田尻言付写并山上之名字之由来覚書
6 山上三名字傳

     「藻塩草 巻27」
1 祗園會之事
2 稲荷ノ神事ノ事 セキロ論
3 祗園宮縁起
4 両座記録書抜
5 両社新座年行司記録書抜并新座之系
6 寺本八左衛門河村猪右衛門を討果しの事
7 丹波亀之允言上之覚
8 欽古雑記
9 尾陽家訓
10 駒犬
11 弥五郎殿事
12 肥後国飽田郡八崎
13 藤崎宮社内鐘并火ノ王風ノ王水ノ仁王矢大臣獅子ノ作者
14 寛永九年細川公御領地男女惣人数

     「藻塩草 巻28」

1 眠り覚し
2 雑密覚
3 落書上達
4 近来八仙歌
5 頓田上書
6 天道革命論

     「藻塩草 巻29」

1 雑文庫
2 明ノ鄭芝龍の系
3 及聞雑録
4 士道要論
5 打出杭 見聞集書

     「藻塩草 巻30」・・欠

     「藻塩草 巻31」
1 肥陽府中記
2 鹿子木謙之助諸国遊覧記

     「藻塩草 巻32」

1 玉露證話

     「藻塩草 巻33」

1 霊感公御美事
2 霊感公御言行
3 霊感公御言行所により差出侯覚書
4 幽斉公三斎公御掟
5 明治十年護久公御直書
6 元録八年三月殉死之面々御改之節覚書
7 妙解院様御追腹之子孫
8 清光院様御附衆に被仰渡覚
9 堀平太左衛門家族之遺書

     「藻塩草 巻34」

1 清正公御軍記秘書
2 霊感公御著述
3 霊感公御連哥
4 堀平太左衛門勧稜之覚書
5 松井家記
6 泰勝公御譜考
7 三渕畧譜考同歴世畧譜抜書

     「藻塩草 巻35」・・欠

     「藻塩草 巻36」

1 泰勝寺記録抜書
2 泰宝丸之儀に付問合往復之書
3 公儀御軍役之事
4 忠利公御代御軍役御定
5 立允様有馬御武功於八代御僉儀
6 朱陵先生墓阡表
7 御家中武具之儀ニ付主水殿より相渡侯三通
8 明和年中御軍役御改正之覚
9 公儀学問御吟味人江被相渡手本
10 送榛山之浪花序
11 井門次郎右衛門之問合返答書
12 加来言右衛門家系并中沢一楽覚書
13 御一門衆より被差出侯書付扣
14 桂女由緒
15 開山泰岩御由緒年譜
16 西岸寺由緒
17 備前月並咄
18 畠山家系
19 大阪城中より蜂須賀家に夜討并米田家の事 錦考輯録
20 片岡源五衛門紙面 紫溟新報 明治二十年十月五日

     「藻塩草 巻37」
1 幽斎公御和歌
2 光尚公御筆之写
3 幽斎公御狂哥
4 忠興公御隠居の節御和歌
5 妙応院隆徳院様御筆
6 三斎公行孝公御歌集
7 天岸和尚御筆
8 妙應院様御筆
9 御國中地侍御郡筒之御帳
10 河喜多蔵本之抜書
11 入木道伝子
12 上杉治憲侯平州先生江の御紙面
13 沢村大学言上の覚
14 大阪江戸堀土佐堀添橋丁道空丁支配四丁倹約申定町人中連判帳控
15 享保年中諸觸状
16 光尚公御幼年御名言
17 竹原玄路書附
18 平野家より差出しに相成侯軸物
19 神尾宗是より平野殿江の書付
20 津田左内達書
21 御内家三味線御由来

 

 

 

 

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■百舌鳥の高鳴き

2014-10-24 07:38:43 | 徒然

 今朝の散歩で百舌鳥の高鳴きを聞いた。最近は日の出の時間が随分遅くなったので、散歩に出るころはやや薄暗い。そんな中であの独特の鳴き声である。
多いに縄張りを主張しているのであろう。行方を目で追ってみるが、眼鏡を掛けていない時の乱視の私にはとても判る筈もない。
気が付けば10月も後半になってきた。天は高く今朝はあまり雲も見えない。帰りつくころマンションの影から真っ赤な太陽が上がってきた。
初日の出ならずとも思わず手を合わせたくなる、自然の広大な恵みを感じる。あの百舌鳥の住処は何処なんだろうかとふと思った。 

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■百舌鳥の高鳴き

2014-10-24 07:24:57 | 徒然

 今朝の散歩で百舌鳥の高鳴きを聞いた。最近は日の出の時間が随分遅くなったので、散歩に出るころはやや薄暗い。そんな中であの独特の鳴き声である。
多いに縄張りを主張しているのであろう。行方を目で追ってみるが、眼鏡を掛けていない時の乱視の私にはとても判る筈もない。
気が付けば10月も後半になってきた。天は高く今朝はあまり雲も見えない。帰りつくころマンションの影から真っ赤な太陽が上がってきた。
初日の出ならずとも思わず手を合わせたくなる、自然の広大な恵みを感じる。あの百舌鳥の住処は何処なんだろうかとふと思った。 

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■「旦夕覺書」--風・13

2014-10-24 06:55:02 | 史料

                        一、江戸御供にて参候時袋井と申宿一里程手前にて御意被成候は最早袋井は近きかと御意ゆゑ一里斗
                          と申上候へはいつも出候親に孝行成乞食今日も可出と思召、奉行共に鳥目をとらせよと被仰付候定て出
                          ておるへきそと御意被成候 はつと申其儘落涙仕御跡に少しより扨々乞食にても孝は天の御恵と申せ
                          は明らか成事と存奉落涙仕候御覧不被遊候にて其儘下り候へ共跡にも御供衆居申いかゝ可存哉と致
                          迷惑候 惣別拙者は十一二の時より涙もろく下々出替りに暇もらひ出候時人により名残おしく落涙仕
                          候恥敷存候

                        一、又道中藤澤の宿一里半斗手前になんごちやとだんこなと賣申茶二三十間有之候 御供代村井に替り申
                          候御意被成候 替り候へは村井申者早追そ御意と申候 拙者存候は皆共は代り有之歩行より下は皆々毎
                          日々々の儀御存被成候てとふ仕候事かと無勿躰奉存候て御供仕候 藤澤十町斗此方へ入江又右衛門出
                          居被申候故申上候へはとれ々々と御意被成又右衛門出か御口上は申すな宿にて聞ふそと御意被成扨
                          拙者に御意被成候は扨々能所へ又右衛門は出申候いつも 清高院殿より一宿前へ御肴被下候 明日は
                          精進日ゆゑ暮ぬ先にと思召今日は御急き被成候 最早静に参候様に申付候へと御意被成候 其時もはつ
                          と奉存扨も々々御尤成儀不存前にいな事と奉存候事は扨々無勿躰儀と奉存候 後に左に林兵助居申拙
                          者同きに奉存候と申候 扨江戸御着座の時芝御屋敷表御門御はいり被成候時御玄関に 與一郎様御十
                          一二の比にて扨も御盛長被成御機嫌と御駕の内奉見候へは御落涙にてはつと奉存誠に是は 清高院
                          様へ御對面可被遊被思召たるよと老母事を存出し上下共に母を思ふは乍憚同し事と落涙仕候て無
                          程御駕すへ申候へは大友殿壽命院其外御心安き衆参今日は天気能扨々目出度奉存と被申候へ共しか
                          と御あひさつもなく御刀を御取被成早く御通被成候 御側衆其外大勢罷出居被申候へとも頭を下ケ居
                          被申扨拙者にむき何も傳夘目出度と被申候へとも右者も右申合故頭を下ケ兎角の返答もなく居申
                          唯今も落涙仕候 

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■松寿庵先生 第119講

2014-10-24 06:54:10 | 史料
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■熊本県立図書館蔵資料「藻塩草」--1(巻2~17)

2014-10-23 10:52:07 | 史料

 熊本県立図書館に膨大な量の宮村典太の書写史料が収蔵されている。
「盤桓随筆」巻1~43、「吹寄与勢」巻2~33、「雑撰録」巻1~99、「藻塩草」巻2~99等々である。
それぞれその内容を記した資料をもっていたのだが、なぜか「藻塩草」が脱落している。ならばここでご紹介しようと思い立った。

    「藻塩草 巻1」 ・・ 欠 

    「藻塩草 巻2」

1 鵠臺前記同後記
2 房總治亂記
3 鹿島治乱記
4 鎌倉大草紙
5 永祿記
6 室町殿江信長公諌書十七ヶ條
7 義経百首倭歌

    「藻塩草 巻3」
1 勢州四家記
2 内外兩宮兵乱記
3 伊達日記

    「藻塩草 巻4」

1 大内義隆并大内夢物語
2 中國治亂記
3 大友記 一名九州治乱記
4 得平記
5 上月記
6 赤松再興記
7 播州征伐記
8 文正記
9 天文十六年渡唐船法度書

    「藻塩草 巻5」

1 細川両家記 一名二川分流記又称正禄間記
2 冨樫記
3 豆相記
4 河越記
5 源谷記

    「藻塩草 巻6」

1 豫章記
2 阿州将裔記
3 三好成立記
4 三好別記

    「藻塩草 巻7」

1 豊鑑
2 簑輪軍記
3 蒲生氏郷道の記(諸家深秘録)

    「藻塩草 巻8」

1 櫻雲記
2 梅松論
3 細川頼之義満公の御近習江内法掟の条々

    「藻塩草 巻9」

1 蒙古入冠記
2 蒙古襲来絵詞
3 肥後国合志郡鎌倉屋敷 肥後古記集覧
4 大海戦と神風

    「藻塩草 巻10」・・欠

    「藻塩草 巻11」

1 室町殿物語 楢林長教

    「藻塩草 巻12」

1 嶋津世禄記

    「藻塩草 巻13」

1 夢幻物語

    「藻塩草 巻14」

1 北條記

    「藻塩草 巻15」

1 二木豊後覚書
2 木原家略系
3 九戸記

    「藻塩草 巻16」

1 護良親王上奏
2 筑紫箏略記
3 北條早雲三章法令事
4 中古正説砕玉話
5 北條早雲二十一ケ條
6 北條時頼教訓和歌百首
7 北條氏康分限帳
8 八丈島え渡海の事
9 鎭西八郎爲朝伝
10 戦船を海賊といひならはす事
11 筑前国海辺石塁之説
12 肥前国続風土記
13 鎭西八郎爲朝龍宮にゆく説
14 広益俗説弁

    「藻塩草 巻17」

1 坂井軍記 一名梅北記
2 佐敷一乱物語 附球磨加勢ノ佐敷ニ至侍ノ名前
3 天草由来記
4 宇土軍記并小西行長古城之図
5 隈庄落城覚書
6 甲斐系図
7 甲斐宗運隈庄合戦絵図
8 渡辺大和守友寿

 

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■「旦夕覺書」--風・12

2014-10-23 06:48:39 | 史料

                        一、御前様本源院様は延寶三乙夘年二月廿日御逝去の時百ケ日の間村井源兵衛拙者歩の御使番のとき御
                          用被仰付相勤申候 七日々々には水戸様御兄弟讃岐守様御菓子等御佛前に備り申候 右の通の時分者御
                          側外様物頭小姓組毎度出合心付見申候 御佛前見物に立なから見被申候 遠坂關内殿は心安く候故此中
                          毎度ケ様々々見申候 此内には當 御代より被召仕候衆先 御代に親を被召仕候衆段々心付見申候 か
                          の人は御寺にて致食傷候漸々被参候様承候と申候へは多分死可申そ誰は島原にてたゝみをかふり居
                          たるは誰は如此抔と古き咄被申聞候 拙者おそろしく無勿躰中々皆ともことき歩御使番或は知行被下候
                          ても外様者大小共に御存命に何として立なから見候様なる事可有様に不存候 又新参者は道理代々親
                          の御恩を蒙りたる其子さへも存候 唯今に成つく々々存候へは早各の前に成申候間能如斯事心付可被
                          申候 神佛前にはいかなる者も男女ともに拝し申さぬ者はなく候 老父は 御名の書付たる本古にても
                          火にくへそゝうに仕候へは親以の外にしかり被申候 其おしへより如斯心付申候ての事に候 關内殿は
                          初て召出候時の組頭にて後々迄かわゆかり被申候

                        一、熊本老父長屋に居候時分關内殿御出候て咄居申候時色々咄候て後に奥に参候へは關内殿何を御咄候
                          哉と尋被申候故いや世間の沙汰申候通御加増にて御小姓頭と申由申候へは昔者しらす今小姓頭勤る
                          男共見るに成ましき者にてなく候 おれ者五拾挺頭か望と御申由咄候へは扨尤成事され者祖父越後と
                          てかくれなき人にて 三齋公御代千五百石にて被被召出親父は關内殿とて島原討死兄は孫九郎とて
                          真源院様追腹めされ候 さすか其末ほとある 伯父は今の志水伯耆殿是も働ある人にて今残る大身の古
                          き事知たるは別にあるましく候 我に心安くおもはるゝと見へたり 随分咄古き事能く聞召置申候へ
                          惣別聞たる事後に忘るゝ物そ書付置たるか能きそ 扨名字名もたとへは初て聞たるは何そ何の某とい
                          ふ其字成とも覺又何そにたとへ心覺に山か川か木土花なとにたとへて思へは其儘思ひ出す物或は御
                          供の時川にて水出候哉見て参れと 御意の時は川端か何そに目しるし付て見候へは後に水増或は水
                          へりてしれる物兎角武士は武士の咄當世はやる事は能はなきそ古るき事ならては役にたゝぬそ 又若
                          き者は必年寄嫌ひ申そ犬の年寄たる様なる男もあれと夫とても何そ一事成とも能事覺候物そ若く心
                          かける者は色々咄聞其内に心にて吟味善悪を心にわけたか能きそ 妙解院様御代上方より町人御懇
                          比成者参候て歸候時金子可被下と思召御床の硯紙の内に拾両の金子硯の下紙の内に被召置候て 御
                          目見仕候時明日立か我に金子をとらすとて次の床に置たそ取れと 御意被成候 扨町人かそへて
                          見れは拾両なきによりいな事と思ひひたと吟味仕拾両取て罷出御禮申上候 何程かと御尋被成候時十
                          両と申上候へは扨々念を入たるなと御笑被成候 町人故多分かそえ可申と思召ての事萬一侍の子供に
                          左様かそへ取候はゝ一代御見かきりにあふへきそなとゝ被申候 惣躰何そ申て親の前に出候時か又
                          は座敷へ客にて茶の給仕に出候時 妙解院様咄に成と是は又長く可有と兄弟寄申たる事存出し候 不
                          断心に忘れず居被申候事誠以其信にて如此涙を流し候 

                         

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■「旦夕覺書」--風・11

2014-10-23 06:45:06 | 史料

                        一、新地拝領の日は母部屋にて喜左衛門・内入・三盛・拙者居互に難有と申内に母は涙流し御花畑を拝し被申
                          難有かり被申候 其時拙者申候は今日の難有さ私一人と奉存候 子細を唯今ならては不申候 父被果候時
                          何も御聞可被成候 三盛は御代々御恩を蒙りたる事常々御咄被置候 徳庵に其方は御縁つき御暇なと被
                          下候共御断申上候 御國に居申在郷へ成共引籠申御國の百姓共末々の者致療治候て渡世を送り申候へ
                          他所へ罷出申聞間敷候 内入拙者は又武士を立居候へは侍の習にて傍輩に對し候ても御奉公のならぬ事
                          も有之候 左様の刻は兄弟共申合候様にと御申被成候儀常々心懸居申候 先年内入は六人扶持にて御座
                          候事御心に不叶何と哉覺他國にも御志有之様に見及申候 其時分は歩の御使番勤當り前の一度被召仕
                          候時分の儀に御座候へは此度又御供と被仰出候へは定御供にて罷成候 左候得は定御供の歩の御使番
                          御中小姓は不及申皆々後々は新知被為拝領候 私も其気味心に存候故右他國へ御越被成候はゝ如此の
                          私御奉公にて立身をも可仕哉と口に出し不申候へども心に奉存候故扨々不及是非候他所へ御座候は
                          ゝ御遺言承候て御奉公仕共其儘居候事身為斗にて御遺言申候口惜く又上には忝存候て相勤申候へは
                          何の不足にて御暇申上候哉と可被思召候 此儀心にかゝり居候處に今日一同に被為拝領事は私別て
                          身の上と存候へば一人の様に奉存候 扨唯今此座にて申上候 右の通の心底にて神以奉存居候へ共今日
                          の難有さつく々々存候へは右遺言を背明日いか様の儀にても御暇出他國へ御出被成候共私は残り相
                          勤可申覺悟に御座候 左候へば私不調法御心に不叶御暇被下候とも御残御勤可被成候 御遺言とても譯
                          違申候間不幸とも思召間敷候と神以申候 互に打寄涙流し難有奉存候事八十に成候へとも神以其時の
                          儀如此相調候内にも昔存出し拙者一人残り四人の内三人は被果候落涙にて調申候間各々能々見被申
                          勤可被申候 尤戦場にて義により父子兄弟別々に成申事不珍候へ共御静謐の世には同名中むつましく
                          兄弟は他人の初と俗語に申ことく早各従弟に成申候次第々々に繁昌いたし候程夫々に家もわかり可
                          申候へとも同名中者堀内と申せは本老父より初御家に参候老父儀各御存知有間敷口に段々調置思ひ
                          出し思ひ出し如此調申候 同名六人共に先祖に對したとへ互に心に不叶申共直に善悪を無遠慮吟味仕
                          被申不通仕候とも亦其意趣直り申候はゝ本のことくむつましく可被仕候 長谷川仁左衛門被果候刻三
                          人の子供呼寄被申候者老體にて快気可仕様なく候 尤各随分むつましく見及ひ候 併果候跡の事一つ残
                          心有之と被申候へは嫡子久兵衛罷出何事にても唯今被仰置候へと被申候へはいや別の事にてなく候
                          後々は三人とも繁昌めされ子供も多く成可申候親のまねをするは世の習ひにて候 兄弟三人ともに幼
                          少の時は一所に居申扨又成人仕家々を持子供出来申は定りたる事にて幼少の時を忘れず成人いたし
                          候ても互にむつましく仕候へは又其子々々の親のことくする物にて候間随分々おなじむつましく召れ候
                          へと被申候 久兵衛被申候は其儀一つ思召被残候はゝ御心安被思召とて誓言にて被申候 世上見申候
                          へば十人か九人兄弟或者従弟むつましく無之後に不通に成申者ともを能々承候へは十は十ともに金
                          銀慾徳の事にて武士道の事にては無御座候 誓言にて於私少も御心にかけられましく弟とも萬一右の
                          通の儀にて不通仕候様に成行申とも私方より断申候てむつましく可仕候 併武士の道には不叶儀と存候
                          はゝ早明日にも不通に罷成可申と被申候へは扨々尤残心無之と被申候由老父は別て心安く枕本にて
                          右の咄承申候て毎度被申聞候 扨久兵衛は島原知行にて貮百石親の知行千石一つに被成被拝領候即座に
                          弟両人に百石つゝ三百石宛に成申唯今の長谷川新右衛門と申奉行勤申候先祖にて候 子に分遣申候へ
                          共弟に分遣申人此外終に不承候 ケ様に能きと存候ても皆々自身々々も心には扨々尤とは存候へ共弟
                          を子の様には思はぬ世の中取るか上にも慾にはあきなく自分の身かへりみ過たると被存候哉拙者覺
                          にても岩間小十郎千石迄御取立被成後に柏原新左衛門殿も千石の時両人共に千石宛御加増被げ候時
                          小十郎は差上申候 其時古監物殿御譽と承候 池部宗川・江村節齋三百石宛の時百石宛御加増の時池部は
                          差上申候へ共又被為拝領候 是より外拙者一代承不申候 昔し志方半兵衛と申者 三齋公御代歩行より
                          御取立千石に成候 三齋公御他界の時御暇申上御國立退の時 真源院様委細御聞被成南關に長岡
                          勘解由殿今壹人は覺不申いや松野右京殿両人に被仰付御留被成其方は御國を御出し被成候者にてな
                          く候 年寄勤成らぬと御聞及被成候 本知被下御國内居申度所に可罷在候 子供は夫々可被召仕心安存候
                          へと段々忝事にて御留被成候 扨嫡子に三百石次男に貮百石被下候時に半兵衛申上候は難有仕合奉存
                          候願くは二男に嫡子に被下候三百石被為拝領被げ候様譯は甥を養子に仕娘と取合置申由申上候へは
                          扨々尤成事を申上候然らは二男にも三百石可被下と被為拝領候 志方玄求親十兵衛かと存候 嫡子半右
                          衛門親門跡千石被下高麗門今の中根何某が屋敷に居申候 半右衛門嫡子を宇兵衛若き時はやつこ組二王
                          組いはら組抔と申候て或者沼田半之助殿兼松半平山崎新四郎抔其外若輩にて松崎大吉熊谷忠右衛門
                          同氏内入も其内に入申たるとて角入文左衛門しかり被申候事覺申候 右宇兵衛親跡被下候時に御断申
                          私病気に御座候故存る様に御奉公仕かたく奉存候しかれは伯父半七私弟又次郎此両人に三百石宛私
                          には四百石被為拝領被下候へは奉願其通に被仰付候 其時分扨々能く分申候若き時うは気者と申たる
                          か必々左様の者には年寄正しき者に成候とて御老中も御譽候由に候 近年の若き衆の様にさもしき侍
                          の道に不叶事はなく候 右のことく年寄候へは必々罷成候故何に仕候ても不實輕薄者に能は十人に一
                          人と拙者覺候て右の通にて候 右志方半兵衛ケ様に正しく申上候へは 上にも御意に叶三百石被下候
                          儀は扨も々々侍たる道に心かけ申候者他人にても我身に引受可存儀其刻の御年寄申候へは御廿六七
                          にて可有御座候三十一にて御逝去被遊候如斯御代々正しき儀に當風の何のかと不實にて勤仕合成
                          男多く候 必々天罰御先代の御心に叶可申様なく如斯調候内にも拙者五ツの時奉見候事奉存落涙仕候
                          各の見ぬ殿様の儀とて親の御恩蒙りたる其本々々を吟味被仕おのつから拝し奉る心にて必々勤可被
                          申候 

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■慶長日件録のこと

2014-10-22 08:42:27 | 史料

 

                 清原宣賢--+---業賢---枝賢----国賢--------(船橋)秀賢
                        |                          ∥

                        +---智慶院---+---幽齋---忠興======
                              ∥   |                ↑
                          細川晴員   +--壽光院            |
                                       ∥---------------
                                 佐々木越中守

 細川幽齋の生母・智慶院の生家清原家に下って秀賢という人物がある。幽齋の妹・壽光院の娘を息・忠興の養女として秀賢の室となした。
その船橋秀賢が「慶長日件録」という著を残している。完本として残されているのは慶長8年からの5年分だとされるが、5年から18年までの間の部分的なものを含めて残されているという。
東京大学デジタルライブラリーでは、昭和14年発行の「日本古典全集」からこの「慶長日件録」が提供されている。

その記述の中には、細川家の動きが垣間見える。その内容をピックアップする作業を始めた。年表に反映させようと思っての事である。

例えば次のような記事がある。 

慶長六年九月十三日: 従羽柴越中守有使之 嫁娶日取所望之由也 使松田七左衛門也 陰涼軒同途也 則撰吉日遣也 

息忠利の結婚は十四年であるが、これは何方のことだろうか? 等と考えると、この一行の持つ意味が深く思える。 

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■「旦夕覺書」--風・10

2014-10-22 06:47:25 | 史料

                一、拙者初江戸廿三歳の時にて右 御代 先 御代勤申歩の御使番残居申咄も承拙者儀に候へは同名中心
                  安き衆は拙者をかわゆかり御知行衆に別て多とて仲間そねみ申たる事も承申候 然れ共夫々の咄に兎
                  角其身の位に應したる咄多く御座候 高位高官うかへる雲のことしの言葉にても人により其位よりは
                  高き咄も有之候 仲間にても吉田傳兵衛・真野半兵衛は八代に居候 兼々両人は別て心安く咄仕候血気うは
                  気に見へ扨又話も多く聞候 され共十の内一つ二つ扨々尤成咄と申者も有之候 是は皆同名衆の咄を聞
                  たる物と申拙者人から悪敷見へ申候故に同名共にとられ申候成る事に候 随分皆共心安く語申候ゆゑ
                  如斯申と申候ゆゑ拙者申は諸人の察のことく親の咄伯父ともの咄皆承候ての事にて拙者も存寄一つ
                  も無之候申たる儀覺申候 右の通に候へは 先先御代より相勤申直に居申御入國の時御供にて能被召
                  仕候 其者の兄は終に見不申候 是も三百五拾石被下親は能き人と 忠利公にも二三人の内にて何そ
                  と申候へは必々御吟味にのり尤御老中迄も其通にて拙者覺候ては御奉行も勤申候 其嫡子故 光尚公
                  御兒姓勤 御遺骸御供にて熊本御着の時に數年勤申父母䜌敷存親の屋敷立寄申候 いかにも々々々々
                  尤たれか身にしても左可有事と咄申候 拙者一人わかく承居申扨々合點不参候咄にて候へ共何も年寄
                  能き者と申人に候へとも此咄を尤と存候事とも何共拙者心に落不申と口には出し不申心の内に存候
                  はたとへ何十年父母に逢不申とも御主の御遺骸の御供にて熊本へ御着の日ならは就中父母に逢度心
                  可有様なく候 追腹仕候衆中多く候夫にくらへ候得は見ぬ男成れとも大形つらつき迄見る様に有之役
                  に立申間敷物をと心に有候 尤當 御代迄御側に被召仕候由 御入國前に江戸にて果候堀次郎右な
                  とより能く被召仕候様に承候 扨其弟是も能被召仕候故 御前にて軍書太平記東鏡抔の類よませ御聞
                  候由夫故に後には拙者なと一座にて十左衛門殿に御心安く参候者にて候 兄の事は承及拙者は兄か弟
                  にて何事を古き武士の善悪の咄すいさん成奴めと若時分心安く申せともうけつけ不申候 然處に御暇
                  被遣候 右両人の親は御奉行迄勤智恵才覺すくれ候と御家中一二の内にて候へは子供の事親の目に
                  見へ申間敷様なく候 いかにも能申付近き一類に江戸勤外様に出申時分に拙者事心安く貴様頼存申入
                  候 孫事若輩にて無心元世も参居候へ共世忰生れ付気に入不申候 甥をも却て引たをし可申男にて候
                  なとゝの状拙者者見申候見せ申候には拙者心安く色々の咄を仕其男の噂も仕在江戸の時にて伯父様ふ
                  り候て甥の金銀も取申身の楽みは他人は不及申油断の成男にて無之候 親とは貴様は別て御語被成候
                  故少申兼候へ共今時はやり言においはきとて伯父様の甥をたをし候者廣き御家中大勢の内にて拙者
                  はずい一と申候へは其仁扨も々々能く目利仕候目利はならぬ物と古人も申傳候 此比拙者方へ参候状
                  見へ可申候 ゆるく申す人の目利扨々我折申候親の目にさへ子には迷ひ申は世に常にて候すくれたる
                  と申さぬ子は目利さへ成不申候 此親は御存可有候當 御代迄 御三代勤能奉公人にて候ゆゑ如斯
                  拙者方へ子の事無心元存頼と申越候 必々御沙汰拙者目利のゆるしとて御飛脚着候時分にて右の紙面
                  神以見申候て笑申候はいや善人は善人の目利可仕候 私も此悪人目利逢申候へは同類にて同罪と申物
                  にて可有之候大笑仕候 其後御暇被遣一類は残り居申候 拙者つく々々存候右之通の親他人の心安に子
                  の悪人と見へ申候故に能く仕度頼申たる物に候 夫程の事にて其儘隠居にて譲申儀我か身の為斗にて
                  御代々の御恩を忘れたる心にて候 病気とか何そと申立一類の内に子にましたる物他人にても養子に
                  仕候はゝ親の跡たへ申間敷候 悪人と親目利いたし其儘致隠居候心は子同然の人と存候 老父抔は神以
                  子供の内に御奉公ならぬと目利仕候はゝ丸裸にして追出可申と聖文にて被申候故神以恐しく存候
                  事八十に成申候ても少も失念不仕候 右の通に候へは諸人の目にも能きと存たると見へ上々も御三代
                  能被召仕候 信實は聖賢は格別天はあきらかに候故忠不忠果候跡にて諸人心あるは吟味仕思ひしり可
                  申候 親の子を思ふ事生類鳥けた物も同前にて候 我身の為に悪人と見申候て跡をゆつり楽いたし候は
                  世に多く老父の様に存候は先拙者者一代見不申候 勿論親の事故ケ様に書置たると各者見ぬ事にていか
                  ゝと可被存幾所にも々々々々調置申候 御家中に唯今六人迄に知にても相勤其家の嫡子共には早拾人
                  十二人に成申候 御吟味可有候外に類無之候 御家には名高 細川如斯繁昌仕候事老父如形不調法成人
                  と子の目も思ひ候へとも信實の心は中々似せても似らるゝ事にてはなく候 然とも各信をとふとみ心
                  をみかき被申候はゝ成ましき物にてもなく繁昌いたし候へは幸之助・傳次事幼少に候へは後々いか様
                  に可成も知れ不申候 拙者も廿年在宅にて隙にて夜白淋敷若時分大勢出合咄たる事故古きも新きも覺
                  如斯思ひ出し々々々々調申も皆老父影能々申心付可被申候
                   

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■時代小説の江戸・東京を歩く

2014-10-21 20:53:02 | 書籍・読書
    時代小説の江戸・東京を歩く
 
     日本経済新聞出版社

内容(「BOOK」データベースより)

ぶらり、ぶらり。鬼平が、半七が、青江又八郎が駆けた、笑った、食べた、泣いた、大江戸八百八町―東京を遊ぶ。小説とともに歩く下町散策ガイド。
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■「外様」とは

2014-10-21 10:09:10 | 歴史

 古文書を読んでいて出くわす言葉に「外様」がある。大名の「譜代」「外様」ではなく、肥後藩内で使う場合の「外様」とはどう理解すべきなのか、その定義を見出していない。
いろいろ調べていたら、別府大学の機関リポジトリの「ゆけむり史学.2(2008.3),p.66-74」に、大変興味深い御側外様諸役調子写 という論考を見出した。
著者である串間聖剛、中野正裕両氏はこの大学のご出身で共に佐賀県立図書館に御勤めのようである。 
取り上げられた文書は、佐賀藩の初代から十代に至る職制を示したものである。両氏は解題の中で「藩主の家政を司る御側と、藩政一般を司る外様」と明快に表現しておられるが、誠に目から鱗と言う感じがした。9ページに亘る論考の中に4ぺーじの職制に関する一覧が表に成って紹介されている。
佐賀と熊本が必ずしも同様だと理解するには早計であろうが、外様というもののくくりはこういったものと理解してよいのではなかろうか。
 



 

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■御恵贈御礼「今井書店古書目録・平成26年10月--第15号」

2014-10-21 06:58:36 | 書籍・読書

 北九州市八幡東区の今井書店様から上記目録をお贈りいただいた。厚く御礼を申し上げる。A4版395頁に及ぶ立派な目録であり、九州・防長郷土誌を扱われている。
                             http://www.imaishoten.com/

表紙の図版は「細川忠興公御譲御甲冑伝」であるが、細川刑部家に伝わったものらしい。
我が熊本に関する史料も豊富で、拝見するだけでわくわくしている。

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