利休百会記に「茶入木葉猿」の名が見えるのは、九月廿二日古田織部を招いての時が初見であるとされる。天正十五年とか十八年・九年などいろんな説があるがさておく。インターネットで検索すると、この茶入は、静嘉堂文庫美術館が所蔵しているらしい。ふっくらした茄子茶入の腰の辺りの、釉薬の剥げた部分を猿に見立てて「木葉猿」と銘名したとされ、内箱は山中で遊ぶ猿の群れを表した素晴らしい蒔絵の箱である。私が気になるのは、「木葉猿」の名の出所である。
熊本には1300年余の歴史を持つという、鄙びた郷土玩具「木葉猿」があり有名である。
いわゆる「見ざる、言わざる、聞かざる」の三つの猿を並べた、粗い土で焼き上げられた素朴なものだ。木葉は「このは」と読ませ、地名ともなっている。もしかしたら、この地の「木葉猿」が知られていたのではないのかと思ったりする。「そんならいいな」郷土愛に満ちた私(?)はそう信じている。
熊本には1300年余の歴史を持つという、鄙びた郷土玩具「木葉猿」があり有名である。
いわゆる「見ざる、言わざる、聞かざる」の三つの猿を並べた、粗い土で焼き上げられた素朴なものだ。木葉は「このは」と読ませ、地名ともなっている。もしかしたら、この地の「木葉猿」が知られていたのではないのかと思ったりする。「そんならいいな」郷土愛に満ちた私(?)はそう信じている。