津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

細川家家臣・中津海氏

2009-11-06 11:58:08 | 歴史
 細川家家臣に中津海(ナカツミ)氏がある。出自は氏を出身地からと考えるならば、若狭の「中津海」ではなかろうか。(社)若狭湾観光連盟のサイト「中津海」によると、 「中津海の名は中津綿津見神 (なかつわたつみかみ) に由来するとも考えられる。」とある。海神(海人)の末であろう。  
       http://www.wakasaji.org/chimei/01_nakatsumi.html

 家祖三右衛門は「若州逸見駿河守に仕へ、逸見家断絶後、忠興君丹後にて被召出候」とあるから、私の推測もあながち間違っていないのではないか。

■嫡男藤三郎(後ニ三右衛門)は「岐阜にて働有・・・若年より玄蕃殿へ奉公、忠興君より親三右
  衛門へ呼戻候様ニ被仰付候故、玄蕃殿手前立退罷越候処、直ニ御知行三百五十石被下候、
  後三右衛門と改」とある。
■二男五郎右衛門も「勇力人に勝れ、誉れ有るもの也、今度(田辺籠城)も多くの敵中を凌ぎ、御
  密書持参候に付ても、他にこゆる事有之由、五郎右衛門子孫無之、其後不詳」とあり、こちらは
  絶家したのだろうか。                     
                              (綿考輯録・巻五)(同 巻十四)

 興味深いのは忠興が弟・興元の下にあった嫡男・藤三郎を、呼び戻すように父・三右衛門に働きかけていることである。その時期ははっきりしないが、改めて召し出している。忠興と興元は仲が善くなかったとされているが、いささか強引な話しではある。
藤三郎の子孫が代々三百五十石を拝領し、明治に至っている。
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1 コメント

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あごと申しし在所より (逸見駿河守一族の末裔)
2009-11-07 00:04:23
私家の史料に、田邊籠城のおり、「中津海五郎右衛門殿、小嶋六左衛門殿の両者はあごと申しし在所より私家ご先祖様が預かりし北ノ御門たたきあけ越中守様御書を届けられた」とあります。同じ逸見駿河守所縁の方の名前につい反応してしまいました。
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