津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

只今3,900円

2010-05-29 15:44:36 | 徒然
                      写真をクリックすると画面が大きくなります。
 ヤフーオークションにこのようなものが出ていた。

出品者の説明には次のようにある。
「文久元年十月の熊本藩より長州下関までの所用に伴う士分の通行手形です。
 細川越中当(守)門永屋猪兵衛と言う方は、万延元年から元治元年までの5年間山鹿郡代を
 努められた方で、明治戊辰の年、官軍側にて桑名討伐時、熊本藩の参謀を努められた方です。
 細川越中は、13代細川斉護公です。尚、文久三年六月に長州が英国艦砲撃を実行した2年前
 ですので、その事案に何か関係があるのではないでしょうか?資料的一品だと思います。」

 特段珍しいものではないが、「何の御用で?」という思いがする。
 旅をした今井喜兵衛についてはよく判らない。
    (ご子孫が判明しました。よく存じ上げている方で電話をいただきびっくりしました。23:10追記)

           往来
            細川越中守歩行之者今井喜平
            就用事長州下ノ関へ罷越候往来
            無夫儀御通可被下候以上
                  細川越中守内
            文久元年十月  永屋猪兵衛
             所之
              御改所
        (訓下し・津々堂)

 永屋猪兵衛
   永屋雲洞 名は昌知、通称猪兵衛、後伊平と改め雲洞と号す。藩に仕へ世禄二百石、奉
   行兼用人たり。明治戊辰世子に従ひ上京し官軍の桑名を討つや藩隊の参謀となりて之を
   援く。明治十七年七月没す。年六十八。墓は春日萬日山。

   万延元年十二月~元治元年四月 山本郡代(山鹿郡兼)
      同上          山鹿郡代(山本郡兼)
   慶応三年二月(大阪詰)~明治二年二月 奉行副役

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