津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

■度支彙凾 明和より天明迄 法令條論・十五(1)

2018-10-21 06:42:12 | 史料

明和六年
 二七〇
一江戸御供之面々裁付着用仕來候處、以來左之通                       裁付→たっつけ→裁着袴
 一騎馬御供之面々
 一御關所押御物頭御案内
 一御側御物支配幷下役人
 一渡川支配幷御役人
 一御代官幷御使者相勤候面々
 一御船中御取次
 一御宿取之面々
 一御關札打歩御使者
 右は今迄之通裁付差用之事
 一右之外裁付着用之儀都て被遊御免
 御發駕御着座之節たり共裁付着用不及候事
   明和六   二月廿七日

 二七一
神善四郎秤相用候國々、善四郎方より役人相廻、紛敷秤
 は取上ヶ候筈之段、公義御觸十月九日御達

 二七二                          チカ     オノ    セツ     セツ
斧姫様、先月朔日説姫様と御名御改候段、十二月十七日    親→斧→説→節  重賢女=細川長門守興徳室
 御達

 二七三
一元日朝五半時二て諸切米取以上諸町人迄出仕之事
一組外より比着座は中柱之御間両側ニ座着、御用番出席之
 上一同ニ御祝儀申上候事
一右相濟、御物頭以下獨禮か切米取七人宛罷出右同断
一右畢て、歩御小姓已下諸切米取迄御廣間ニ並居、御小姓
 頭罷出候上一同ニ謁ス郎事
一右相濟、獨禮之町醫・同町人御弓之間え並居、御小姓頭
 右同断
一右相濟、町別當幷同列御指揃被下、諸職人・諸町人御廣
 間ニて右同断
一六日右同前ニて惣寺社幷葦北御惣庄屋・一領一疋・地侍
 出仕之事
   十二月
 御儉約中御留守之節、年頭御禮別̪帋之通候間被得其意、
 觸支配方えも可被達候、以上
   明和六 十二月廿六日   奉行所

明和七年
 ニ七四
一太守様舊臘十八日依召御登場被遊候處、少将被遊御拝任
 候段、正月四日御達
一此所天草御手當之御觸有之候得共、兵備之帳面ニ有之略
 之
一胤次様御嫡子被遊候旨、先月廿三日御用番松平右京大
 夫様え御届書被差出候段、二月十三日御達之事
 右之御儀付て御物頭列以上便状、御郡代以下御中小姓迄
 御家老廻り之御達之事

 二七五
一説姫様御事此節より御中老以上、様と相唱、御両敬之御
 方様へも、若殿様御同様に御両敬ニ相心得可申旨被仰出
 候間、以下例文
   三月朔日         奉行所

 二七六
一若殿様先月十五日御實名賢年様と被進候間名乗候、右之           胤次→賢年治年
 文字幷同唱之字付居候者ハ改候様、三月廿九日御達
一今度御着城之上若殿様え御物頭列以上便状御預、以來共
 便状仕出之儀御小姓頭より申來候段、五月廿ニ日御達
一若殿様細川中務少輔殿息女と御縁組御願之通相濟候、同    細川中務少輔→宇土細川藩主・細川興文
 廿七日御達                         同上息女 →埴(ハニ)
一右之御儀に付、御物頭列以上御両敬様え便状、御中小姓
 以上御家老廻段、五月廿八日御達
一明八日御着城被遊候旨、如例御物頭列以上御機嫌伺之儀
 七時ニ及候ハヽ翌日御花畑え出懸り出仕伺之筈、此以後
 共御着御延引之節は翌日出仕との、六月七日御達
一御垣様御事此節より様と相唱、御両敬之御方様えも、若         
 殿様御同様御両敬ニ相心得候様、六月廿五日御達
長岡少進殿御役御断ニ付願之通被仰付、百五十人指揃被            長岡少進→内膳家5代忠英(時習館惣教)弟・季規(家老職2,000石)
 下段、七月廿一日御達

明和八年
 二七七
一正月四日御登城時習館為入講釋初被仰付、御在國年久御
 定例被仰付旨、正月二日御達
一宿次御奉否を以御鷹之鶴御拝領御歓、御物頭列以上御花
 畑謁、若殿様え御中小姓以上便状仕出候段、正月十五日
 御達
一町在之者共日田御用銀等決て仕受不申、受人二も立申間
 敷旨御達
一御發駕三月五日之御達之事

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