■北村甚太郎覚書(一)(二) からニ週間以上経ってしまいましたが、再開します。
(三)七月廿一日海陸合戦の模様
一七月廿日尓最早敵大勢尓て國境まて乱入山岸をつたひ廿
き
一日尓は田邊の城近■山岸へ昇を差上申候 石川備後・谷出
羽・川勝右兵衛・此衆先勢也 城より半道計在之所々を
敵焼払ひ鉄炮稠敷打申候 城中より足軽を出し被申 大将
尓者三刀屋四兵衛・佐方吉右衛門・同与左衛門・山本三郎右衛門此衆
山鼻
福井と云やまばなまて出張し下知被仕候 敵合五町計
射手
有之鉄炮のいて遠もの打尓は日置善兵衛・上林助兵衛
北村甚太郎・同勘三郎・加藤新助なり 三刀屋四兵衛なと被居
候処より我等ともハ二町計進之出鉄炮打働申候 山本
三郎右衛門者馬尓て我等とも居申候處まて被参働被申候
此方より鉄炮稠敷打申候尓付福井の本村ヘハ敵入不
申候 三郎左衛門立モノ金の一枚紙向に立能見へ申候故か敵の
方より三郎左衛門に鉄炮多く打懸申候 坂井半助・大
野弥十郎ハ船尓て福井の濱へ押出し大筒打申候 敵者
四町計有之然處尓半助家来足尓敵の鉄炮當り申候 此由
幽齋公被聞召御使として千家七蔵・藤木伊右衛門被下所詮
遠所へ罷出防き申候事不可然被思召候間早々引取可申由
三刀屋四兵衛方まて被仰下候故船も陸も皆引申候 又
其日両大手の方二十四五丁先尓九文明と申在所有之
彼所へ赤松左兵衛・山崎左馬・小出大和此衆の人数付母衣
イ敵
武者共あまた見へ申候 其武者とも城も方へ馬かけ廻し
威勢
いせい仕候なり 妙庵公大手御門外杦の馬場と申所 妙庵→細川幽齋三男・幸隆
イ承候と
より御覧候てあれ打懸見て候へきよし被仰付候`て
三刀屋四兵衛・大野弥十郎・村野勝助・上林助兵衛・日置
善兵衛・加藤新助・北村甚太郎・同勘十郎此衆二橋と云大川有
其川上尓いさつと申在所有九文明より此方城より三町余有
之其村先へ右之者共参鉄炮放しかけ申候 上林・日置・加藤ハ川端の
土手の上より立放尓打申候 我等兄弟ハ川の瀬ハ有之案内者ニ而
川を渡り越し右の衆より一町計罷出兄弟代ル/\能つもり
打申候 何連も玉行能きひしく参候やらん 徘徊仕候敵とも
皆々村中へ引退申候 其時妙庵公より何連も働御見届被
成候間急引取候へとの御使として吉山福満と申仁被下候尓付
皆々引申候 妙庵公幽齋公へ被仰上御悦喜被成候事
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