津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■合点がいかないこと

2018-04-01 17:32:28 | 史料

 

 三卿家老・九代米田是睦(長岡監物)が、公卿一條家に進物を差し上げる際の「銘書」に関する「覚」である。
表紙ともニツ折紙29枚に及ぶもので、色々な贈り物の「銘書」に関する細かな寸法や、文字の大きさなど細やかな記録がある。
また、時節の挨拶状の書式や、太刀・馬の献上の係る書式、金子を贈る時の書式などさまざまである。追々ご紹介したいと思う。

さて右にある就姫様とは細川治年の末娘である。天明七年二月に熊本で生まれたが、九月には父・治年は29歳の若さで亡くなっている。
文化二四年四月久我通明に入輿した。なぜ久我家に関わる資料が、この「一條家江例年御進上物銘書」の中にあるのか合点がいかない。

尤も細川家と一條家のかかわりは深く、齊茲の女・峯姫(のち邰姫)が一條関白忠良に嫁いでいる。
そして後、慶順(韶邦)に一條左大臣忠香養女・峯(三条大納言實萬女)が嫁いでいる。昭憲皇太后美子は義姉妹の間柄である。


その右の写真は、就姫様に「芦北の海老」を贈った際の記録である。

               銘書  志ん上 
                    芦北ゑひ

                                長岡監物

               説明  一文政元年二月十八日之記
                    就君様江此節芦北海老一箱被差上候 箱耳張ニ
                    臺所之印を用来候処此節ゟ者
                    御印を御用被遊筈ニ付
                    上之御献上物等之趣を御音信役
                    平井源三殿へ聞合候様被 仰付候処
                    御申聞之趣如斯
                    御献上物等御■入りハ図之通鏡板之
                    四角ミに一ツ宛横角ニ同都合十弐印
                    を用常躰御音物ニ者鏡板迄ニ
                    四ツ角尤耳張紙ニ■り鏡板之方ニハ
                    纔ニ計りかけ押候由印之上下者圖ノ
                    釼先キ之通也
                    右之通ニ付向後
                    上江御進上物者都而御印可被遊
                    御用旨ニ(虫喰)此節茂都合十弐御用
                    被遊候
                    一條様其外之御音物者是迄通
                    御臺所印を用候様被遊御意候間
                    則其旨御臺所江も申聞本行之通
                    傳圖を茂相備置候事

                絵図の右下
                    足無箱也
                    足付キニて候ヘハ
                    横■ニ銘書
                    いた須へし
                    
                    
        

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1 コメント

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一条家より久我家へ (都会草)
2018-04-02 13:15:28
下記、何かのヒントになれば幸いです。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/久我建通
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