津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

■度支彙凾 延享より明和迄 法令條論・十四(17)

2018-10-20 07:15:39 | 史料

 二六一
一御勝手向之儀、先達ても申達候通、近年打續御物入有之甚
 及難澁候二付、今年より稠敷省略も被仰付候程之事候處、
 猶又江戸町御屋敷御類焼又ハ田畑蟲入御損毛等二て、彌
 以御手當差支候二付、無止御家中手取米別紙書付之通被
 減候、此段可被達候、以上
   明和四年十一月
一地居御知行取御役付、高百石減貮石減拾八石手取
  但、三百石以下は壹石減拾九石手取
一右同無役、高百石貮石減拾六石手取
  但、三百石以下は壹石減拾七石手取
一在宅幷百九拾石以下之面々右ニ准被減筈
一旅詰御知行取、高百石三石減四拾石手取
一地居御合力・御切米取、拾石高五斗減四石五斗渡
一旅詰右同九石五斗手取
一御扶持方迄被下置候面々右ニ准、差上米被仰付候
一御役料・御心付米等暮之通被渡下筈
右之通候事
  明和四年十一月

明和五年
 ニ六ニ
一日勤之御役、朔望之内一度宛暇日被仰付置候處、向後朔
 望ニ不限御用之透を考、一ヶ月一度暇日可仕非仰付候、
 七月十七日御達

 ニ六三
徳川右衛門督様、向後田安中納言様と稱可申旨、七月十
 一日御觸

 ニ六四
一於長崎龍腦和製被仰付、持渡同様通用可致旨、江戸・京
 ・大坂三ヶ所取次所より定賣渡可有之旨、八月八日御達

 二六五
一明和五年十二月御儉約一巻ハ別帳に有之、右に付御用番
 より口達之趣左之通
一只今相渡候書付之趣ニて相分候事ニは候得共、頭々ニは
 猶以申聞候様被仰付候ハ、今迄之通ニてさへ何レも難儀
 之上減方被仰付候事ニ付、彌以困窮可仕と甚御氣毒被
 上候得共、只今之通被押移候ては年々と御不足相重ク、    思食=思召(おぼしめし)
 如何様之御差支ニ成行可申哉も難測、左候ては後年大勢
 之御撫育も一統届兼申事ニ付、此度被仰付候通ニ候、依
 之頭々も別て心遣可仕と被思食上候得共、相凌候様随分
 心を付可申候、此段委可申聞旨被仰付
候、御勝手向之次
 第書付ニも大略相分候通候得共、如此成行候儀於拙者共
 も甚奉恐入候事ニ候、出仕彼是今度被附御心、御省被下
 候儀書付之通候處、列々申段ニて致省略勝手可相成筋も
 可有之候哉、左候ハヽ其程ニ應自分/\ニて難究事は被
 申段候趣可被相達候、平日供之人數等は各別被仰付置候
 極は無之候得共、當時は其列/\之見合ニて格式之様ニ
 候趣は追て可被申聞候、風俗も猥ニ相成候様心得違も有
 之候てハ如何ニ候、勿論右躰之儀可有之とハ不存候へ共
 ヶ様之事迄も委敷心を加被附候、若キ面々稽古事等も怠
 リ無之様旁不及申事候得共、一概ニ被心得候ては萬々一
 間違之稜も可有之哉と為念申達候間、精々可被申談候
  但、時習館・両榭えは袴着用無之候てハ難被罷出事ニ
  候へ共、内稽古等ニ打寄其外平日之出會等ニ袴着用無
  之候とも不苦事候、前廉は右之通有之候由候處、近年
  は自然と袴無ニは門外え不罷出様ニ成行申候、此等は
  屹申達あやニてハ無之候得とも、各被承置候ハヽ追て
  間合之面々ニ可被申聞事かと申入置候
一先御代麻上下着之節無紋之衣類・嶋類着用勝手次第と被
 仰出置候、此儀彌右之通相心得可申旨御用番より口達有
 之候由、御奉行所より被申聞候事
   明和五年十月二日

 二六六
一御上下之節南關筋・鶴崎筋、其外御滞留・御出之節御供
 之面々、且又平日御用二付出在之面々、於在中木賃宿賃
 今迄存寄次第火相渡候て、不同有之様子相聞候、依之以
 來左之通
 一主人 木賃宿賃四分 一家來一人三分
    但、何人にても一人前三分宛
  右一宿分
 右之通可被相渡候、尤所二有合之野菜直買仕度節は、入
 用分宿主より差出可申候間、代錢早速/\相渡可申候、
 右之趣ハ在中へも及達置候事ニ候、右之通可及達旨候間
 左様御心得、御支配方へも可被相達候、以上
   明和五年十二月二日

 二六七
一増奉公人給銀先年増方相成、五拾宛相渡來候處、來年
 より拾匁減四拾目宛相渡申筈候段、十二月十五日御達之
 事

 二六八
一元日朝五半時揃二て、御番方以上御禮被遊御受候事
一ニ日右同揃二て元日不参之面々、幷御知行取御右筆より
 諸切米取迄御禮非遊御受候事
一右両日共組外以下、五節句之通被遊御受候事
一三日之晩御謡初御略式被仰付候、出前之御留守居大頭以
 上被罷出、其外不及出仕候事
一七日式日被罷出候面々出仕、右御禮相濟候上、元日・二
 日不参之面々御禮御受被遊候事
一右同日、惣寺社幷葦北惣庄屋・一領一疋・地侍・町別
 當・同列御扶持被下候諸町人・諸職人、御禮非遊御受候
 事
  已上
 御在國之節年頭御禮、五ヶ年中別紙書付之通候間被得其
 意、觸支配方へも可被達候、以上
   明和五年十二月廿七日   奉行所

 二六九
一來正月四日御登城、直ニ時習館え御入講釋をも被仰付候
 間、御家中之面々えも罷出候様、正月十三日よりは例月
 之通講釋も有之筈之段、十二月廿八日御達之事

            (了)

「度支彙凾 延享より明和迄 法令條論・十四」は今回を以て終了いたしました。
次回からは「度支彙凾 明和より天明迄 法令條論・十五」を取り上げます。

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