津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

竹田家の「稲妻紋・・?」

2009-09-26 08:30:44 | 歴史
 足利将軍家家臣・竹田梅竹軒の子孫は、細川家と松井家の家臣として脈々と続いた。
神紋ともされる稲妻紋を家紋とする竹田氏だが、そのデザインは本来、中央から右周りに四角い渦を巻き、最後は真下で終わっている。(上図) 処が細川家家臣竹田家の稲妻紋は少し様子を異にしている。中央から左回りに渦を巻き、最後は左脇で終わるというデザインである。(いろいろ探したが見つからず表示できない)

 「肥陽諸士鑑」で家紋を眺めていたら、同じ稲妻紋があった。我が侍帳には竹田氏は一軒しか記載していなかったのだが、いま一軒先祖を同じくする竹田家(早之允)があった。私の完全な見落としである。家紋が記されていなかったら、気が着かなかったかもしれない。別家をたて御小姓役を勤め200石を拝領しているが、その後の事は判らない。絶家したのだろうか。

 今年の7月29日のブログで「細川家家臣・竹田氏」を書いたが、その折の略系図に加筆してご紹介しておく。


 梅松軒---+--松井織部---松井角左衛門・・・→松井家家臣竹田家
        |
        +--源助長勝
        |
        +--永翁
        |         初代
        +--半左衛門---平大夫---安右衛門--+--平大夫・・・→細川家家臣竹田家
                                 |
                                 +--早之允
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5 コメント

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はじめまして (高澤)
2010-08-23 18:59:48
古い記事にコメントして申し訳ありません。ちょうど執筆中の仕事で竹田姓を調べていて目に止まりました。竹田氏の稲妻紋といえば江戸幕臣で坊城家の流れという竹田氏が「折り入り菱」という家紋を用いています。この「折り入り菱紋」は通常「稲妻菱」と呼ばれるもので、稲妻紋を菱形にしたものです。幕臣の竹田氏は坊城家流を称しますが、おそらくこれは仮冒で、本来は藤原北家利仁流斉藤氏族であろうと考えられます。熊本藩竹田氏もおそらくこの系統ではないでしょうか。細川政元を暗殺した竹田孫七はこの先祖かも知れません。
はじめまして (竹田姓の者)
2011-02-24 18:49:45
昔から歴史に興味があった現在20歳台の者なのですが、先祖について興味を持ち始めました。

両親が離婚をして母に引き取られたので竹田姓ではあるのですが父方が竹田姓なので調べようがありません。父の先祖(祖父らも)が代々熊本県に住んでいるのですが、自分はこの家の子孫だと考えていいのでしょうか?
竹田姓の者さま (津々堂)
2011-02-25 11:20:32
さてこれは難問ですね。明治の初め頃のご当主のお名前がわかれば、有禄士族基本帳などを通じて、細川家侍帳へとつながる可能性はありますが・・・もしお判りになれば、又ご連絡下さい。
家紋は花菱です (竹田)
2012-02-27 15:46:59
拝啓
高尚なブログ拝見いたしました。
私の家系図のなかにある二人の名前(長蔵  穀生)がこのブログと熊本藩資料の中にありました。故祖父の話では、その昔、京都から熊本に移り江戸期最後は藩校のようなところで教えていた。と先祖の話を聞いたことがあります(家老だったと聞いた記憶がありますが、これは誇張か?)(家督を腹違いの兄が継いだため詳細不明)。家紋は花菱です。松井家か細川家に仕えたものなのでしょうか?祖父の台まで熊本在住でした。。
松井家家司竹田氏? (津々堂)
2012-02-27 22:02:58
コメント有難う御座います。お話からすると松井家家司(家老)の竹田様でしょうか。穀生様につきましては有録士族基本帳など残されていますから、これによって明らかになると思われます。熊本県立図書館にお尋ねに成り「改正禄高等調」を取り寄せられたら如何でしょうか。

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