信長の「幻の上洛」計画裏付け 熊本市で新史料 2014年10月03日熊本日日新聞から
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県立美術館と熊本大永青文庫研究センター、東京大史料編纂所の共同調査で判明。同日、県庁で会見した。
新出史料群は、13代将軍足利義輝が暗殺された後、近江矢島(現滋賀県守山市)に亡命していた弟義昭と側近が、1566(永禄9)年8月28日付で、伊賀(現滋賀県)や山城(現京都府)など京都周辺の武士に出そうとしていた書状14通。幕府再興を目指す義昭が信長を味方に付けて、上洛する際の協力を求める内容が記されている。宛先などから、尾張から北伊勢(現三重県)、甲賀(現滋賀県)、矢島を通って上洛する予定だったことも推定される。
書状の日付が近江の六角氏が義昭側から離反した前日であることから、配布直前まで作戦が進行し、六角氏が離反したことが作戦破たんの原因だったことも分かるという。
書状群は、足利将軍家に医術で仕えていた側近で、後に肥後細川家家老となる米田家に医術書冊子の裏紙として伝来。亡命中の義昭に随行し書状類の配布を任された米田家が、不要になった書状の裏紙を再利用したものとみられ、現在は個人所有となっている。
記者会見で、調査した県立美術館の山田貴司主任学芸員は「書状を通じて、計画が一瞬で反古[ほご]になったという乱世の息吹が感じられる貴重な史料だ」と話している。 書状の一部は、10日から県立美術館本館で始まる「信長からの手紙」展で初公開される。