津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

■田中家の汚点(ニ)

2017-06-02 07:05:12 | 熊本地震

 「差扣」は三日が3人、五日が6人、十日が1人、自ら申し出て差扣た人が2人である。順次「右之節即日ゟ親類縁者差扣之衆左之通」から、その人々を追ってみよう。

三日差扣 長岡伊豆殿 従弟 三渕伊織助殿 小舅 木村半兵衛 実小舅
長岡伊豆とは細川内膳家6代の忠名(忠昌)で、その妻が小笠原長知女である。6,000石。左兵衛(氏常)の実妹である。従弟と書き込みがあるのは
   左兵衛の実父・小笠原長知の妻が細川内膳家5代・忠雄の妹・サンであることによると思われる。

三渕伊織助は三渕家の7代澄鮮(養子・分部若狭守光臣二男)だが、義姉・伊与が田中左兵衛氏之室となっているのだが、この人物が良くわからない。
木村半兵衛は木村家4代・豊暉(養子・同氏豊行嫡男)、左兵衛との関係はよくわからない。先代豊章は細川新田藩2代・采女正利昌の二男である。

五日差扣 大木舎人 従弟 平太左衛門殿嫡子丈八 溝口三伍 実小舅 坂口一角 従弟 奥村安大夫 落合勘兵衛
大木舎人は大木家6代・兼暉、養子であり大木半平(4代・豊暉)の二男である。5,000石、留守居大頭・大目附・備頭。
堀丈八は堀平太左衛門の嫡子・5代丹右衛門勝文である。聟とあるから、室が左兵衛女ということか。番頭・大目附・中老・家老。
溝口三伍は溝口家4代で養子の長義(小笠原多宮三男)である。田中家との関係は史料不足で判らない。用人・家老・大目附。
坂崎一角は坂崎家6代成晶、こちらも史料不足で従弟とする関係が判らない。3,600石番頭。
奥村安大夫は奥村家5代で1,200石、中小姓頭・留守居番頭・番頭を勤めた。関係不明。
落合勘兵衛は900石、中小姓頭・小姓頭を勤めた。堀丈八同様、室が左兵衛女ということか。

十日差扣 小笠(原・脱ヵ)備前 実兄
・実の兄であるがゆえに十日という差扣となった。ガラシャ夫人に殉死した小笠原少斎の五代の孫・小笠原備前家6代長知衛である。
 室は細川宗孝妹・津与姫(敬子)であり、縁者という意味からすると細川宗家にも及んだ。家老職・備頭。
 

自分ゟ差扣た人物が二人ある。長岡商隠老 伯父 長岡桂老 叔父
長岡商隠老とは細川内膳家5代の忠英である。あの初代時習館惣教を勤めた人である。この事件の二年後明和九年五月十七日74歳で死去した。
長岡桂老という人物が良くわからないのだが、叔父ということからすると、商隠老の実弟で2,000石、家老職を勤めた季規であろうと思われる。
 誠審院桂山日瑶の法名からも推察される。
両人の妹(姉)サンが小笠原備前長知の妻であり左兵衛の母であることから、まさに伯父・叔父にあたる。
商隠老(5代忠英)の嫡男・6代忠名室は小笠原長知女、また娘のは小笠原家7代佐織に嫁いでいる。ガラシャ夫人の血を引く内膳家と、介錯殉死した小笠原少斎の子孫は時を隔てて、強い血のつながりを持っている。
田中左兵衛の行動はこれら親族関係者にとってはまさに青天の霹靂であったろう。2,000石減知も納得がいくところである。

略系図を作ろうと思っているが、線がからみあって往生している。そのうちにご披露したい。

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