津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「阿部茶事談」(25)釈文

2020-01-24 09:22:28 | 史料

25                           吟味の時八兵衛儀討手不被仰付処押而阿部
         か屋敷尓参候事何故哉と御尋有し
         尓弟義討手ム心元存候間罷越候也と申上
         尤の事也 然者数馬討死の時ハ一所尓居候哉
         と御尋有ける尓場所違不存と云 弟を無心
         許存跡ゟ参候程の者か討死を不知とは
         不都合の事也 第一御下知もなき尓罷越段
         不埒也かたく閉門被仰付と也 又曰添嶋九
         兵衛ハ初鉄炮衆也 有馬陳の時ハ立石市兵衛
                    本ノマヽ「賞」
         組にて手尓合帰陳の上御美有之新
         知百石被下也 添嶋子供男女二人也 嫡子九一
       郎九才遺跡拝領す 幼年尓て病死す 妹尓
       御扶持被下置後他尓嫁して男子壱人出生す
       亡父由緒を以竹内吉兵衛へ被預置添嶋灘平
       として小姓奉公し其後阿蘇坊主尓成て幸
       方坊と云 母ハ尼尓成て妙善と云て老極し
       幸方坊還俗して添嶋市兵衛と名乗御奉公
       尓出る 正徳年中の事也
       又曰白菊の名香ハ 忠興公御取出之木也 御
       歌尓
          たくひ阿りとたれかハい王ん末匂ふ
            秋より後の白菊の花

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