津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

田邊城籠城衆、宮村出雲消息

2008-08-26 10:25:53 | 歴史
 細川幽齋の田邊城籠城について、「田邊御籠城記」「北村甚太郎覚書」「宮村出雲覚書」などが残されているが、この著者が北村甚太郎のちの宮村出雲である。砲術に巧みであった為、父・石見、弟・勘三郎と共に召し出されて籠城して活躍した。細川中務(孝之・休斎)附となり、豊前では御鉄炮弐拾挺頭(150石)を勤めたが、中務の退身に伴い牢人鉄炮細工人となった。肥後入りにお供承應元年十月病死した。

 寛永元年八月九日・廿九日の「日帳」の記録は、宮村出雲の消息として貴重である。

「九日:拾丁ノ御舟銅筒、昨日ためし候由ニ田、與次兵衛・三上宗於・安場(仁右衛門)、御横目田辺作介、かち両人とも登城仕候、(宮村)出雲鉄炮ハ、よけいノ鉄炮共ニ、六丁之内弐丁ハさけ候て、おれ申候、壱丁ハ火さらのきわニうめかね御座候而、ぬけ申候、弐丁ハ何もきす御座候而、やくニ立申不申候、残而壱丁御用ニ立申鉄炮御座候、弥右衛門鉄炮五丁之内壱丁おれ申候、壱丁ハ火さらきわニ少きす御座候て、けむりふき出候、残而三丁ハ少しきす御座なく候、御用ニ立申候、右之鉄炮とも、薬ハ廿匁四分宛、出雲■炮ハ拾九匁六分玉、弥右衛門筒ハ拾九匁七分玉ニ而御座候」

 弥右衛門製の鉄炮は五丁の内三丁が合格したが、出雲の鉄炮は六丁の内一丁と残念な出来である。

「廿九日:御鉄炮屋出雲登城、御舟筒はり直シ申候ニ付、御鉄炮之かつかう最(旧字)前ノことくニ可仕哉と、(安場)仁左衛門ニ尋申候へハ、御奉行衆ニ相尋候へと被申候、いかヽ可仕哉と申候、御奉行衆被申様ニ、仁左衛門きこへさる申分、中々さたかきりニ候而、此御鉄炮之儀ニ付、両度ませくさし(ママ)申候、昨日仁左衛門・(三上)宗於ニ申渡候間、其通二可仕之候由、拙者式も右同前ニ存候事」

 その後の消息も追ってみたい。

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