津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

細川家家臣・久野(次郎左衛門)氏

2009-12-10 08:40:05 | 歴史
 久野氏は佐久間信盛の家臣であったことは、先祖附で承知していた。ある時久野氏宛の信盛息・不干齋の書状二点がオークションに出た。無事に久野氏が落札され現在は久野氏の所有となっている。当方にもコピーを頂戴し、関係者のご努力で読み解かれた内容は、大変興味深いものであった。

     【不干齋】・・・ ja.wikipedia.org/wiki/佐久間信栄

      (その一)
           尚以 不及申候へ共
           弥無油断御奉公
           専一ニ候 連々之儀ハ 如在申
           間敷候 以上
          御状到来 披見
          珍重ニ候 其後絶
          音問候処 御書中満
          足仕候 大阪御普請ニ
          御詰候由 御辛労奉
          察候 併無相違御奉
          公喜悦之至候 折々便
          を以 越中殿へ可申候
          条 可御心易候 折節
          持病発平臥候間 不
          能多筆候 恐々謹言
           五月二日    不干斉
                      (花押)
           久野二郎左衛門尉
                   回答


      (その二)
           尚以 久絶音間候処
           来札本望ニ存候 
           以上
          去月廿四日之御状到
          来 披見珍重々々
          先以其地御無事
          尤満足申候 今度内記
          守殿へ御家徳(ママ)相済、小
          倉へ御移之儀 千万目
          出存候 我等之大慶可
          有御推量候 殊貴
          所内記殿へ御付候由
          尤本儀ニ候 連々之儀
          内記殿へ可申入候 大坂
          御普請之刻 御煩ニ
          付 為三齋老御気
          色悪候へ共 被対拙老  
          御様捨之由 於我等承
          候 御父子へ御礼可申候
          此度之書中ニも 我等
          三齋老へ奉願 貴所
          出し申候由 内記殿へ
          申入候間 可御心易候
          将又 従旧冬長々
          煩申候キ 近比得快
          気 御前へ罷出候
          甚九郎も無事候間
          可御心易候 猶期後
          音時候 恐々謹言
           七月廿七日   不干斉
                      (花押)
           久野次郎左衛門殿
                   回答


 佐久間氏の没落により、再仕官を余儀なくされた旧臣を思いやる、不干齋(信栄)の暖かい心情が読み取れる。
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2 コメント

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信盛の息子信栄は暖かい人ですね (佐久間信盛の家臣の子孫)
2010-04-02 21:16:27
父、信盛と共に高野山へ追放され、辛苦を味わってしまった信栄、、、人の心が判る人物だったのでしょう。 私の母方は服部といい、御器所を所領としておりました。家系図では佐久間信盛の筆頭家老ということになっておりますが、同等格らしいです。領地である御器所は天皇の使用する器を作る地名とか、信栄が茶人とて秀吉に召抱えられたり、茶器への造詣が深いのも当然ですね。
不干齋信栄 (津々堂)
2010-04-03 09:44:23
細川家と不干齋との親密な関係は色々な史料で見受けられますが、かっての家来の行く末を思いやる旧主の暖かい心情に触れ、私にとってこの書状は大変心残るものとなりました。服部氏につきましてもいろいろご示教いただければ幸いです。

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