津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■顔

2020-01-09 13:42:44 | 徒然

 仏壇の近くに亡き母の遺影を飾っている。
東京在住の折、夫・舅、姑を一時に亡くして寡婦となり、熊本へ帰り姉と私を育てる等苦労の連続であった中での穏やかな晩年の顔である。
私はそろそろ78歳の誕生日を迎えるが、ふとこの歳になって私は誰に似ているのかと考えたりする。
父親とは一歳数か月で死別したが、写真を見ると大きなウエーブがかかったくせ毛の、彫りの深い顔をしていて全然似てはいないと思う。
母はといえば細面で、身体も細くこれも全く似ていない。
隔世遺伝という言葉からすると、父方・母方の爺様・ばあ様に似ているのかもしれないが、どちらにも似ていないと思える。
但し、母方の祖父は写真でも見たことがないが・・・
随分以前自画像を描いてみた。
今みても、あまり変わっていないと思うのだが、髪の毛の量が大いに減少し白毛90%になって違いは歴然だ。
リンカーンは「40歳を過ぎたら、自分の顔に責任を持て」といった。つまり人間の内面が顔に出るという訳だ。

 私の友人が、自らの遺影とすべく毎年写真館に出かけて写真を撮っている。現役時代からすると「おれも好々爺の顔になったと思うよ」と述懐している。
「爺さんの顔より若いときの写真が良かろうに」というと、「女房が、現役の頃の俺の顔は険があるというんだ」と・・・。
そういわれると、ご尤もという感じもする。 

 私は以前 「きれいごとではない過去もあって去年今年」 という下手な句を作ったことがあるが、その頃は公私ともに心配事が多く、そのころはどんな顔をしていただろうと思ったりする。
現役から離れどうやら平穏な日々を過ごす今日を考えると、今の自分の顔は好々爺の顔になっているのだろうかと考える。
苦労を乗り越えて穏やかな顔になった母のように、私もなりたいものだと思う。




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