津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

小松惣馬

2010-01-22 09:23:58 | 歴史
 薩摩の篤姫が薩摩街道を経て、肥後領内に入るのは嘉永六(1853)年八月下旬のことである。(半田隆夫著:薩摩から江戸へ・篤姫の辿った道)大河ドラマでは海路を辿っているが、これは事実に反している。
この時期小松帯刀は、まだ養家小松家に入ってはいない。小松清猷が琉球で客死するのは安政二年(1855)、嶋津斉彬の命により急遽小松家の養子となった。

 現在読んでいる「佐田右平日記」に、何故か小松清猷に関する記事があった。小松惣馬という名前で紹介されているが、相馬が本当らしい。
        ja.wikipedia.org/wiki/小松清猷

 薩藩小松惣馬并田中清右衛門深筆ノ写し前条横田宅ニ而一覧いたし候事
 小松氏ハ平重盛ノ後胤二テ惣髪ヲ柴紐ニ而結ひ衣服も守常ノ体ニ而無之内右深筆ハ
 書ニ優ルヘキヤト存し書銘ハ槙齋トアリ
 朱印 小松清猷    君翼     関防印 槙齋 トアリ
   (小松清猷は右に小松・左に清猷と二列書、君翼は右に君・左に翼と二列書である。
    槙齋は縦書きである。・・・・・・・・・・・・・・・田中氏に付いては略す)

 小松帯刀も後年惣髪だったそうだが、岳父惣馬も惣髪であったというのも面白い。
この年ペリー艦隊の来航を以って幕末とする。奇しくも小松帯刀の岳父・小松清猷の記事が見えるのは大変象徴的である。
 
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